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尺度を変えて客観的に

今日はとても雨が降っている。

思わず外に出るのを
躊躇ってしまうほどだ。

それに雨の日はあまり好きでない。

それは晴れの日に比べて暗いからだろうか。

それとも濡れるといった
マイナス要素からだろうか。

どちらでも構わないが、
とりあえず日課となっている
noteをこうして今は書いている。


もしかしたらこの雨は
梅雨の訪れかもしれない。

そう思った私は天気予報を見たが、
どうやら明日から30度近い気温が
続くらしい。

梅雨を通り越して夏になってしまうのか。

雨が好きでないとはいえ、
暑い日が続くのは聞いていない。

近頃は春や秋が行方不明になりがちだ。

四季がいつかなくなってしまうような
そんな気配すら感じる。

徐々にではあるが、
世界的に天候がおかしくなっている。

そう思っても仕方がないほど
近頃は変な天気や気候が多い。


最近は異常気象という言葉を
よく耳にする。

例年より早いであるとか
過去最大であるとか。

私はそういったことを聞くたびに
規模感の問題ではないかと思ってしまう。


私は気象に関して学があるわけではないが、
例年に比べてといった言葉は
過去の統計に基づいていることは
想像できる。

つまり比較対象は集計した
過去のデータということになる。

過去最大の〜といっても
せいぜい数百年規模での比較でしかない。

私が何を言いたいのかというと、
地球規模で言うならば
誤差程度のものでしかないのではないか

と言うことだ。


数百年集計を取ってきたといっても
地球規模で見れば一瞬である。

となれば過去最大というのも
ちゃんちゃらおかしいものに感じてしまう。

まだ五月なのにこれから30度近い気温が
続くと予想されて、
過去数百年で見れば異常かもしれない。

しかしもっと長い期間で見れば
もっと異常な時はあっただろう。


だがこの尺度を変える考え方は
欠点が存在する。

それは比較対象が大きくなりがち
という点だ。

今回の場合は、
遥か昔と比べても研究者以外は
メリットが少ないだろう。

一般人からしたら
天気に関して気にかけるのは
生きている間のみである。

そのため大昔がどうだったかは
果てしなくどうでもいい。

気になるのは生きている時の気温であり、
それが少し前と比べてどうなのか
といったところまでであろう。

研究者であれば研究が目的なため、
遥か昔のデータも必要だろうが。


逆にメリットは何かと言うと、
より広い視野で見れることだ。

例えば、AさんとBさんが忙しいと
感じていたとする。

しかし忙しいといったものは
主観的に感じてしまうものである。

そのためここで尺度を変えてみると
客観的に自己を省みることが可能だ。

AさんはBさんと比べることにより
無駄な時間や習慣により
忙しくなったと気づいた。

そのためそれらを改善することにより
前ほど忙しくなくなった。

これはあくまで例え話だが、
自分の世界だけで自己完結せず、
比較対象を作り考えられることが
尺度を変えるメリットだと思う。


尺度を変える考え方は
使い方によっては良い働きを
もたらしてくれるだろう。

しかし使い方を誤れば
マイナスになってしまうので
注意が必要である。


そんなこんなで書いてきたが、
それにしても雨が止まない。

私としては一刻も早く
雨が止んでくれると助かるのだが。

だがこれも尺度を変えると
雨の日が好きな方もいるだろう。

そのため雨が止むことが
一概に良いこととは言えなくなった。

私は尺度を変える考え方が
どうやらまだ下手なようだ。


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