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仏教を知るキーワード【10】空 ~すべては因縁によって作られた幻~

初期仏教では「無我」の同義語として扱われ、大乗仏教思想ではとくに重要視された

空(くう)は般若心経の「色即是空」という熟語とともに親しまれている仏教語だ。無常・苦・無我の項でも述べたように、初期仏教では、自己観察を通して五蘊や六処などを無常ないしは苦、あるいは無我と発見すべきことが説かれる。般若心経の冒頭でも、「観自在菩薩、行深般若波羅蜜多時、照見五蘊皆空」と記されるように、五蘊は空であると発見することが説かれる。

実は、初期経典における「空」は「無常・苦・無我」の同じ文脈で用いられる。とりわけ無我とは同義語の関係にある。我々が常恒なるものとして、快楽をもたらすものとして、アイデンティティ(我)とするに足るべきものとして執着している一切は、因縁によって一時的につくられた幻覚にすぎない。この真理を示す言葉として「空」が用いられた。一切を「空=無価値」と発見することで、人は「すべての現象(法)は執着に値しない」と明らめ、修行を完成するのだ。

最初期の仏教経典として知られるスッタニパータにも、空を説いた問答がある。「世をいかに観察すれば、死王を見ずに済むのか」と問うモーガラージャ行者に対して、ブッダは「常に気づき(念)を持ち、世を空としてみなして、我見を取り除く。かくして死を乗り越える。かように世を観察すれば、死王を見ずに済む」と答える。

この「空」という教えに焦点をあてて仏教思想を再構成し、インド思想界で盛んな論争を行ったのは大乗仏教八宗の祖と讃えられる龍樹(ナーガールジュナ)である。しかし後期の大乗仏教になると、「空」なる真理から聖なる存在が流出してくる、というような神秘的な解釈もされるようになり、ヒンドゥー教のアートマン、ブラフマンといった観念と近似するようになったのは皮肉な話だ。

※『総図解 よくわかる 仏教』(2011,新人物往来社)に寄稿した原稿を再編集して掲載していきます。

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