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オアシスへ呼ぶさき

「ハイウェイオアシス?」

秋風薫る日。道央自動車道を函館へと走るブルーバードで、思わず声が出てしまう。
「あたし」にとって初めての北海道。彼氏とは何回もデートしてきたけど、初めてというのはいつでも新鮮に映り、聞こえる。長流別の橋も、一緒に見ようと約束した函館の夜景も。

その夜景を求めるさなかで、「あたし」は、豊浦噴火湾PAの案内に添えられた、何気ない一文に気を引かれていた。

「何か面白いの?」
「面白い……というより、『面白そう』なの」
彼氏が訝しむのも無理はない。ただ一見するならば、トイレと自販機以外にはさして特徴のない、典型的なPAであるにすぎないからだ。
それなのに、「ハイウェイオアシス」の文字が並んでいる、それだけで「あたし」は一種の特別な気持ちを抱いてさえいた。刈谷の温泉や観覧車とか、川島の水族館とか、およそ「サぱ」とは一味も二味も違う、胸に刻まれるような体験があったおかげで、夢を見ているせいもあるのだろう。
そして、「あたし」は元来から、普通じゃないというだけで首を突っ込みたがる。その危なっかしさでいつも彼氏を振り回して、時にはついていけなくして申し訳ないという気持ちはいつもある。

「そっか。きっとキミにしか見えないものがある。そうなんだと思う」
それなのに、彼は「あたし」をわかって、自分に興味がなかろうと「あたし」の気持ちを立ててくれる。
そこに自然にあふれる感謝と、いつもの申し訳なさとをないまぜにしたまま、気づけば建物の裏手に立っていた。

それは、およそ「サぱ」とは縁遠い、鬱蒼とした空間だった。

(えっ?これ、どこへ行けっていうの……?)

一応ガイドポストはあるが、それで本当に望む場所へ行けるのかも、わからない。音のない森と同じ、人が誰にも明かさずに持つ「内面」へと、誘っているような気がした。

こういうのも、「道」と呼ぶのだろうか。
いや、わかっているつもりではある。人が出入りする前提である以上、何らかの形で整えられてはいると。それでも、ただ森と道とがあるだけで、その「先」は曇天によどんで一つも見通せない。焦燥と惑いが「あたし」をも曇らせる。足先も迷わせ、衝動でしか動けなくさせる。

それでも――「羽ばたいたら戻れない」、それでも私は前に進みたい。どんな理由でもいい、自分の眼で、足で、そこにあるものをあるがままに見つめたい。

近くで初めてきこえる風、一瞬で過ぎ去る切ないささやきだとしても。展望台たろうとするも今やその主なく、たちどころに崩れゆきそうな孤独な運命であっても。
もろくとも運命に抗い、存在価値を世に問う姿は、ひとり"未知"へ駆けゆく「あたし」と重なっているだろうか。

オアシス。それは想いが行き交う場所。「あたし」の中の言葉のイメージ。
そこに人がいるから感情が生まれる。それを渡す相手がいるから、やがて伝播し、恵みを生んでいく。
でも、もしかしたらその相手は、大地や風そのものでもいいのかもしれない。もしも自然と直接交信できるのなら、遥かな空から自分を見つめるような感覚に浸れることだって、あるのかもしれない。

想像できるだけでも、ここに来た意味は、確かにあるのだろう。自分の意思で迷った意味が。
そしてやがて風は過ぎる。「あたし」をあるべき場所、待っていてくれる人のところへ還してゆく。
時間だけは待ってくれない。豊浦という場所が、まだ横顔しか見せていなくても。

「おかえり。どうだった?」
「不思議な場所。自分で行ったつもりだけど、呼ばれているような感じもして」
確かに、「あたし」は彼がいるから羽ばたける。でも、その前提を、どこでどう活かすかは、「あたし」の心のままにある。同じものは2つとありえない「サぱ」、そして「オアシス」を知るほど、その豊かさもきっと増えてゆくのだと、願いたい。

(筆:日本サぱ協会 書記 金子周平)

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