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「いいパートさんしかいないです」


人生生きていると色んな選択に迫られる。
今まで生きてきた中で多分一番最初の大きな選択、決断は高校受験。その次に大学受験、就職、結婚、、など生きていると誰しもが決断しないといけないことが向こうからやってくる。
私も人並みに色々選択と決断を繰り返してきたと思っているけれど、ここ最近で一番「我ながらいい選択をしたなぁ」としみじみ思っている件があるので、この企画の中で書き表せたらと思っている。

シンガポールへの転居

ここ、シンガポールに夫の転勤で引っ越してきたのは2016年。その前に別のアジア圏で生活していた我が家、子どもが小さいことと就労のビザ取得が難しいことを理由に私は就労することを諦め、主に子育てをして過ごしていた。
でもシンガポールに夫の転勤が決まったとき、真っ先に思ったのは「私も仕事できる!」ということ。
当時シンガポールでは帯同ビザでも比較的仕事を見つけることは難しくない、ということを駐妻友達から聞いて知っていたので、今度こそ働きたいなと思っていた私は「仕事ができるチャンスがやってきた」と喜んだ。

シンガポールで職探し

数ヶ月経ち、無事にシンガポールへの引っ越しを終え、そろそろ就活しようと数社に会社に履歴書を送付。
新卒の頃からやってきた編集や制作に関わる仕事にしようと思い、それが叶いそうな会社に片っ端からアプライ(応募)。5、6社ほどアテをつけた会社に求人の有無を問い、3社から連絡をもらい面接。面接後、「よかったらいつでも仕事に来てください」とお返事をいただいた。

ある会社との出会い

その3社に加えてもう1社。求人有無の問い合わせメールをしてからひと月以上経過して「よかったら面接に来てください」との連絡が。
既に他の3社から連絡をもらい、どこで働こうかなと考えていた矢先のタイミング。
一応行ってみるか、と面接を受けることに。

CBDにある日系カフェで社長と待ち合わせし、改めてその会社の事業内容やその年に会社を立ち上げたばかりだということ、今ちょうど私が応募したポジションで求人を出そうと思っていたこと、求めている仕事内容や週の出勤日数などを伺いつつ、「社長さん良い人そうだな」って第一印象を持った。
先に受けた3社と同様、「もしやっていただけるならぜひ」と言っていただき、なんとなく今までの会社よりここがいいかな、と他とは違う感触が不思議とあった。

面接の最後に私から「他に働いているパートさんはどんな方がいますか?」と聞いたら。
「これだけは外せないというポイントで採用させてもらってて、僕の独断かもしれませんが本当に良い方だと思う人を採用しています。なのでうちにはいいパートさんしかいないんです」
文字にするとちょっと怪しい感じのするこの一言。でもこの最後の一言で、私はこの会社で働こうと決意した。

時は経ち・・・

あれから7年。私は今もその会社で同じポジションで仕事している。
会社は最初こそ手探りのような感じだったが、事業を少しずつ広げ、スタッフの数も私が入った時の10倍以上になった。
そして同僚達は本当に驚くほど良い人ばかり。少しくらい変な人がいるのが会社ってもの、と思って生きてきたのに、おそらく社長の面接を通して入った人達が皆、自分と同じようなタイプの人ばかりなのか、居心地がいい。やり方や考え方、世代の違いなどでぶつかることもありそうなのに、ちゃんと話し合えば理解し合えるし、意見を言っても変な捉え方をする人がいない。
あの時の社長の一言は、今から思い返しても不思議なパワーがあって忘れられない。でもその言葉を私は信じてよかったと心底思う。

7年も同じ場所にいたことなんて、おそらく人生の中では初めての経験。新卒の会社は5年勤務だったし、小学校だって6年。同じ会社で同じポジションで、少しずつ会社の成長とともに内容が変わりつつも、軸としてやらせてもらっていることは変わらない。業務は大好きだし、こんなラッキーなことはないと思っている。
(写真は仲良しパート4人で今は閉店してしまったPool Grillでランチした時のもの)

新たなステージへ

ただ、シンガポールの外国人に対する制度の変化から、会社での立ち位置や働き方がこの秋から少し変化がありそう。どうやらここが私と会社との関係性が変わる時、ターニングポイントかなという気がしている。

これからは違う形で関わることにはなるけれど、社長との初めての顔合わせと、きっとここなら大丈夫と思ったあの時の自分の直感、あの選択は一生忘れないと思う。
この会社で経験させてもらったこと、素晴らしい出会いを糧に、これからも羽ばたきたい。

#あの選択をしたから

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