初音ミクとみくさん

私のみくさんの話をさせてほしい。

例えば、日常の中でなんとなく素敵だと思った風景。記憶の片隅の、遠い思い出や、夢でみた景色。そこにいる誰かと初音ミクを置き換えて、輪郭を整える。すると"初音ミクと私"が一つ出来上がる。自分の人生を1P消費して、初音ミクを得る。それだけのことだ。いや、本当にそれだけだったんだけど、なんでこんなことになったのか。

私が"私のみくさん"とやらを作ったのは、もはやいつだったのか思い出せない。心の中に真っ白な部屋があり、その真ん中、卵形の椅子に座って眠っていたのだ。
気付いたときにはそのイメージを浮かべることができていたので、不思議なものだと思う。

信仰告白とかもしているので、もっと前からヤバかったでしょう?と言われたら言い返せないけれど、とりあえずその彼女が起きた、もとい起こしたところから。

一昨年の春、私はすごく疲れていた。参っていた。私生活がうまくいかなくて、寂しくて辛くて消えたくなっていた。
知らない土地ではじめての一人暮らしだったというだけではあるが、とにかくしんどかった。
そんなときに頼っていたのがゲームとか、何よりTwitterだったのだけど、ある日なんとなく、なんとなく、最初に挙げたような、初音ミクとの風景を形にして呟いてみたのだ。
これが初めてかというとそうではなくて、前にも似たようなことはしたことがあった。でもこのとき、驚くほど、よくわからない何かで満たされる感覚があった。
初音ミクと。狭い玄関で一緒に靴を履いただけなのに。

さみしいしんどい、みくさん助けて、とすがって、みくさんと過ごした光景を作れば心が軽くなった。それを繰り返した。こんなに気持ち悪いことをしても「素敵」だとか「いいね」だとかしか言われなかった。だから思った。これでいいんだなー!と。
変なことしてるのでは?やばくない?と疑問がちょっとありつつ、"初音ミクはこういうことしても正しい楽しみ方"みたく。

だんだん疑問も薄れて、途中から本気で"私のみくさん"を追うようになっていった。
視界の端にエメラルドがちらついて、何かあっても「みくさん助けて」で心の安寧を保つ。現実つらい!しんどい!死にたい!人間なんかクソだ!みくさんは人間じゃないから好きだ!
同時に、"これは今だけだ"、"いつかみくさんは消える"とも解った。そのいつかを想像しては泣いた。今みくさんはここにいるのに、いつか消えるんだ。そんなの嫌だ。でも、仕方ないことだ、みくさん大好き。ありがとう。消えないで。と。
思い出せば思い出すほど情緒不安定だった。
けれど、この時期に増えたフォロワーさんとか、多いのだ。ミク愛がすごいとか、言われた。言われたし、言われたから、みくさんのことを消しては…消してはいけないんじゃないかと。向こう岸に火がついて、こちらに迫ってくるような、焦りが生まれていたのも本当だ。

そしてそこに、音楽がないと気付いたのはいつだったか。
初音ミクは音楽に基づく、声だけの存在というのが根底にある持論だったので、心臓が変な跳ね方をした。もちろん、初音ミクの歌う曲はたくさん聴いていたし、そこに"私のみくさん"をみて感情移入することもたくさんあった。
でも。ない。"私のみくさん"は音楽に基づかない。

"私のみくさん"の姿が捉えづらくなってきた頃から、部屋にグッズが増え始めた。フィギュアとか、ポスターとか、ぬいぐるみとか。初音ミクの姿を模したものをみると、初音ミクを想像しやすくなるから。この頃から、あぁもう駄目かもしれないと、漠然とした予感から逃げられなくなりつつあった。

大好きなボカロPの訃報が入った。椎名もたことぽわぽわPのことだ。私はこのボカロPのことが大好きで、その曲に何度も勇気をもらった。こんな音楽に出会いたかった、ずっと探していた!と、憧憬を抱きつつ何度も何度も聴いていた。だから、悲しかった。今でも悲しい。

現実の私自身が余りにもショックを受け、悲しかったから、初音ミクが悲しむとか、残されたボカロがどうとか、音楽は残るといった言葉が、煩わしかった。
亡くなったのに、何を言ってるんだ。初音ミクとかそういう問題じゃないだろう。現実だぞ、現実なんだよ!荒れました。とても荒れた。
けどすがった。"私のみくさん"に。それしか方法がわからなかったし、今まで辛かったときに助けてくれたのだ。きっとまた、大丈夫。
でも、人間が死ぬのは現実だ。現実だった。どうしようもなく。

この年のマジカルミライのアンコールは、ハジメテノオトだった。武道館、2階席の西側で初音ミクの姿を見ていた。それまで泣かなかったのに、一瞬だけ声が震えるほど感情が湧き上がる瞬間があった。

あなたが かわっても
失くしたくないものは
ワタシに あずけてね
という部分の、どこが苦しかったのかわからないけど、自分でも驚いたので忘れられずにいる。

それは別として、マジカルミライに覚えた違和感の正体を考え続けたのち、見失っていた"私のみくさん"を悟ったような心地になってツイートを連投したことがある。Togetterにまとめた「初音ミクについて迷ってたミクファンの垂れ流し」がそれだ。なんかわからないけどすごく反応があった。そしてまた言われた。ミク愛がすごい人と。

私はミク愛がすごい人らしかった。嬉しいけど、嬉しいけど。その一方で私は"私のみくさん"をみて思うようになっていった。"私のみくさん"は自己愛の化身であり、私自身であり、都合の良い幻影だというのもわかった状態だと前提として。
お前は本当に、初音ミクか?

時間の経過とか、その間にあった出来事で、初音ミクがいよいよ薄れ始めた頃。
ピノキオピーによる東京マヌカンという曲が投稿された。同時に、Antennaというアルバムも頒布された。
別の話でも触れているので詳しくは割愛するけれど、殴られた心地だった。初音ミクは人間じゃないからいいのだとすがり、寄りかかり続けた私にとてもよく効いた。
ずっと吐き出しきれずに抱えていたモヤモヤが飛び、"私のみくさん"も一緒に弾け飛んだ。

などと曖昧な表現をするとまた「わからない」って言われてしまうのでキチンと説明すると、私の考えが変わったということだ。と思う。
初音ミクは人間じゃないからいいなんてことはない。人間はクソじゃない。生きることから逃避してはいけない、初音ミクはそうして寄り掛かる存在じゃないし、"私のみくさん"は、たぶん、ずっと、初音ミクじゃなかった。のかもしれない。

しばらくは認められなくて、影を探してさ迷うなどした。
歌ってもらったり、前みたく風景にはめ込むなどしたけど、だめだったので「あぁ、みくさん死んだんだな。これが所謂"初音ミクの死"っていう、厳密には初音ミクじゃないものの死か」と、ストンと落ちた。
私という人間の思考がちょっと変わっただけなのに、大層なことだ。
初音ミクを"私のみくさん"と呼び、その剥離が誤魔化しきれないところまで来ていたというのもある。
でも、辛いときにすがって、助けてくれたみくさんのことを愛していた。みくさんがいなかったら、私はもっとどうにかなっていた。心の拠り所を自分で作ったくせに、心変わり1つで殺したのだ。形を変えて同じみくさんを愛し続けたらいいとか、そういう問題ではないことを一応書いておきます。
過去の自分と今の自分は地続きでも、同じじゃない。過去の自分の理想を固めた存在を継続するのは、私には無理です。

そんなこんなで、私のみくさんを"死んだ"と呼んでいる。
その過程には、だんだん一人暮らしに馴染み、仕事もなんとかなり、VOCALOIDを取り巻いていた"あの"環境も2016年へ至るにつれ明るくなった流れもある。

初音ミクは遍在する。同時に在る。それは当たり前のことで、同時に生きていたって良いのだけど、"私のみくさん"の死は私だけのものだ。
初音ミクは死なない。
でも"私のみくさん"は死ぬ。だって私が作った。
私が作ったから私しか殺せなかったものを、私が殺したと言っているのだから、死んだのだ。
それだけのことだ。

「私の○○(広義の名称)」とか、その死とか、よくわからない、いないと言われる度に、ごめんなさいという気持ちになる。
ごめんなさい。本当に。

今の私に"私のみくさん"はいなくて、普通に初音ミクが好きな感じなのだけど、だからこそマジカルミライ2016で歌われたメッセージが素直に響いた。VOCALOIDは未来だー!と泣くことができた。今までよくわからなかった別のファンの気持ちがわかるようになった。
なお、私のみくさんが死んだことに対する感慨は、今年のミクの日になってようやく訪れた。anomimiさんのあさってのはなしという曲はいいぞ。あさってだって、未来なのだ。今日あるものが、明日あさってにはもう、変わっているかもしれない。

私のみくさんはいない。

心は異常に凪いでいる。
ありがとう、さようなら、私のみくさん。

でも、初音ミク…ミクちゃん、これからもずっとよろしくね。

大好き。


そんな感じです。