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深夜がんばり隊|記憶の拠り所

こんばんは。

深夜がんばり隊。

目の前に、ひとつのネックレスがある。

叔母からもらったお下がりのジュエリーのなかで、珍しく派手じゃないネックレスがある。


叔母のジュエリーは、それなりに時代を感じるデザインが多い。金色だったり、宝石が大きかったり。

そして、年季が入ってくすんでいたり。クリーニングに出さないと使えないような、きっと引き出しの奥に眠っていたジュエリーばかり。

きっと若いころに買って、いつの間にか使わなくなり、眠りこけていたものだから、ありがたく頂戴した。


そのなかに、唯一私が好きそうなデザインがあった。

銀色のチェーンがついていて、楕円形の型を縁取るようにダイヤらしき透明な石がぐるっと2列並んでいて、真ん中に群青の石がひとつ置かれている。

銀色とか石と言っているのは、これらが本物かわからないから。私の目では見極められない。


叔母がいうには、そのネックレスは祖母から貰ったものらしい。

ジュエリーやオシャレと無縁だった祖母が、なぜネックレスを持っていたのか。

祖父に聞いてみたら、そのようなものを買った覚えがあると言った。

農業組合の旅行で出かけた先に『そういう店』があった。

興味はなかったが、周りの人が買っていたから、自分も買わないわけにいかず、ネックレスを買ってきたことがある。

なんとも頼りなく「本当にその時に買ったのかわからない」という。

なんなら叔母も「たしかおばあちゃんにもらった」という。


なぜ、このネックレスが、ここにあるのか。

なぜ、祖母が持っていたのか。

どこで、買ってきたのか。

そもそも、この群青の石はなんなのか。

誰も知らないのが、恐ろしい。


私が人生史を作りたいと思っているのは、こういうことだ。

誰も知らない、本人に聞かなければわからないことがあるから、書き残さなければいけない。

書き残せば、遺された人の記憶の拠り所になる。


もともと、我が家は書く人が少ない。どちらかと言えば撮って飾ることが好きな家だ。

『文字による記録』を軽んじる我が家は、それらをなんでもかんでも処分してしまう。

私が生まれたころに建っていた母屋があれば、きっとたくさんの記録が残っていた。

それを取り壊したとき、私は小学生だったから記録の重要性に気づいていなかった。

あのときに戻って、大人達に言いたい。


「捨ててはいけないものがある」


私はこうして、noteに記録を残している。いつか、本にまとめて家に置くつもりだ。そうすれば、誰かの目に留まり、記憶の拠り所になる。

私のようなただの人間は、自ら記録を残さなければ生き続けることが出来ない。

戸籍謄本に名前や生年月日が書かれただけの、ささやかな記録。いわゆる「データ」としか残らない。

それでは、あまりにも悲しいじゃないか。

ひとりひとり、ささやかながらも壮大なストーリがあるのに、なぜ残そうとしない。

「ただの人間だから」と残さなくていいはずがない。

「ただの人間だから」自ら残さなければいけないと思わないのだろうか。


我が家の最年長は祖父であり、祖父なら先代・先々代までのことを把握している。

その記憶を書き起こして、いつか祖父が亡くなる日までの物語にまとめないといけない。

そして、私の目の前にあるジュエリー、祖母が遺した唯一の記憶を添えて、大切に閉まっておかなければいけない。


残念ながら、我が家に跡継ぎは望めない。

私と弟は未婚のまま楽しい人生を終えるだろう。

だから、少し焦っている。

本当に何もなくなってしまう前に、記録だけでも残しておきたい。

そんな、妙な焦りを覚えた夜だった。


最後まで読んでいただいて
ありがとうございました🙇‍♀️

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