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知的な人間は本物と偽物がいる

私は稀にありがたいことだが
知的だと言われることがある。

その評価はとても嬉しいが、
自分自身を評価するならば
私は知的な人間ではない。

どちらかというと
知的に見られたい人間であり、
本当は知的な人間ではない。

しかし目標は達成されているので
その評価は狙い通りであるが。


とにかく、私は決して
知識が豊富にあるわけではない。

本物の知的な人、知識人と比べれば
月とスッポンである。


であれば、
どうして私は知的と思われたのか。

ここを追求していけば、
自分が知的に見られる方法や
本物と私のような偽物の見分け方が
わかることだろう。



私は自分が何かをしたい、言いたい
という願望を実現させる能力は
あると思っている。

つまり何かしたいことがあれば、
場の流れに乗るか操り、
自分のしたい方に持っていくのだ。

その力をうまく使って
知的な人間と思わせることができる。


知的に見られるためには
どうすればいいだろうか?

そこで私が考えたのは
自分の持っている知識や例えを
相手に見せつけることだった。

しかし会話の流れを断ち切り、
自分の知識をひけらかすのは
ただの痛いやつだ。

そのため自然に見られる必要がある。

なので知的に見られるであろう
知識や例え話を会話の流れにのり、
或いは会話の流れを操り
相手に見せつける。

これが私が常日頃からやっている
知的に見られるための行動だ。


しかしこの行動はたまに失敗する。

自分が言いたい知識があっても
中々自然に言えるタイミングが訪れない。

そうなれば知識を披露できず、
失敗という風になる。

だが常に狙う姿勢が大事であり、
数撃ちゃ当たるのが今までの経験だ。

そうして成功を繰り返していけば
いつか知的な人間と見られるだろう。



こうして私のような偽物は
知的な人間と思われることがある。

だとしたら、
本物と偽物の決定的な違いとは何か。

私が考えるに、
本物はその場にあった知識を
披露することができる。

しかし偽物は
自分が披露したい知識を
披露する。

ここが決定的な違いであろう。


本物は知的に見られるための
努力や行動を起こさなくても、
すでに知的であるため
そういったことをしなくてもいい。

そのため自分が言いたいことを
言おうとしない。

自分で流れを変えたりせず、
その場にあった適切な知識を
披露することが可能だ。

偽物が能動的に知識を披露しにいくのに対し、
本物は受動的に知識を披露することができる。

知識の量が果てしなく多いので
できる芸当だろう。



違いが明確になったため、
判別も多少しやすくなった。

偽物は場の流れを自ら変え、
話したい知識を自然に言える状況を
作り出そうと努めている。

そのためそういったことをしていたら
偽物の確率が高いだろう。

本物であれば、
自ら状況を作り出す必要は
ないのだから。



今回書いた方法や見分け方は
全ての人に当てはまるわけではない。

ただ私の行動や考えをベースにし、
仮説を立てたに過ぎないため、
全てを鵜呑みにするべきでないだろう。

なのでこういう考えの人がいるのかと
参考程度に収めていただきたい。

しかしこの方法を使って
私が一部の人から
知的だと思われたのは事実である。


そして偽物といっても
決して知識がないわけではない。

私の場合、いつか本物になるべく
様々な知識を吸収している。

まだ本物ではないけれど、
いつかはそうなれるために
努力をしているのだ。

それだけは理解して頂きたい。

偽物も本物には敵わないが、
努力をしていることを。



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