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仏教を知るキーワード【09】慈悲 ~生命への慈しみこそが仏道の真髄~

慈悲喜捨の四無量心を育てて、あらゆる生命と平等・対等な心理的関係を築く

智慧と慈悲(じひ)こそ仏教の真髄と言われる。智慧の教えは輪廻からの脱出を主眼とし、慈悲の教えは「輪廻のなかで私たちはどう生きるべきか」という生命との関係論に重点が置かれた。輪廻からの脱出を目指すか否かは別にしても、我々が「生きている」限り、慈悲を無視することはできない。

慈悲は生命と平等・対等な心理的関係を築く修行である。仏教では生命(衆生)という概念に動物や微生物などの生命はもちろん、天界にいるとされる神々や地獄の生命などもすべて包含される。慈悲を実践する人は、それら無数の生命に対して無差別無制限の優しさを育てることに挑戦するのだ。

「慈悲」は別名「四無量心(しむりょうしん)」と呼ばれており、次の四つの気持ちを育てることが推奨される。1)慈(メッター)は「友情」を意味する。慈悲は「垂れる」ものではなく、友との分かち合いなのだ。2)悲(カルナー)は抜苦心(ばっくしん)とも訳されるように、見返りを求めることなく、苦しんでいる生命を助けようとする気持ち。3)喜(ムディター)は他者の幸福に接しても嫉妬を起こすことなく純粋に「よかった」と喜べる気持ち。4)捨(ウペッカー)は平等心とも言われる。生命との関係において偏見のない落ち着いた気持ちでいること。

これら四つの無量心を育てる瞑想は「慈悲喜捨(じひきしゃ)の随念」として上座仏教諸国では僧俗を問わず実践されている。「私が/私の親しい人々が/生きとし生けるものが、幸福であらんことを」と順々に対象となる生命の範囲を広げて念じ、自我意識で閉ざされた心の殻を破るのである。四無量心の完成者は梵天(ぼんてん、古代インドの創造神)と讃えられる。釈尊の過去生物語であるジャータカ集のなかでは、四無量心の修習は無仏の世界(ブッダとその教えが知られていない世界)における最高の修行とされる。

追伸:"ジャータカ集のなかでは、四無量心の修習は無仏の世界における最高の修行とされる"……ならば、慈悲の実践はそもそも仏道と無関係なのか?という疑問が当然起きるだろうと思う。この論点については、togetterまとめの「慈心解脱と覚りの完成(沙門果の成就)」を参考にしていただきたい。結論だけ言うと、仏教を学んでいる人が慈悲を実践すれば仏教の解脱に達する。学んでない人がただ慈悲の実践をすると、輪廻の領域で最高の存在に達するとされている。慈悲の実践は、釈尊が「廃れていたバラモンの行道」をバラモンたちに教え諭す、という体裁で説かれることが多い。呼吸冥想などと同じく、外から仏教に取り入れられ、解脱に資するべく整えられた修行法である。(というのは話だけで、実際のところは、釈尊の発明だった可能性もある。)いずれにせよ釈尊は、仏教の解脱道を目指すか否かを問わず、人間ならば慈悲を修すべきと教示していたのである。

※『総図解 よくわかる 仏教』(2011,新人物往来社)に寄稿した原稿を再編集して掲載していきます。

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