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たかが仏教、されど仏教 ~日本人の思考のルーツを旅する8冊~

仏教漬けの日本語

〈私は『唯脳論』(青土社)という本を書いたことがある。書いたときは別に唯識論を意識したわけではない。本の題名を決めたのは、私ではなく、編集者なのである。書き終わってしばらくしてから、たまたま中村元氏による原始仏教の経典、阿含経の解説を読んだ。ごく短いものだったが、それを読んで私は、俺の書こうと思ったことは昔のお経に書いてある、と思った。実際、びっくりしたのである。
 その理由を理屈にすれば、こういうことである。私が考えるとき、利用するのは日本語である。ところが日本語は千数百年にわたって、少なくとも抽象用語については、仏教漬けになっている。それなら、そういう言語で抽象思考をした結果がお経になったとしても、なんの不思議もない。それがむしろ当然であろう〉(養老孟司「日本の仏教と科学」、『仏教と出会った日本』法蔵館

たとえばあなたはこの“世界”に生まれ、“自我”にめざめ、他人を“意識”し、それなりの“思想”を組み立ててゆく。こうした語のみなもとは、みな仏教語に由来するのをご存知か。ここ数年、日本人論の文脈でよく使われていた“世間”も、やはり仏教語の文脈で日本人に受け入れられたものだ。かように我々は、仏教経典に由来する言葉や概念から“無縁”でいられない。

日本に仏教が伝来して千五百年あまり。以来現在に至るまで、日本人が「考える」時に発動・喚起される言葉や観念は、サンスクリットから漢文に翻訳された仏教用語に浸されたままである。結果がお経の要諦に重なるかはともかくとして、日本人の思考回路は構造的宿命として、だいたい仏教という観念体系が媒介することになる。

そんな仏教が、新書でどこまでわかるのか。新書サイズの仏教を読んでみた。

護教イデオロギーとしての近代仏教研究

新書の仏教本といえば、渡辺照宏の『仏教』(岩波新書青版C150 五八年)、『日本の仏教』(岩波新書青版C151 五八年)、『お経の話』(岩波新書青版C153 六七年)という定番シリーズがある。

『仏教』は釈迦の生涯からはじまってインド仏教思想の概説に至り、大乗仏教思想の精髄としての「ボサツ道」を称揚した「実践的」な仏教入門。

『日本の仏教』は、著者の仏教思想研究によって抽出された大乗仏教のプリンシプルにもとづいて、日本仏教の歴史を批判的に検証した異色作。

そして『お経の話』は、仏教系学部のある大学では、いまだ入学したらまず読むべきとされるお経の概説書だ。

この『お経の話』を読んでいて異様に感じるのは、前半部の過半を費やして、東南アジアの上座部仏教の拠り所であるパーリ語仏教聖典(釈迦往時の肉声を留める初期経典を中心としている)を貶め、大乗仏典(釈迦入滅後数百年を経て成立したとされる)の価値を宣揚していることだ。

日本に伝わった仏教については一般に、ひろく他者の救済を目指したのが大乗仏教、東南アジアの仏教のように自分の悟りしか考えないのが小乗仏教だ――といった具合に「小乗・大乗」という概念でとらえられている。しかし全世界の仏教の現場において、自ら小乗仏教と名乗る仏教徒は一人もいない。つまりこうした二項対立の形式は客観的な分類ではなく、あくまで大乗仏教の教学にもとづいたセクト主義的な蔑称でしかない。共産党が自らを「進歩勢力」と呼び、その他の党派を「保守反動」と呼ぶのと同じだ。

このような偏見が、客観的事実のように流通しているのには理由がある。要するに近代日本の仏教研究のフォームを確立したのが、大乗仏教というセクトに属するお坊さんだったからだ。新書レベルの『仏教入門』をものす人々は、たいてい印度哲学・仏教学を専攻した知識人である。国立大学にも存在するこの教科は、明治の開国前後にヨーロッパに留学した僧侶たちによって日本にもたらされ、その後も長く僧侶出身の学者によって整備されてきた。

彼らの至上命題は、十九世紀ヨーロッパの仏教研究で定説だった「大乗仏教はブッダの教えからかけ離れている」という偏見を打破することにあった。アジア各国の植民地化という情勢もあり、上座部仏教の研究が先行していたヨーロッパでは、日本に伝わった大乗仏教に対する評価はすこぶる低かった。日本の仏教徒は、拠り所である大乗仏教思想の価値を近代社会に公認させるため、決死の学問的研鑚(もとい、思想戦)に邁進したのである。彼らの尽力によって、大乗仏教至上主義のイデオロギーは、『仏教入門』のスタンダードとして、「日本人の教養」の基礎メニューに加えられたというわけだ。

人文科学からの異議申し立て

渡辺氏の「古典的」仏教新書シリーズは、そのような日本仏教の近代史を踏まえて読んだときにこそ、はじめて現代的な位置付けが可能になる。日本語のなかに横溢する「仏教」の影響を対象化するためのいとなみを通じて、私たちは「日本仏教の近代史」を対象化する契機を得るのである。まぁ、そんな妙な読み方をしている人は少ないと思うけど。

もちろん、先に記したような護教的立場だけが、日本の仏教研究だったわけではない。

岩本裕『佛教入門』(中公新書32 六四年)では、冒頭で著名な禅僧であり仏教学者でもあった人物の愚痴が引かれている。いわく、「日本のインテリは偏食である。仏教を解しなければ、日本文化を語れないし、わが国の仏教学は世界の水準をはるかに上回る立派なものなのに、インテリはそれに飛びつかない」などなど。岩本氏はこの愚痴が、「われわれに問題を提供することに筆者みずから気づいていない」と指摘する。いわく、

〈佛教は宗教であって学問ではないということである。学問的にどれだけ立派なものであっても、宗教的な価値とはまったく別物であるからである。ところが、実に学問と宗教とを混同し、学術的研究と教学とを同一視し、両者の区別がつけられないのがわが国のいわゆる佛教学者、特に僧侶で佛教学者といわれる人々に多いことも知っておく必要があろう。このような人々はかれらが学術論文と称するものにおいてもお説教を忘れない〉

岩本氏は「護教の戦場」だった仏教学を、実証的な人文科学の世界に引き戻そうというスタンスで『佛教入門』を書いた。その際の方法論として、厳密な文献批判によって佛教の始祖であるブッダ釈迦牟尼の人間像と思想を明らかにし、仮設された「歴史的ブッダ」を標準として現存する「仏教なるもの」に当たろうとしたのだ。

このようなスタンスをさらに推し進め、仏教自体を仏教が誕生した古代インドの思想的土壌のなかに位置付け、比較思想の立場から相対化しよう試みた新書もある。宮元啓一『仏教誕生』(ちくま新書053 九五年 ※2017年現在、講談社学術文庫に収録)は、もともとブッダと同時代のインドで展開された「外道(げどう)」と呼ばれる思想の研究者である著者が、古代インドにおいて「他派の思想との対立と融合のなかで生成発展していった」仏教の姿を挑発的な語り口で描き出したユニークな仏教入門書である。氏のような仏教プロパー以外の立場から書かれた仏教関係の新書本には、他にも注目すべきものが少なくない。

一般の新書の基準からするとイレギュラーだが、副島正光『釈迦』(Century Books 清水書院 六七年)という本がある。倫理学を専攻した副島氏は、安世高(パルチア人 西暦二世紀頃)が漢訳した初期仏教経典の研究を通じて、仏教経典の傾向を「無常・無我を説いた仏教」と「輪廻観と因果律を基盤に置いた仏教」とに分類し、両者は本来、別々の系統に属する思想ではないかと指摘している。

「第二の神仏習合」としての仏教言説

一般的に、仏教の開祖ブッダ釈迦牟尼は、その悟りによって人間が生まれかわり死にかわる「輪廻の呪縛」からの解脱を果たしたとされる。ゆえに現在でも、輪廻説を認めることは仏教信仰と実践の現場において当然の前提とされる場合が多い。しかし、初期の仏教経典に対する文献批判を進めてゆくと、「輪廻はインド古代のバラモン教の教説であり、釈迦牟尼はそれを前提として自説を述べたが、釈迦自身は輪廻を説かなかった」という作業仮説が説得力をもつようなのだ。

定方晟『空と無我』(講談社現代新書997 九〇年)は、大乗仏教理論の巨匠であるナーガルジュナ(龍樹)の中観思想を解釈する立場にもとづき、空、無我といった一般の日本人にもなじみ深い概念を解説している。副島本の分類でいえば、「無常・無我を説いた仏教」の系譜をもっぱらに解釈した仕事である。フランス経由でインド哲学を学んだ定方氏は、「輪廻の思想は幼稚と思われ、信じることができない」と輪廻説を斬って捨てる。「仏教はわれわれのためにある。われわれが仏教のためにあるのではない」と、彼の立場は明快だ。

信仰の現場と距離を保とうと勤める研究者、また自らの思想的関心から仏教にアプローチする研究者が、文献批判にもとづく見解として輪廻説と仏教を切り離すのは理解できる。しかし不思議なのは、日本の場合、信仰の現場に身をおく僧侶にも、輪廻を否定し、六道輪廻を「心の状態」として心理的解釈に還元するものが少なくないことだ。

日本仏教の現場においては、輪廻説を否定しなければ都合が悪いという事情があった。千五百年にわたる歴史的変遷ののち、日本仏教はインドの輪廻説とは矛盾する土着的な「祖霊崇拝」と妥協する道を選ばざるを得なかったからだ。輪廻転生の実在感が希薄な日本人に仏教を説いた仏教者にとって、輪廻説を否定する仏教研究の成果はむしろ歓迎すべきものだった。

しかし現実問題、世界中みわたしても「輪廻からの解脱」という命題を前提としない仏教はほとんど存在しない。輪廻について深く考えることは、その輪廻の苦しみから抜け出そうとする仏教徒にとって根本的な動機付けになっているからだ。

先日、私はチベットの高僧にこの輪廻説と仏教の関係について問う機会があったが、彼は「もし仏陀が説いた解脱の道が存在しないのなら、輪廻など説かない方が良いのかもしれないが……」と苦笑していた。

「無常・無我を説いた仏教」と「輪廻観と因果律を基盤に置いた仏教」を分離抽出し、輪廻説を前提とした圧倒的多数の仏教徒の実践を、「仏教にあらず」とする知識人の眼差しがある。その評価に飛びついて輪廻説を否定する日本仏教の事情がある。ここに人文科学と仏教側のお家の都合との、奇妙な共鳴関係が成立するのである。

もういちど歴史を振り返りたい。日本仏教は、江戸時代までに「神仏習合」という独自の信仰形態を確立した。しかし明治の廃仏毀釈(神道の側からの仏教排撃運動)によって彼らは「現地妻」から三行半を突きつけられる。日本に足がかりを失いかけた仏教が、新たなる「習合」の相手として見出したのは、西欧人文科学との二人三脚であった。もちろんさまざまな伏流は存在したが、日本仏教の主流はそのようなフォーメーションを選択した。私はこの関係を仮に「第二の神仏習合」と呼んでいる。

著者も、読者も、門前に佇んでいる

とまれ日本語で書かれた『仏教入門』は、その多くの場合、実は近代日本仏教の自叙伝であった。二千五百年の仏教史のただなかに、自らの歴史的連続性を回復するための「物語」として機能してきた。

最後に紹介する三枝充悳『仏教入門』(岩波新書新赤版103 九〇年)は、右のような近代日本仏教言説の陥穽をある程度意識した著作だ。ゆえに、信仰者によって構築された仏教研究の系譜を引く仕事として、現在のところもっとも信頼に値する仏教入門といえる。

〈本書に、プロローグはあるが、エピローグは、ない。仏教は一貫して無常を説き、みずからの無常をも充分に弁えて、その内部はさまざまに生滅変化しながらも、日本をふくむアジアの各地に、こころ・たましいの原点として、ないし故郷(ルビ:ハイマート)(の一つ)として、歴史上のみならず、現にいま生きており、生あるものが生あるかぎり、生きつづけるであろうが故に〉

ここに語られるのは文学的感傷に近くて、まだマニフェストではない。しかし「近代日本仏教」という物語の解体と、新たなる物語の構築に向けて開かれるはずの門前で、静かに立つ著者の姿がほの見える。近代の「第二の神仏習合」以後を見据えた模索の時代にあって、『仏教入門』を担うべき著者も、読者も、ともに仏教の門前に佇んでいるのである。(佐藤哲朗

(初出:『この新書がすごい!目からウロコのいち押しガイド298』洋泉社MOOK,2002年2月)

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