先の10年は、個を超える集合体で生きていく
年末年始は東京を離れ、奈良・京都・静岡へふらりと旅をした。「縁起がよさそうだから」と春日大社や平安神宮を散歩し、富士山を眺めながら読書をした。
インターネットからも離れて人間らしくだらだら過ごすことができて本当によかった。「現実を楽しむ」「自然を眺める」「なにもしない」がどれだけ大切なのかを認識できた数日だった。
そして、ぼーっとしながら「これからの10年、どう生きようか」と考えていた。
2019年は次の10年に向かう準備期間として、「つながり」をテーマに実験・実践した年だった。踏み台のような言い方をしてしまったが、2019年に過ごした人生のおかげで、これから10年の基盤ができたように思う。東京に戻ってきて一段落ついたので、未来の自分のために、さながらmixi日記のごとく綴っておこう。
・遠くの巨大な存在よりも、近くの大切な存在のために生きていく
・集合体で生き、その場だから生み出されるモノ・コトを育てていく
・人間らしく、知性と感性を楽しみながら生きていく
・私が死んでも、100年以上愛されるものを生み出す試みをする
そのためにも、
・稼ぐ時間を短縮し、友人や好きなことに時間を投資する
・知性と感性が生まれ、それらが混ざりあう「場づくり」をしていく
・価値観や考えのあう友人たちと仕事をつくっていく、育てていく
・計画にこだわらず、時代を読みクラゲのようにプカプカ泳ぐことを意識する
ことを大切にする。また研究テーマとして、
・好奇心の扱い方、またはそれに関する教育
・人間と人間以外(ロボットや植物など)のコミュニケーションもしくは関係構築の可能性
・人間らしさとは、人間関係の構築
を取り扱いたい。
昨年読んだマンクーゾ・ステファノ、ヴィオラ・アレッサンドラ著の『植物は<知性>をもっている』のなかにこのような一節がある。
植物と動物の大きな違いのひとつに、「体の構造」がある。植物の個体は無数の同じモジュールで構成されているため、分割可能である。たとえば枝や葉が切り落とされても、植物は死なない。別の部分(たとえば幹や根)が生きているからだ。その構造が「創発特性」を生み出したらしい。
この章を読んで衝撃だった。もともと個体が集まって生きている(組織的な動きをする)こと、それによって個を超える特性を持ちあわせていること。
「ああこれからは、"個"ではなく"創発特性"で生きたい」 と確信をもった瞬間だった。
レヴィ・ストロースが提唱する「ブリコラージュ」と似ているかもしれない。(ブリコラージュ=限られた持ち合わせの雑多な材料と道具を間に合わせで使って、目下の状況で必要なものを作ること)
20代は、誰もが知っている大企業のデジタルマーケティングを手伝えることがすごく嬉しかった。自分が考えた企画やクリエイティブが世に出ていくことに喜びを感じた。巨大な存在に関わっていることに陶然とした。
(20代の人生を否定しているわけではない。これはこれで楽しかった。いまは違う楽しさを知ってしまった、という話である)
2019年になると、友人から仕事の相談をもらったり、悩みを共有しあって一緒に解決したりすることが増えた。友人の笑顔を見て、私でも友人の役に立つことがあるのか、とびっくりした。
親しい友人と定期飲み会を開くことも増え、身近な人が考えていること、抱えている悩みを知る。そんな対話の時間がとても幸せに感じた。お互いの人生に交点を作ろうとしているのではないか、と思うと面白くなってきた。
人間関係や思考・行動の拡散と凝縮を繰り返しながら、集合体で生きよう。偶発的にヒトやモノと出会って場を生み出し、創発的に個を超えるような集合体を育てよう。2020年代は、友人たちと小さな贈与循環(エコシスエム)を築きたいと強く思う。
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