見出し画像

両親を大切にする。ということ。

両親を大切にしましょう。という習慣は昔からあった。
母の日、父の日、敬老感謝の日。
もちろん、いままで自分を育ててくれた人たちに対する感謝を持て。
ということなのだろう。両親を大切にすることは
世間体、伝統、常識とも言える。
しかし、大切に丁寧に愛されて育ったわけではない子供まで
両親を無下にできない。自分が大人になった今でも大切にする。
というのは本能がそうさせるのだろうか?
親になれば、特定のホルモンが分泌されるなどしてわが子への愛情が深まり、関心が出てくる。という現象がある。全員には当てはまらないかもしれないが、こうした現象は科学的にも証明されているはずだ。
それは赤ん坊は一人では生きていけないし、親も親で、次世代に子孫を残さなければならないという、遺伝子に刻まれた本能の元、そのように意識が向くのは理にかなっていると言える。生存戦略に基づいていると言える。
しかし、自立して一人でも生きていけるようになった、もしくは自分のこと以上にほかに守るべき存在を持った大人が、老いた自分の両親を大切に想ったり愛情を持つことに何の意味があるのだろう。これは、純粋な疑問であり、決して両親を大事にする意味が分からないだとか、自分は大切にしたくないと言っているわけではない。自分の中で積極的に説明のつかない言動や現象は本能や潜在意識、遺伝子からの何か知らのメッセージだと考えているからである。自分の意思とは少し違った力が作用しているのであれば、その正体が知りたいだけなのである。
なぜ幼少期に虐待やネグレクト、暴行を受けた子供が将来も両親を大切にしたりするのだろう?と、純粋に疑問に思ったからなのである。
きっとこの疑問にもそれなりに証明された何かしらの答えがあり、きっと私がそれを知らないだけなのだろう。退屈な時間しのぎにそれを考えることも悪くはないだろうと思う。

よろしくおねがいします⁽⁽ ( ˊᵕˋ ) ⁾⁾