二元論がもたらす功罪

二元論がもたらす功罪

本記事は2月20日に執筆したのですが、先日高橋祥子さんの「生命を燃やすことと失うことの違いと思考の関係と、二元論への終止符」という記事が先に公開され、「ぼくもこれが言いたかったんだうぉぉ」となりました。

一時は公開する気も失せましたがまぁ言いたいことは同じだけど言っていることは違うな、と感じたので、せっかくですし公開します。

内容の次元は圧倒的にこちらが低いですが、備忘録的に思考メモとして公開するので、5スキくらいついたらうれしいな。

目次

1. 二元論がもたらす功
2. 二元論がもたらす罪

1. 二元論がもたらす功

そもそも二元論とは何か?という方もいると思うので、軽く説明を。

二元論とは、この世の事象に対し相反する2つの理論を建て、その事象を認識するというもので、例えば「良い、悪い」や「好き、嫌い」などがこれにあたります。

では、この二元論が我々にもたらしてくれる功とは何なのでしょう。

【意思決定のスピード化】

二元論を用いた判断、つまりのところ「いい」か「悪い」かなどの判断は、はおおよそ個々人の事象に対しての認識の比率で成り立ちます。

正の要素、つまりプラスの側面が51%を超えた場合は全体が正にかたむき、負の要素、つまりマイナスの側面が51%を超えた場合は全体が負にかたむきます。

そのため細かな分析などを必要としない大雑把な判断が必要なとき、自分の主観を踏まえ正の要素が半分以上を占めていれば、脳が勝手に二元化処理し即座に判断→行動に移せます。

二元論を用いたスピード判断はおおよその場合、脳が潜在的な主観(経験則など)を利用して行うオートマチックな決定が多いため、脳自体に余計な負担をかけずにすむというのもメリットと言えるでしょう。

【グルーピング(仲間をよぶ攻撃)】

これはTwitterとかでよく見かけますが、二元化、つまりは2つのグループに分割することで、対立構造が可視化されます。

これがいいか悪いかは微妙なラインですが、自分の考え方に近い同志を見つけ、共に価値観を共有できることは人間的には気持ちいいのではないのでしょうか。

2. 二元論がもたらす罪

ここからが本題です。二元論には多くの罪が潜んでいます。

【思考の鈍化】

先ほど意思決定のスピード化について触れましたが、速さに軸を置くと当たり前ですが思考のクオリティは低下します。

二元論からなる判断は主観に基づいたオートマチックな判断のため、そこに思考を要しません

それが恒常化してしまうと、意思決定の際に「考えているふり」をしながら、実際のところ脳がオートマチックな決定をしてしまっている場合が多いです。

「実は最初から決まってた」というパターンがこれにあたります。

自分の脳の自動判断プログラムに自分が支配されてしまっているわけです。

【視野の狭窄】

そもそも論にはなりますが、あらゆる事象は正と負の両方の側面を内包しています。

それを全て二分化して考える事自体が不毛かつ愚策であり、おおよそ大抵の場合二元化の際にあぶれてしまった本質的な側面に気づいていないことがほとんどです。

正負のスパイラルについては後述しますが、事象を二元化しそのどちらかに認識が偏ってしまうことで、人の視野は極端に狭くなり、自分が認識している角度からしかその事象を見ることができなくなってしまいます。

そうなってしまうと、残念なことに二元論的な解決策しか導き出せなくなってしまうわけです。

【負(悪い)のスパイラル】

二元論で負の選択をしてしまうと、いっさい正の性質を見ようとしなくなってしまう場合が多いです。

一度負の比率が51%を超えてしまった場合、人は自ずとその選択と対をなす正の側面を見ようとしなくなります。

悪いものには目を向けず、臭いものにはフタをする。ある種人間として自然だと言えるでしょう。

また完全に無関心になれたらいいのですが、負に対する感情というものは人の心の中で増長されていくことが多いです。

そこからの正負の逆転は中々に難しいでしょう。赤ちゃんのイヤイヤモードに近しいものがあります。

【正(いい)のスパイラル】

これは負のスパイラルとは真逆で、二元論で正の選択をすると自分の正の選択を正しいと思い込んで、全てが正しく見えてしまうスパイラルです。

簡単に言うと、「大好きな人のおならすら愛おしい」状態です。

この程度であればかわいいものですが、例えば彼女がマルチにハマっていて自分を勧誘してきた。あぁ愛おしい。なんていうのはシャレにならないわけですね。

これは合理化認知的不協和と考え方が同じで、二元論がもたらす罪にはこういった社会心理学的な側面からもアプローチできます。

人は常に「正の側面」と「負の側面」を両方見ておかなければ、よくも悪くも、物事に盲目的になってしまうのです。

【選択肢は無限大】

みんなレッテルを貼るのが大好きなので、すぐに二元化しかつ自分の主張を正当化したがる人が多い気がします。

いいか悪いかなんて、そもそも決めなくていいのでは?

いいところもあるし、悪いところもある。それでいいのではないでしょうか。

あなたが悪として断罪しているそれは、本当に万人にとって悪と言えますか?

あなたのポジションからは悪に見えても、万人には求められているものかもしれませんよ。

物事の二元化は思考力をゆるやかに殺していき、人生の選択肢を狭めていきます。

もっとさまざまな角度から、多角的に物事をみるクセをつけることで、人生自体が豊かになりますよ。多分。

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