1992 第二夜(全四夜)

あたらしい家は、高校まで歩いて行ける距離のボロい借家だった。トイレは和式のくみ取り式。部屋は6畳が2つの続き間と3畳の部屋がひとつ。家賃は2万8千円だった。

本当は3万円だったんだけど、二千円安くしてもらったの。

母が得意気に言った。

僕には6畳の部屋が勉強部屋として与えられ、もう一つの6畳が居間。3畳の部屋が母の寝室になった。ここで母と二人暮らしがはじまった。

カエルのおじさんは、稀に顔を見せることもあったが、僕はほとんど口をきかなかった。

翌朝、歩いて高校の入学式に行った。

そこで、クラス分けが発表され、時間割が書かれた紙を目にした。

音楽… 芸術の授業のところに、音楽と書かれてあった。

僕の第一希望は美術だった。それ以外考えられなかった。

実は、高校に合格してから、入学式までの間、一度学校説明会のようなのがあり、そこで、美術、音楽、書道の三択で芸術系の希望をとるアンケートに記入させられたことがあった。

その記入用紙には、「美術大学等の進路希望がある場合はその旨も記入すること」という但し書きがあった。このとき、僕には美術系に進みたいという気持ちは既にあったが、そっちに進んではいけないのだとも考えていたし、どうせ反対されるからその気持ちを親に知られてはいけないと思い込んでいた。僕にとって大人は相談できる相手ではなかった。ここに書いたら先生に知られ、そして親に知られてしまう。そう考えたら、どうしてもそこに記入することができなかった。そして、同じ中学の先輩の「美術は人気ないから第一希望にしておけばたいていいけるよ」という助言も勝手に信じてしまっていた。

担任になった先生に芸術のクラスを変えられないか直談判したがムダだった。進路の希望に関しては、他の選択肢についても考えはあった。しかし、失ったものは大きく膨らむ。目の前が真っ暗になり、一度退学して来年受け直そうかとかグルグルと考え込んでしまった。3年無駄にするより、1年無駄にするほうがいいんじゃないか。 笑われるかもしれないが、そのくらい盲目的だった。

入学式が終わり、また教室に戻ったところで、僕は先生に呼び出された。

「宮腰、おまえのお父さんがなんか用事があるみたいで来てるぞ。」

そりゃそうだ。いくらこっそり夜逃げしても高校の場所はわかる… どんよりした気持ちで正面入口に向かった。

「いやーびっくりしたよ!家に帰ったらおまえたちの荷物がなくなってるんだもん」

父は冷静さを保とうとしているように見えた。

父に住所を聞かれた。

これは言い訳だが、僕は大人になってから、新宿南口と西口の間の交差点で信号待ちしてるときに、ヤクザに突然銀行口座の残高を聞かれて正直に答えたことがあるほど、聞かれたことには正直に答えるタイプだ。

父はトライアスロンをやってて割とムキムキであったし、暴力を振るわれたらかなわない。正直に答えないことが怖かったのである。僕には彼を突き放す勇気がなかったし、嫌いになりきれないチャーミングなところも彼は持ち合わせていた。

家に帰ると、案の定、父が玄関に座り込んで母と口論してた。母は、「なんで教えたのよ」という顔をした。

父は、母に対して、文句だのなんかいろいろぶつけ、そして帰っていった。

その言葉は、母から聞いてるストーリーとは噛み合わないものが多く、ケンカしてる人がいたとき、片方だけの話をそのまま鵜呑みにしてはいけないんだなと深く理解した。だが同時に、父のストーリーに全く説得力を感じることができず、人は、それぞれのストーリーの中でしか生きられないんだなとも思ったのであった。(この言葉は、いまの自分にそのままブーメランになって飛んでくるわけだが)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?