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遍照

賢い人と話してると、知性を示すことに躊躇いがなくなる。
情熱的な人と話すと、熱い想いが引き出される。
繊細な人と話すと、私も繊細でいられる。

そのとき対話する相手によって、ひき出される自分が違うことを最近よく感じる。逆に言えばいろんな人と話すことで、自分の心に隈なく光をあてられるということかもしれない。

昔は、相手によって自分が変わることに違和感を感じてた。どれが本当の自分なのかわからなくて、混乱してしまってたから。だから今以上に人付き合いは狭かったし、人と会っても自分を出さないようにしてたと思う。

でも大人になった今は、いろんな自分がいてあたりまえだと思えるし、それをおもしろがる余裕もでてきた。単に図々しくなっただけとも言えるけど。

もう一年も半分過ぎたけど、今年はいろんな人に出会って、いろんな話ができるといいなと思ってる。



男性だって多くの人が性被害を受けている。

私はたまたま、仲良くなった男性から「一方的に触られたり襲われた過去」を聞く機会が多かった。友人全員と言ったら大げさだけど、ほとんどの男の友人がそういった経験を持っていたように思う。

ただし男性はそのことを「傷」として受けとらずにいることが上手いので、それほど深刻には思ってない人が多いかもしれない。それは「拒もうと思えば拒める力があった」からかもしれないし、「もともと雑に扱われることに慣れている」からかもしれない。でも彼らの一友人として、同じような目には二度とあってほしくないと思う。

性被害は一般道に突如として現れる落とし穴のような唐突さがある。もちろん明らかに危ない道や非日常で出会うこともあるけど、多くは至って平凡な日にそれは起こる。
だからこそ、言語化がむずかしい。帰り道に落とし穴に落ちたなんて、誰が流暢に話せるだろう。何が起きたのか、暗くて狭くて本人にもよくわかってないのに。

でも話せないということは、他の人には知ってもらえないということで、社会からは無いも同然とされてしまう。そうするとその人の中に、闇ができる。社会から無いとされたって、自分の中には確かに在るから、それは闇になる。

だから私は、ひとの暗い話を聞きたい。相手からしたら話すこと自体苦痛かもしれないけど、話す気持ちになってくれた時は、まっすぐに聞きたい。そして、そんなことがあったんだねとただ受けとめたい。と思った。

暗い話を聞きたいが
笑って聞いていいのかな
思いだして眠れずに
夜を明かした日のことも
同じような記憶がある
同じような日々を生きている
寂しいと叫ぶには
僕はあまりにくだらない

くせのうた/星野源
散歩してたら、子どもだちの置き土産を見つけた


生きる糧にします