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粋なお蕎麦の食べ方

仕事中、ふと「今日、夜ご飯誰かと食べたいわ」と思い立つ。
おもむろに連絡したのは数年前に飲み屋で意気投合したボーイA。
たまに会ってはご飯に行ったりするような仲だが、ずいぶんご無沙汰でおおよそ1年半ぶりくらいの連絡だった。

Aからは「今日は体調が悪いから、別日にしてくれないか」と返信があり、次の土曜に会うことになった。
こちらが蕎麦を食べたいとリクエストすると、ちょうど寄りたいお菓子屋さんもあるのでと上野を提案され了解し当日を迎えることになった。

当日、時間通りに上野駅についたが、Aからは駅のどのあたりで待ち合わせするのかなどの連絡がない。
Aが寄りたいお菓子屋の場所やAが何線で来るのかを事前に告げられておらず、どのあたりが都合がよいのかも検討がつかなかったため、大外れはないだろうと中央改札に向かった。

Aに「何線で来るのか分からなかったので中央改札にいます」と連絡すると、
Aから「銀座線だったのですが、、。中央改札了解です」と返信。
これを見て「銀座線だったから、〇〇の方が都合良かった。でも、あなたが中央改札にいるのであれば、妥協してそっち向かう」と解釈して、釈然としない思いを抱える私。
しかし、このモヤモヤは私の勘違いであると思い込み、合流し、その後お菓子屋に寄り道してから蕎麦屋へ向かった。

蕎麦屋では天ぷらや卵焼きなどをつまんで、最後にざる蕎麦を食べた。
2人分のそば湯が置かれていたのだが、案外つゆが濃く丁度よい塩加減にするためには蕎麦湯を結構使ってしまうかもと思ったら何となく気後れしてしまい、蕎麦湯を頂かずにお店を後にした。

退店後2人で喫茶店に立ち寄ってコーヒーを飲んでいると、Aから
「蕎麦湯、飲まなかったですよね?蕎麦湯飲まないって新鮮だなと思って」
と一言。
「新鮮だと思って」の表現に言葉を失う私。
え、イヤミいいました?蕎麦湯飲まないことは何かしきたりに違反する行為なんですか?
頭の中で相手が何故この発言をしたのがが到底理解できなかった私。
最初に感じた待ち合わせ場所を巡ってのモヤモヤにこの出来事が追加されたことで自分の器の許容範囲を超えてしまった。
そして、思わず
「新鮮、かぁ。。それは不粋なことをしてしまい失礼いたしました」
と嫌味満点返しをしてしまった。

不意討ちに晒される悪意に対して普段ならば笑って誤魔化せるはずなのに、どうしてもそうできない日もある。
そんな時に相手に投げ返した満点の嫌味は、相手に一泡吹かせてやったという爽快感ではなく、何でまともに受けてしまったんだという自己嫌悪と嫌な時間を過ごしてしまったという疲労感が私に重くのしかかった。
その効果は絶大だったらしく、次の日は昼過ぎまで布団から出ることができなかった。

他者の無遠慮によりワタシのライフが消耗したこの経験は、一方的に他者が悪いということではなく、私との関係性の中で生まれた相手の行動に対して私が勝手に反応した結果だと捉えている。
他者との関係性のはかり方に失敗してしまったという挫折感やどうすればよかったんだという後悔はちらつくものの、
ラインの友達削除をしながら「気にしたって仕方ない!もう過去の人!」と強気モードワタシを発動させてまた混沌とした社会生活に戻っていく。





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