レベルを下げるのは苦痛

諸事情により
タブレットを使って課題を
提出しようとしていた。

しかしこの端末が曲者だった。

まずとんでもなく動作が重い。

普段比較的新しいパソコンを使っているので
余計重さに苛立ってしまった。

しかも反応も悪い。

この悪条件において
私のフラストレーションは
限界に達してしまった。

なんとか課題を提出できたが、
2度とこの端末を使って
課題を提出することはないだろう。


私はこの件で思い出したことがある。

それは生活レベルの話だ。

生活レベルとは普段の生活の
振る舞いにおける水準だ。

わかりやすく例えるなら
年収1億の人と年収300万の人。

両者の生活レベルの差は言わずもがなだ。

衣食住のレベルも差があり、
趣味などの自由度も大きく変わる。

使えるお金の自由度に絶対的な差があり、
金銭的・物質的豊かさが生活レベルに
直結するとみて良いだろう。

ただ生活レベルが高いことと
幸福度は絶対的な比例関係にはない。

しかし基本的に自由度が高い方が
望ましいことは一般論で言えば
間違いないだろう。


だがこの生活レベル。

一見高ければ高いほど良さそうだが、
そうとも言い切れない。

それは環境の変化により、
強制的に生活レベルが下がった時
如実に現れる。


先に挙げた両者の例をそのまま使用する。

仮に年収1億の人が300万まで下がった場合、
生活レベルは落とさざるを得ない。

そうなるとどうだろうか。

経済力の低下により、
普段できていたことができなくなっている。

これは多大なるストレスに違いない。

いつもやっていたことが
どれだけ恵まれていたか
理解できると共に、
辛い状況を呑み込まなければならない。


もしその辛い状況、ストレスに
耐えられなかった場合
生活レベルを維持しようと
無理をしてしまうことがある。

しかしそういった行為は
基本的に長続きするものではなく、
どこかで破綻してしまうだろう。

このことが示しているのは
生活レベルを下げることは
非常に難しいということだ。

それもレベルの差が大きければ
大きいほど辛く難しい。

身を滅ぼそうとしてまでも
前のレベルを維持しようとする。

それほどまでに
当人にとっては辛いことなのだろう。


逆に生活レベルをあげるのは
比較的簡単だ。

普段よりお金や時間を
費やせば良いだけだからだ。

それが続くとは言わないが、
下げることより
難易度は高くない。


つまり生活レベルとは
上げる事は簡単だが、
下げる事はその差が大きいほど
辛く難しいものとなる。

といったところだろう。

そして冒頭の話に戻る。


私は普段重さを感じさせない
ノートパソコンを使っている。

しかし今回タブレットを使ったが、
そのあまりの重さに耐えきれなかった。

もし常にタブレットを使っていたら
こんな苦痛を味わう必要はなかっただろう。

まさに生活レベルを下げるのと
現象が起こっている。


レベルを下げるのが辛いのは
生活という大きな枠組みだけでない。

私が経験したように
デバイスでも生じる現象だ。

そのため、最新機種を使うことが
全てにおいてプラスに働くとは
言えないだろう。


課題提出の件で
かなり腹立たしい気持ちになったが、
この話を思い出せたのが
唯一の収穫といえる。

生活レベルはもはやベースになっているが、
デバイスまでは考えていなかった。

とは言えデバイスのレベルを下げようとは
思えない。

レベルが下がった時を考慮するより、
下がらないように対策する方が
圧倒的に効率的だからだ。

様々なことに生活レベルと
同じことが当てはまるが、
下がらないように対策するもの、
無理に上げないものの
二つはきちんと見極めなければならないだろう。


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