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器に何を入れられるかが充実感の正体

最近何かと自分のことが
空虚に感じることがある。

一概にその理由は断定できないが
それはきっと充実感なのかもしれない。


私はまだ学生の身分なため
必然的に周りも学生ばかりになる。

その彼らはとても輝いていて、
強い活力を感じる。

好きなことをし、サークルに入り、
日々を楽しく過ごしているのであろう。

それはあくまで私からみた彼らなので
本当は楽しくない時もある事は承知だ。

しかし私からみてそう見えるのだから
大方は楽しいことが多いはず。

すなわち彼らは学生の時間を
有意義に使えていると言えるだろう。


これに対して比較をしようがしまいが
私が楽しい日々を送っているかと言われれば
否定せざるを得ないのは事実。

何か日々に活力がない。

例えば部活のように打ち込めるものや、
恋人や趣味のように心躍るようなものもない。

いや、趣味がないと言えば嘘になる。

しかし、時間やお金を大量に消費しても
構わないと思うようなものではないのだ。

どこか漠然としていて、
そして打算的にしか生きていない。

将来への不安や恐怖に怯え、
それに備えるようなことしかしない。

それを周りの人が褒めてくれることがある。

ありがたいことではあるが、
私の場合はそんな大層なものではない。

どこか空虚な自分を埋めるための
要素に過ぎない。



私は最近人生というものは
器のようなものだと考え始めた。

そしてその器に各々が
経験や知識、持っているものを入れていく。

人生の充実感というのは
その器の内容によって変化する。

しかし人によって価値観は違うため、
ある人にとっては面白くないものでも
ある人にとっては面白いものになる。

そのため人生の充実感というのは
人によって変化して然りなのだ。

器に何が入るのかは
各々の人生次第だ。


だが最も危険なのは
器にものが入っていない時。

これでは何も判断できない。

器の中にものが入っていて
ようやく人生というのは評価できるからだ。

何も入っていない器ほど
虚しいものはないだろう。


私はというと決して空ではないが、
満足できるほど入ってもいない。

そのためその空虚を埋めるために
インターンを探したりしているのだ。

もちろんインターンに行こうとしているのは
それだけが理由ではないが。




これからまだ先が長いといっても
このまま生きていても活路は開きにくいだろう。

もし少しでも人生の満足感をあげたいのなら
考え方や生き方を変える必要がある。

私自身今の生き方は自分自身が
得するか若干未知数なところがある。

確かに経済的な観点から見れば
良い方向に進みつつあるのかもしれない。

しかしその代償といっては何だが
満足感が著しく欠如している。

人生における楽しみを放棄してまで
経済力は果たして必要なのか。

答えは否であろう。

現在の生き方と人生の満足感を
うまいこと両立できないものか。

早急に対策が必要である。

器の内容に満足できるようになるためにも。

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