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事故現場のお供え物は必ずしも良い行いとは言えない

最近交通事故や事件を
よく目にする。

その全ては悲しい出来事であり、
2度と起こってほしくないものだ。

しかし今回書くのは
事件事故の具体的な話であったり
解決策ではない。

その現場に必ず現れる
お供え物についてだ。


お供え物は亡くなった方への
追悼の意を込めている行為というのは
しっかり理解している。

事実花やお菓子、飲み物などを
実費で買っているのであろう。

だが考えてみてほしい。

その追悼の意を込めたお供え物は
そのあとどうなるだろうか?


調べてみるとこんな記事があった。

善意であるはずのお供え物によって
かえって迷惑になっている地域も
すでにあるらしい。

この記事の2ページ目には
大津市の事故現場には大量の献花が
供えられていたそうだ。

しかし歩道の点字ブロックまで置いてあり、
ネット上で物議を醸している。

いくらお供え物でも
近隣住民に迷惑をかけてしまっては
本末転倒であろう。


私はこの現象を見たときに
あることを思い出した。

それは被災地に送られる千羽鶴だ。

送る側は悪意をもって送っている
という訳ではないだろう。

しかしその実被災者からすれば
スペースを取るだけで
迷惑という声が少なくない。

思惑が入れ違う形で
一方は被災者に貢献したという
満足感を得ているが、
一方は俄然厳しい状態のまま。

かえって迷惑になっているなら
むしろ悪化していると言える。



なぜこのようなことになっているのか。

これはお供え物をする方が
お供えすることに夢中になっていると
私は考える。

事件や事故自体は悲劇だが、
お供えするという良い行いに
熱が入りすぎるあまり
その後どうなるのか、
誰が処理するのかを一切考えられていない。

悪意がない分扱いが難しいが、
お供えするときは
今一度冷静になってからすべきであろう。

決してするべきではないとは言わない。

しかしお供え物によって
一種の二次災害が生まれるのは
あまりにも自己満足に見えてしまうのだ。



一つの感情に支配されて行動するのは
良いこととは言い難い。

今回の場合であれば
悲しい、可哀想といった感情のみで
お供え物をすることによって
こうしたことが起こっている。

自分の行動によって
どこかに迷惑がかからないだろうか、
ただの自己満足にならないだろうか。

こうした疑問を行動する前に
持つべきだろう。

いつ如何なる時でも
冷静であることは重要だ。

例え良い行いであっても
一考するべきだと言える。

自分にとっては良い行いでも
他人から見たらそうでないことは
充分にあるえることだから。



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