おぼえがき(昨日の最高裁の件をうけて)

現在の姓が4つ目で、かつて「家族」だった人たちはそれぞれ全員違う姓だけどそれぞれと仲良くやってる、親戚にお歳暮とか送るときはお店の人に、「荷物に私の姓が表記されないようにしてください」とかいちいちお願いしてる個人として、なにかコメントしたほうがいいのかしら。とか無駄に考えてしまう日でした。

とか書くと、超絶別姓推進派と思われるかもですが、もはやちょっと超越しちゃってそうでもないです。

どちらかというと、「選択的姓不使用制度」について意見交換したい。という立場です(笑)

姓について、いろいろと不都合な事態があって勉強したときに思ったのは、

「制度」としてはまあまあいろいろ用意されてるけど、運用であるとか、慣習(とか社会の目とか社会の目を気にする気持ちとか)のほうが大きいっぽい。ということでした。

だから今回、あくまでも「制度」として考えたとき、そこに男女差別があるわけではないので

原告側の主張では、同姓にしとこうねとする決まりを違憲とするには弱いかもしれないなとも感じていました。

(ちょっと複雑だけど、同姓にしとけよっていうのが合憲ってだけで、別姓は禁止っていう判決じゃないからね。)

今後、選択的夫婦別姓制度が通っても、ある意味面倒なことも増える(選択の自由があるってことは、ある意味めんどくさいわけです。たとえば、子どもの姓はどっちかにしないといけないとか、そうやって離婚して、子どもが名乗ってない方の親につくことになった場合とか、めんどくさい)ので、すべてが解決するわけでもないと思っています。

名前というのは呪いみたいなもので、使ってると、それが自分自身だと勘違いしてしまう。

そうじゃないんだよってことを認識するところからじゃないと始まらない気がしています。

原告代表のおばあちゃんも、たぶん、「嫁」という立場で苦労したというお母様の姓じゃなく、生まれたときの姓を大事にしてるんでしょう。その時点で、彼女の重荷である家制度の呪いに縛られてるんです。(調べずに書いてます。ちがったらごめんなさい)

僕も、最初の苗字は気に入ってたので、2つ目になったとき、まさに、いままでの自分が否定されるような、自分が自分でなくなってしまうような気持ちでした。3つ目の姓は正直、病院などでしか使いませんでした。

今はもはや達観してしまっているところはあるけれど、その痛みを忘れて他人事にしてはいけないなとも思っています。

あ、もし、自分が自分でなくなるとか言ってバカじゃねーの?のようにお考えの、姓を変えてない方の既婚者の方、いらっしゃったら、今からでも変えられますので、是非変えてください。

(相手の方の先祖の姓を受け継げますよ!)

方法は3つ。

●離婚して同じ人とすぐ再婚するか、

●家庭裁判所に姓を変えたいですって申請するか、

●選択してない方の親と養子縁組するか。

だそうです。

姓を変えることのめんどくささが実体験できます。

姓は、インデックス機能としての便利さもあるので、なくしたらなくしたでめんどくさいのもわかるし、こうするのがいいよ!とはなかなか言えないけれど、「名前」というものがもっと軽いものになって、実は古くもないくせに伝統ヅラしてる慣習から自由になって、名前なんかに気持ちを縛られて苦しむ人が減りますようにと祈るばかりです。

あ、パスポートのサイン、下の名前だけにしとくと、変わった時も不自由なくて便利ですよ。

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