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ドイツ中部で4万5000年前の人骨発見

ドイツ中部テューリンゲン州のラニス城にあるイルゼン洞窟を発掘し直し、約4万5000年前と推定される現生人類(ホモ・サピエンス)の骨片化石を発見したと、独マックスプランク研究所などの国際研究チームが31日付の英科学誌ネイチャー電子版に発表しました。

2024年02月01日
JIJI



独イルゼン洞窟

独イルゼン洞窟は岩山の下部にあり、上部には中世になってラニス城が築かれました。最初の発掘は1930年代に行われ、細長い木の葉のような形の石器が多数出土しました。4万数千年前は旧人類のネアンデルタール人から現生人類への移行期に当たり、人骨と断定できる化石が見つからなかったため、どちらの人類が石器を作ったかが長らく不明でした。

 国際研究チームは2016~22年に再発掘し、前回の発掘で調べられなかった地下の巨岩の下も調査。新たに見つかった骨片化石を前回出土して保存されていた骨片化石とともに最新の技術で分析したところ、細胞小器官ミトコンドリアのDNAやたんぱく質から現生人類の骨片を13個特定できました。放射性炭素に基づき年代も測定しました。

 トナカイやバイソン、シカ、ウマなどの骨の化石も分類でき、狩りをして食べたとみられます。

2024年02月01日
JIJI

ドイツ南部で6800年前の人骨発見、身長は異例の約1メートル70センチ

ドイツ南部バイエルン州で、紀元前4800年頃に生きていたとみられる男性の骨が見つかりました。考古学者によれば、埋葬品からみて、おそらく村の長老か初期の「村長」だったと推測されます。身長は1メートル70センチ程度と、当時としては異例の高さだったとしています。

2024/05/17
ロイター(Reuters Japan)

束の間の寒冷期と原ユーラシア人

後期更新世を概観すれば、温暖期/寒冷期といった単純な区分どころか、そこには急速に波動(変化)する環境条件があったことをみて取れます。
実はヨーロッパにネアンデルタール人がいた時期の大部分は、環境と気候条件が両極端の時代の中間期でした。

ヨーロッパのような北寄りの大陸では、このような時期を最も特徴付けるものは、豊かな草の重なりと植生の固まりをんで暮らす大型の草食動物の群れが集う景観でした。

ネアンデルタール人が数万年もの間の暮らしを営んだのは、長期に続き、高い(食料)生産力を備えた、こうした開けた景観の中でであったのです。

ネアンデルタール人とは誰か
クリストファー・ストリンガー
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七万年前~六万年前まで、大きな寒冷期が存在し、四万年前頃になると小規模な気候の改善が見られましたが、その後は急速で持続的な気温低下の傾向が生じました。

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この束の間の寒冷期に、ヨーロッパや南シベリアにいたネアンデルタール人は中東に戻ったのかもしれません。

逆に、この時代の中東にいた原ユーラシア人(クロマニョン人の祖先集団)の一部がヨーロッパ北部へ移住したのです。


脳の大きさ

化石化した脳自体は見つかっていませんが、人頭骨の内側から型をとったシリコンゴムからネアンデルタール人の脳の全般的なプロポーションは、詳しく分かっています。現代人の脳は平均で1200~1500ミリリットルですので、脳容積が平均で約1600ミリリットルもあったネアンデルタール人の方が、脳が発達していた可能性があります。

奇妙にも、大きな脳はヨーロッパとアジアの最古の現生人類の特徴でもありました。

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誤ったイメージ

ネアンデルタール人がマンモスに投石し、今にも折れそうな槍や棍棒でバイソンやケナガサイのオスの成獣をしとめている復元図を画家や映画作家が描いていますが、こうした光景がしょっちゅう展開され、こうした行動がその種の大型獣を殺す方法だという証拠は不十分だと、フランスの人類学者は考えています。

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約十二万年前の西南フランスの遺跡では、全獣骨の93%がメスのオーロックスと仔牛の骨です。この様子から、ネアンデルタール人は計画的で、組織的な狩猟を行っていた、と推定されます。

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フランス旧石器考古学の失敗体験

ネアンデルタール人は、決っして孤立した集団ではありませんでした。

二十万年間の彼らの生存期間に、地球上にいた唯一の集団というわけではなかったのです。南はアフリカで、東はアジアで、密接な関係はありましたが、彼らは形質的に異なった別集団に囲まれていました。

新世界は未だ発見されておらず、ヒトが移住してもいませんでした。

これら全ての集団(古代型人類)は、似たような製作法で、同じような石器の形になるような、自分たちの石器文化を共有していたのです。

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石器の形式学という手法やDNA遺伝子という手法は、今では脇に退き、人間行動のモデルに大部分は取って代わられるようになりました。

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ヨーロッパ人種との遭遇

四万年前~三万年前にかけてのヨーロッパを想像するとすれば、その想像図は、以前から住んでいた先住民と侵入してきた集団とが遭遇した、というものになります。

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遺伝学者によれば、現代のヨーロッパ人と東アジア人が分岐したと思われるのは、六万年前より後だったといいます。

この分岐年代が正確とすると、
『現代ユーラシア人と先住アメリカ人の共通の祖先集団が(北東アジアに)いたかもしれない』とフランスの古人類学者らは推定しています。

(しかし、極東の民族学者は否定しています。)

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後期旧石器時代初頭(約45,000年前)の
独イルゼン洞窟で発掘された石器。
現生人類(ホモ・サピエンス)が作ったと推定された
(ドイツ・ラニス城博物館提供)

黒曜石製の槍先形尖頭器
約3万年前の磨製石器
ねずブロ、012/01/13
(岩宿の発見)

新天地への拡大

古代型人類の分布圏全体を通覧すると、新人よりも小規模な社会しか持たなかった結果を追跡できます。アフリカからの第一次拡散の間も、いくつもの環境と地形が、人の移住を拒み続けました。
こうした例には、島と山脈、広大な砂漠、熱帯雨林、シベリア北方森林がありました。こうした所へ進出できなかった理由の一端は、たぶん大陸性の厳しい気候がありました。例えば極北圏では、今日でも冬季の気温は、桁外れの水準にまで低下するのです。

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しかしもっと重要なのは、そのような環境では、食料の確保が不確実なことです。今日、シベリアとカナダに暮らす漁労採集狩猟民が、立派に暮らしているように、こういう土地で生活を営むのも不可能というわけではありません。それでも彼らのきわめて希薄な人口密度が、まさにその困難さを明示しているのです。

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こうした環境で生き延びていくには、先を見通した計画性と、狩猟・採集の労働時間と人員配分の綿密な予定作りが絶対に必要です。更に、こうした環境の居住民には、定期的に襲ってくる自然災害などの災厄さいやくを緩和してくれる社会的連絡網も不可欠です。

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もし、東シベリアに古代型人類がいなかったのならば、それはその環境での食料資源と古代型人類の社会システムとがうまく調和できていなかったことを、指し示しているのでしょう。

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