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9.11 あれから20年

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ハーレムのトキワ荘、我が家には当時、あの事件が起きた2001年9月10日にうちに到着した、ルームメイトになったルミちゃんがいました。NYの郊外にあるエルマイラ大学をその年卒業してOPTビザを持って、NYの街で働きながら青春と大人の入口を楽しむライフプランでした。彼女は確か心理学とかそういう専攻で、ゆくゆくはカウンセラーとかになるのが夢だったと思います。そしてアーティスティックなセンスも有り、このカエルの絵を描いて私の誕生日にプレゼントして飾ってくれました。

事件が起きた前夜、9月10日は月曜日で、当時ハーレムのShowman’s という老舗のジャズバーに毎週月曜日レギュラーでJ-Jazz Sistersというバンドで出演していました。オルガンは敦賀明子さん、アルトの鈴木洋子(ズッキん)さん、ドラムの倉田大輔さん。その夜はドラムスでシンガーのグラディ・テイトさんがお店に来ていて、次の日のフライトで日本のブルーノートに出演する為に出発するって言ってました。私は夜中1:00am近くにライブが終わり、部屋に帰ったら、新しいルームメイトのルミちゃんはもう眠ってたと思います。

次の朝、私はメイン州のクルーズ船に招待してもらってたので朝早くに出発して、地下鉄をチャイナタウンで降りて、その時確かにツインタワーを観ました。チャイナタウンからボストンに向かうチャイナタウンバスに乗り込んで確か9:00am位に出発したと思います。イーストリバーが見える高速道路を北上している最中に、バスの搭乗者が騒ぎ出して、でも何が起きてるのかさっぱりわかりませんでした。そしたら私の携帯に電話がかかってきて、「大丈夫か?ビルが倒壊したみたいだけど!」とか言ってるようだったけど、英語の意味がよくわからず、「倒壊 collapse」という言葉を後から知って、やっと何を言われてたのかわかった。

ボストンに着いて、メイン行きのバスに乗って出発した。ありがたい事にメインまでとにかく到着出来たのは奇跡だった。その後ほとんどのバスや電車は止まり、特にNY行きは全て全滅だった。私はメインには着いたものの予定のクルーズ船は全部キャンセル。船上で演奏する予定だった現地のミュージシャンのお宅にお世話になった。火曜日に到着して、TVのニュースを見せて貰って初めて、事の重大さを知った。当時国際電話は簡単に家からかけられず、テレフォンカードというのを買って日本の実家に電話をかけさせてもらい、私は無事だとやっと伝えられた。

墜落した飛行機の一機はメインから出発した様で街中大騒ぎだった。海岸で静かに海を見つめて、何故私はここにいるんだろう?!と昨夜までNYのジャズバーで歌ってた自分といま知らない土地に何もすることが無い自分とのギャップに困惑していた。そして何よりも世紀の大事件が起きてる真っ只中だと感じていた。

あれから20年なのか。。。。と感慨深い思いで今夜はNY de Let’s Sing Jazz! Online Classを教えていた。課題曲は Fly Me To the Moon。ずっとジャズをやり続けて来たんだなぁと、再確認した夜になった。

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ハーレムのトキワ荘に滞在中のセイジ君がお茶とお菓子をご馳走してくれた。このお皿もこの部屋で20年を共にしてくれている。セイジ君、ありがとう。ご馳走さまでした。

今日もTVで追悼の為に、あの日亡くなった方々の名前が読み上げられていた。当時子供だった両親を亡くした方ももう立派な大人になっているだろう。でもあの日の後悔は消える事が無いだろう。般若心経をあげておこう。

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