見出し画像

私たちは、「分かり合えない」を楽しめるのか。実験のために、ラジオをはじめました。

こんにちは。梅雨は寒くなったり、蒸し暑かったりと忙しい時期ですが、朝方にふと漂うつめたい空気が好きです。

5月の終わり、音声コンテンツをはじめました。テーマは「分かり合えないことを楽しむラジオ」です。

性格や価値観のまったく異なる私・三川と後輩・大野の2人が雑談しながら、「え...どゆこと?」「はぁ...?」「何言ってんだこいつ」となるものの、なぜか会話が弾むという変なラジオ。

vol.17配信がその空気を味わえる気がします。

今年の後半は、このラジオ配信を中心に「私たちは、分かり合えないことにどう向き合うのか」というテーマを掘り下げていきたいなと思っています。

なぜ、「分かり合えない」を研究したいのか

今年明けに、このようなnoteを書きました。

ここに登場するのが、いま一緒にラジオをやっている大野くんです。

一方で、友だちとの「分かり合えなさ」に喜びを感じる時がある。

その友だちとは月に1,2回ほど会って、近況報告や考えていることを共有し合うのだが、価値観や意見の相違で毎回なにかしらの「分かり合えないこと」が露呈する。

分かり合えないことが多いのに、私たちは何時間も会話をします。特に意見を押し付けることもなく、何が分かり合っていて何が分かり合えないかを確認するように対話をしています。

年明けにnoteを書いてから、「分かり合えないことにどう向き合っていくのか」を考えることは、価値観・倫理観のズレによる衝突や、これからの新世界(コロナ禍によっておとずれた新常態/新常識)にとって重要な役割を果たすのではないかと思うようになりました。

もっと身近なところにも「意見が合わない」「価値観が違う」ことによって"分かり合えない"と感じるできごとが潜んでいます。

たとえば...
・遅刻は許せる / 遅刻は絶対に許せない
・そんなことで怒る? / 私にとって大事なこと。"そんな"って言い方ひどい
・このニュース共感できる / まったく共感できない

他者と「分かり合えない」場面に遭遇したとき、私たちは相手とどう向き合い、そしてどうかかわっていくのがよいのでしょうか。

「分かり合えないこと」をポジティブに捉えてどう向き合っていくかを互いに考えられるようになると、なにかいい未来が待っていそうな気がします。

無理に「分かり合おう」としなくていいのではないか、と感じることもあります。分かり合えない状態で、向き合うことができないだろうか...。

そのような経緯があり、分かり合えないことが多いのに楽しく対話できる大野くんと、「分かり合えない」について解明していきたいなと思い、実験的にラジオをはじめてみました。

「分かり合えないことを楽しむラジオ」って?

「分かり合えないことを楽しむラジオ」は、雑談トピックから対話をはじめる番組です。特に指南したり提言することもなく、終始おしゃべりです。

30回を迎えたいま、このラジオは2人のおしゃべりで終わりではないかもしれないと思うようになりました。

2人の対話を通じて「2人はどう向き合っていったのか」を客観的に考えてもらったり、自分はどう思うのかを考えてもらったり。視聴者が私たちのラジオを通して、「分かり合えない」について考えてもらうことが目的なのかなと感じています。

視聴者の感想(vol.19)
大野さん「余計な波風立てずに平穏に生きたいの。だから嫌われないようにそれなりにみんなとやっていくのが大事だと思う」
っていうのすごくわかるなぁ
三川さん「私はご存知、人の気持ちを読み取れないので」ってのがおもしろかった
▼視聴者の感想(vol.27)
テーマが自分事しやすいかつ、抽象的で聞きながら「自分はこう思う」ってのを考える余地があるからかなぁ
近いのでおもしろかったのでいえば、27回「2人って特別な単位?」のやつ
あれも自分なりの見解がきちんと持てるテーマだったので好きでした

(DMでもnoteのコメントでも、感想をいただけると嬉しいです😌)

これからやっていきたいこと

実験的にラジオからはじめてみましたが、これからはラジオ収録の所感noteを書いていったり、研究会みたいなことをしたり、不特定多数(といっても少人数)と対話する会をもうけてみたり。

「分かり合えない」について考える人とフィールドを広げていき、向き合い方・かかわり方のアプローチをよりできたらいいなと思っています。

といっても無計画です。ふんわり考えてるくらいなので、興味のある方は連絡くださいませ🙏

ではでは。

💫 ありがとうございます! 💫 スキは世界を救う!みなさんのスキとサポートが私の覗き見欲求を駆り立てます!