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5月10日@東京 リアルテキスト塾第一回(2)<小学校3年生の記憶>

 <小学校3年生の記憶>

 6400字程度。

「上履きを隠す事の何がいけないと思いますか。」

 この質問をされた事のある方々はある一定の数居るものだと思う。それを体験した方の多くは、恐らく小学校の3年生から5年生ぐらいにかけて体験したと言う方が多いのではなかろうか。
 上履き隠し・上履きの中に画鋲が入っている・上履きの中に給食の時に出たパックのソースがそのまま入れられている 等、こんな事はよくあった。
飼い犬を撫でている妹に聞いてみたら、「そんな事しょっちゅうあったもんなあー」と、いぬの首輪をぶんぶんいじりながら適当に返事をされた。
 被害者の方もいるかもしれないし、もしかしたら何らかの不運な糸に絡まったはずみで、加害者側に回ってしまった方もいるかもしれない。
今だったら「嗚呼懐かしいね」で笑えるだろうか。それとも、死ぬまでその被害に遭った事を憎み続けるだろうか。はたまた、こんなことをしてしまった事に対して後悔をしているだろうか。自分自身は別に何も困っていなかったからいいかなと思うだろうか。

小学校3年生の時に、この質問を教師に投げかけられたら。

トキに8歳の子供でも、感情論より、合理的な感覚にすっと同意することだってある。

 

 当時私が8歳の、それは、6月の下旬のころだっただろうか。私は12月の生まれなので、8歳と言えばその当時小学校3年生だった。
いや。9歳で、小学校4年生だったか?いや、8歳だ。蒸し暑い梅雨まっただ中の気温。
然しそれも昨今のような異常気象を伴うような暑さではなく、もう少し梅雨としての秩序を守っているような(ゲリラ豪雨という暴挙が余り多くなかった覚えがある)気候の中。空は曇っていたが、雨は降る事が無く、時間割通りにプールの授業が行われた日で、私はショートパンツの下に生える、まるまると育った大根足を使って、通学路のマンションの敷地の中をナツキちゃんと下校していた。
生真面目な母親の元で育ったため、プール用品を入れるカバンは赤いきんちゃく袋のような学校指定の物を持たされており、市販のキャラクターのビニールバックで登校する子供たちをひどく羨んでいた。ナツキちゃんは通っていたスイミングスクールの物を使っていたので、その羨みの目がナツキちゃんに行く事はなかった。
 学校に近いマンションは全部で8号館まであり、センターハウスと名付けられた集会所を囲んで、人口の川と大きな池が造られている。そのマンションは1989年ごろに施工された物で、人々が住む号館によって、経済的なランク付けがされていた。1・2・6号館に住む人は比較的裕福層が多く、7・8号館に住む人はまぁまぁの庶民層といったふうに。それを突っ込んで聞いたのは恐らく中学生に上がってからの話かもしれない。そのマンションはバブル時期に建てられたものだから、バブル真っ盛りの時代には1部屋一億もした物もあったとも聞いたが、今ではもう。というところだ。

 話が逸れて来た。私の家はそのマンションからまだ1kmとちょっと先にあるところだった。
マンションの中を突っ切って歩く事の何が悪いかも良く分からない時期だったので、構わずナツキちゃんとマンションの敷地内をぐるぐると歩いていた。とにもかくにも、暑かった。例の、センターハウス前の白い人工池のあたりを通りかかった時に、私の視界に、白い塊が、池の上にぷかぷかとまったく情けなく浮いているのが見えた。
―恐らく誰かの上履きである。
 当時全校生徒が約600人居た小学校の近所のマンションで発見されたものなのだから、勿論その小学校の生徒の中の物である。然し見つけてしまったからには黙って見過ごすのも心が少し痛んだ。取りに行こうと思ってもそれは水のど真ん中に浮いていたために、足を水で浸すことになるし、そもそもに水の中に入ったらマンションの管理人に怒られる。然しそんな事を思っているのもほんの25秒足らずの事だった。ナツキちゃんは視力が良かった。少し池に近づいたその後に、「ねえ、上履き、しらいしななこ って書いてあるよ。」とそう言った。
私は、600分の1の確率を引いていた。

 その先の事を私はところどころにしか覚えていない。恐らく思い出しても得をするような記憶ではないから頭が封印しているのだろう。そもそもに記憶という物は捏造されていく物であるならば、何処までが正確な物なのかというのも判別がしにくい。それでも話を先に続ける。

 少し私と私の家族の話をしよう。先にも述べたが、私は周りがキャラクターのプールバックで通学するようななか、数少なく学校指定のプールバックで通学をするような子供であった。
プール用品の大きなタオルも、私だけ学校指定のヘンテコなだっさい柄の物を使っている中で、周りはキティちゃんやキキララや、うさぎさんやらくまさんやら、お花柄やら、イトーヨーカドーに売っていた可愛いタオルを使っていた。それが本当に嫌で仕方無かった。大体に学校指定の物を使っている子供は、当時の私の主観だと、余り経済的余裕が無いような子供達が多かった印象もある。(恐らく指定の物の方が高いと思うのだけど)
私の家は、私が言うのもなんなのだが、決してそんな事は無かったはずだ。ただ、とにかく母親が生真面目だった。当時は私には幼稚園の年長になる3つ下の妹がいて、母親は子供を身籠っていた。子供を身籠る以前からパート等はしておらず、所謂専業主婦だった。当時は「うちは母親が働いていないから、うちにはお金が無いんだなあ。」と思っていた。勿論、経済的にある程度余裕があったので母親は働く必要があまりなかったのが正論なのだが。因みに父親は港区の大手企業で働いていて、今もずっと同じ会社にいる。つまり母親が専業主婦であると、私の生活の全てを母親が管理する事が出来る。帰宅すれば母親がいる。遊びに行ったら5時までに帰ってこないといけないし、宿題も、(今大騒ぎになっている)進研ゼミの教材も、母親が勝手に買ってきた公文式のドリルも、全て母親にOKを貰うまでやり直しをしなければいけなかった。所謂「現代っ子」とはまさにこの私の事ではないかと思う。
 つまり、生真面目な母親の影響を受けた為に、私も真面目な子だったのだ。そうする事が正義だと思い込んでいた。勉強はそこそこに出来た。学級委員なんかもやるような子だった。そのかわり母親譲りの運動音痴も引き継いでしまい、「真面目で勉強が出来るけれど、運動出来ない」という、いじめられる対象のテンプレートをごっそり背負っていた。

 そんな私の上履きが、池の中に、情けなく、浮いていた。

 急いでナツキちゃんと、一度学校の昇降口に戻った。蒸し暑い午後4時の灰色の雲を掻き分けて、学校まで戻った。灰色だったのは曇り空ではなく、私の眼前に見える色だったろう。上がる心拍数が余計に私の体温を上昇させていく。確認すると、確かに私の上履きの片方は、入れたはずの下駄箱の中に入っていなかった。がらんどうの学校の中、態々引き返してきた私がそこから先どうしたのかはやはり思い出せない。恐らく、事務室と職員室を梯子し、担任の先生を見つけて事の報告をしただろう。そのあとナツキちゃんと帰路につき、我が家の白い門と白い玄関を開けるや否や、「遅かったね」と告げようとする母親よりも前に、「あたしの上履きが、ヴィルフォーレの池のなかにあった・・・。」と言ったのだろう。本当に覚えていない。
 
 ただ一つ、覚えている事は、私は泣いていなかった。
 

 「ななちゃんはさ、勉強出来るしいい子だから、ちょっとねたまれちゃったんだよね。ななちゃんは悪くないんだよ。」

 翌日学校で、勿論この話題が朝の学級活動の中で上がってきた事は言うまでもない。名前こそ勿論上がらなかったが、誰の上履きが池の中に浮いていたかなんて、大体の人間が把握していた。私は家の目の前のイトーヨーカドーで恐らく既に新しい上履きを既に昨日のうちに買っていた。いや、買っていなかったかもしれない。私だけスリッパを履いていたかもしれない。少なくとも、その日の放課後には、新しい、22.5cmの上履きを手にしていたのは確かだ。
 私の上履きだけ、異様に新しくて、ぐうぐうと悔しい思いをしていた。ついでに慰め賃として、母親に新しいキティちゃんのプールバックと、プールタオルも強請れば良かったのにと今思う。普段は私が先頭を切っている教室の中で、私だけが異質だった。私だけがブラックホールの中に居るようだった。いや、はなから異質だったのは私の方で、だからこそ、私は上履きをヴィルフォーレの池の中に捨てられたのかもしれない。その日の朝はよく晴れていて、黄色い防火用カーテンがふんわり夏の風をまとっていたが、それさえも気に食わなかった。

然し一番に私の心に傷を負わせたのは、

「ななちゃんはさ、勉強出来るしいい子だから、ちょっとねたまれちゃったんだよね。ななちゃんは悪くないんだよ。」

 先の晩に突き付けられた、母親のこの一言だった。
 因みに母親だけではない。近所の幼馴染のお姉ちゃんのお母さん、ピアノの先生、ありとあらゆる私が顔を知っている「大人」にこの言葉をかけられた。悪くないと言われたところで、私の上履きがなくなったのは事実だ。勉強が出来ていい子だからなんなんだと言うのだ。そのかわりに私は運動が出来ない。真面目だからなんなんだと言うのだ。それが仇で、私の上履きはヴィルフォーレの池の中に情けなく浮いていたんだ。上履きは私のプライドか。私のプライドは池の中で溺死していた。しかも片方だけ。形而上のプライドが形而下になった、まさに視覚化されていたのか。あのざまが。お陰で今日はみんな私を哀れめな目で見てくるじゃないか。

「大丈夫?ななちゃん。」「大丈夫だよ。」「ひどいね」「そうだね。」

 敵は何処だ。誰だ。私より顔の可愛い女の子達が私に慰めの言葉をかけてくれる。顔が小さくて、足が細くて、背が高い女の子達。ありがとうって思う。だけれども、私より可愛い子達に言われたところで気はおさまらない。どうせ私の気持ちなんてわかっちゃいないくせに。分かんないなら何も言わないで欲しかった。敵は何処だ。いや、でも私は分かっていた。敵こそわからなかったが、然し、敵を増長させているのは、態々朝夕の学活でこんな話題を取り上げる先生の存在だと、私は勿論わかっていた。

 翌日、私の上履きは、またなかった。
別のクラスの同級生の女の子が、マンションの敷地内で見つけたそうだ。因みにこれが後2回ぐらい続いた。然しもう、続くたびにまたこれだ。
 

「ななちゃんはさ、勉強出来るしいい子だから、ちょっとねたまれちゃったんだよね。ななちゃんは悪くないんだよ。」

 じゃあさ、私の上履きが無くなるの、止めるためにさ。もう宿題やらなくていい?進研ゼミもドリルもいい?
 学校に遅刻していい?行きたくなかったら行かなくていい?  

 2回も続けば、学校側は遂に、学年集会を開いた。余計な事はやめて欲しかったけれども、言えばまた面倒な事になる。
ただ私は3組の列の端っこで、黙って事を聴いていた。1組のひょろっとした禿のおっさん先生が司会をしていた。

「この学年のうちの誰かの上履きがまた、ヴィルフォーレの中に隠されていました。」

「上履きを隠す事の何がいけないと思いますか。」

 考えのある子供から挙手をさせて行った。私の気持ちは全く聞かれもしなかった。まず今私が、日の当たらない空き教室の中に、過剰な善意と憐れみとが敷き詰められている事が最大の苦痛だった。
 上履きを隠されたことなんかもうどうだっていい。早くここから出して欲しかった。何事もなかったように通り過ぎて欲しかった。それでも誰にもこの気持ちを言う事は許されなかった。私は「何度も『上履きを隠された事に対して悲しんでいる』沈黙の被害者」を演じきる事を強要されていた。今思えば、もしかしたら、その他の子供たちも「被害者の子を可哀想だと思っていけない子供」を演じていたのかもしれない。1組2組の子供達は意見を言って行った。3組の子供達がそこで発言しているの私は聞かなかった。とてもありがたかった。どの子供の意見も立派すぎて、私のプライドは余計に傷ついて行くばかりだった。「可哀想」「人の気持ちがわからない」一番人の気持ちを分かっていないのは君らのほうなんだけど。
発表をしなかった子供達は、その場でわら半紙を渡され、意見を一言書いて提出して帰って行った。私はずるずると、もう言葉も無しに、3組の女の子たちと空き教室を離れた。「またこの話か」ともううんざりしているのは、私も同じだったし、周りの女の子たちも同じだった。私たちはすぐに、放課後の予定を取り付けて、学校を離れた。

 
 その意見は、数日後に学年通信に掲載されていた。勿論こんなことされたくはなかったが、私は何も言っていない。勿論学校の先生としては、事実を保護者も含めて重く受け止めて欲しいと言う気持ちで書いたのだろうが、被害者側の意識を配慮していない。私が教師だったら、せめて一言その子になんか言う。
 100人弱の小学校3年生のコミュニティの中でのメディアでさえこうなのだから、今の被害者軽視の報道の根本を変える事はまぁ難しいだろう。怖いもので、被害者だまにあげられるのにももう慣れて来た頃で「まあああまただ」で済ませるぐらいにはなっていて、もはや他人事であると思いこんでいた。然し、一通りの意見に目を通して中で、1つだけ、

 「何度も隠される度に上履きを買い変えていたら、お金がもったいない。」

 この意見に私は衝撃を受けた。勿論、私は生真面目な子供だったため、この回答が教師が望む回答ではないと思っていた。
よくこんなこと書いて出せたな、と思った。不思議な物で、書く側に回れば私は絶対的正義を背負い、悪を制圧するような意見、それこそ「可哀想」「良くないと思う」と言う事を平気に書いていたのだと思う。自分のプライドを削って行った意見であることも忘れて。
 然し、この意見は、事実だ。たかが1足高くても1000円ぐらいの上履きも、3日で2回3回も買い変えればそれは確実にお金がもったいない。「可哀想」という感情論よりも、お金がもったいない のは誰が見ても明らかな事だ。恐らく男の子の意見であったと思う。それも別のクラスの男の子の意見であったと思う。他の事は曖昧にしか思い出せないし、思い出している範疇の物でも、推測で書いている感覚は否めない。
 然し、今でもこの回答だけは良く覚えている。確実に合理的な回答。何よりも的確な回答。
 辻褄合わせの感情論なんて、ただむやみに人を傷つける可能性の方が高い。

 因みに上履きはそのあともどってきた物もあった。そして、学年集会が開かれてからは、私の上履き隠しも、なくなって行った。

 この先の話なのだが、学年が上がればまた、別の子供を狙って、上履きの中に、画鋲やら、給食のソースやら、はたまた封を切ったマヨネーズが上履きにぶちまけられていると言う事件が起こった。
 その度に、また例の朝の学活報告があった。
 話を聴きながら私は「やられた子、いまばつの悪い思いをしてるんだろうな。」と言う8歳の頃の記憶を重ねるとともに、「あの時の私の気持ちの痛み分け!!お前も同じようにプライドへし折られろ!!」とにやにや、ざまあみろと、心の中でほくそ笑んでいた。

 その頃には、私は自分のお小遣いで買った、ピングーのプールバックを持って学校に通っていた。
 プールタオルは、キティちゃんの耳にお花が付いている、水色の大きなものを使っていた。
 
 今でもそのタオルは、まだ家にある。

 

 そして私は今、非常勤講師たる名称の、「アルバイト」の仕事を探している。

以上。

ちなみに。

2012年10月 リアルテキスト塾単発講義課題 
僕の小学校時代の友達 Ver.1 https://note.mu/001203mm/n/n0096be3d053b
添削後のリライト Ver.2 https://note.mu/001203mm/n/nf217bb56d842