アンテナ

1も2も満喫したNOW AND THENですが、vol.3は特に楽しみにしていたものでした。


というのも、アンテナは思い入れの強い作品だったからです。
くるりのアルバムはそれぞれに特色があって、観点によって見方も変わり、どれが一番とは言い難いのですが、アンテナは最も好きなアルバムの1つです。

まず、私がリアルタイムで聴けた中で編成が最も好きだった時期のアルバムだというのが一点です。

絶対に揺るがない岸田氏&佐藤さんという確固たる地盤に、達身さんのギターが乗り、ギター2本が絡み合う硬質なサウンドは、ライブで私が最も気持ち良く酔えるもので、一番くるりを聴いていた時期の素晴らしいライブ体験と共に強烈に心身に刻まれています。
当時はNIKKIやワルツを踊れの時期で、勿論それらもものすごく聴き込んだ大好きな作品なのですが、やはり、私をくるりの虜にした原点は0506年越しライブで、生の音、演奏に圧倒されたいという感覚が強いので、くるりのライブのために生きていると言っても過言でないくらいに傾倒してライブ通いをしていた時期に、特に好んで聴いていたのがギターサウンドが効いていたTHE WORLD IS MINEやアンテナだったのです。

そして、アンテナには東中野での思い出も一緒について回ります。

くるりが大好きでたまらなかったあの頃、私はCDケースの裏に入っていた岸田氏の手書き地図を頼りに、ペンタトニックスタジオを探す旅に出ました。

見つけるまでに全部で4回くらいかかったかな。友達を巻き込んで探検したり、一人でおかしいおかしいと思いながら何度も同じ場所をぐるぐる回ったりしました。完全に不審者ですね。一人の時は東中野までも自転車で行ってみたりしたので、その時点で散々迷ったりもしてました。笑
  あの地図、やっぱり分かりにくいと思う(笑)少なくとも親切設計では  ない。地図からすると絶対この辺にあるとしか考えられないって思って  いた場所は、現地から遠くはなかったけど、ずれていた気がする。
結局、これでは埒があかないと思った私は、無謀にも、まるでドラクエみたいに街の人に声をかけてスタジオを探してみることにしました。結果、途中で韓国のお姉さんに教会に連れて行かれたりしながらも、現地近くまで連れて行ってもらい、ちょうどその辺りを歩いていたバンドマン達がいたので、「これは!」と思い、聞いてみると「あそこらしい」という形で教えてもらうことができたのです。
現在もペンタトニックスタジオがまだ存続しているのかどうかが分からないので、念のためぼかした書き方をしますが、その探検の過程で見つけたお店が私は気に入り、探検後も東中野にちょくちょく通い始めました。

そこは長崎出身のマスターが切り盛りしている洋食屋さんだったのですが、良心的なお値段でおいしいものがお腹いっぱい食べられるので最高でした。私の食べっぷりが良いせいか、マスターにもかわいがって頂いて、裏メニューを出していただいたり、色々お土産をいただいたりしていました。

ドアを開ければ「ああ、いらっしゃい」と言ってくれるマスターがいて、だいたいいつも定位置に常連のタクシー運転手のおじちゃんがいて、誰が見てるんだかわからないけどテレビがついていて、一度も読んだことはないけどマンガが置いてあって。たまに近所のお店の人がやってきたり、配達の人が来たり、逆にマスターが近所に出て行ってお留守番をすることもありました。そんな中でまったりご飯を食べて、他愛のないおしゃべりをして、満足して帰る。その空間はとても温かく居心地の良いものでした。

いつでも行ける場所だったし、実際、不定期で行きたいと思う時に通っていました。それがずっと続くと思っていました。311の後、くるりが京都へ帰ってしまった後にも。

でも、あれは2012年の春だったのかな、しばらく忙しくてお店に通えなかった後、2週間ほど海外に出て、帰ってきてからお店に行ったら、閉店の貼り紙があって、私はその場を失ってしまいました。最後にお店へ行った時には、閉店の話なんて全く無かったし、本当に普通にご飯を食べて当たり前に「また来る」って思って店を出てしまった。だから、マスターにお別れのご挨拶をすることもできなかったし、閉店なのか移転なのか、そもそも長崎に帰ってしまわれたのか、奥様のご病気で何かあったのか、その辺のことも全くわからない。

そして、私は最後まで名乗らなかった。だから、顔を合わせれば「ああ(あのくるり好きでよく食べる子ね)」となるだろうけど、それ以外の方法でマスターは私を知らない。どこかでまたお店をしているのなら、ご挨拶に行って、また食事をしたいと思うけれども、私はそれを探すことはできないし、マスターも私のことを知らない。

何だかものすごく不義理をしてしまったという思いもあり、お店が無いなら理由も無いので、ここ数年、東中野には降りたことがありませんでした。

アンテナと東中野は、失ってしまったくるりへの想いと、その中で過ごした日々の象徴として、好きと寂しいが混ざりあった、でも大切な懐かしい存在であったのです。

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