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突然ですが、仕事を辞めます。



突然ですが、仕事を辞めます。

三年近く携わった教育業界での仕事は、とても学びが多く、気づきが多く、有意義な時間であった一方で、自身の心身と深く向き合わされる時間でもありました。
心身ともに健康であること、これが私の人生の中で最も大切なことです。まずは私自身が心身ともに健やかであること、そうすることで私の中の愛やエネルギーを周りの人へ与えられる。これが私の人生のベースです。これに影響が生じた場合は辞めると、これは私がこの仕事をすると決めた時に定めた基準でした。

そう、今回の退職に至った理由はこれです。

昔から”ストレス”というものを心で感じにくい私はまず先に体が異変を教えてくれることが度々ありました。身体というのは本当に正直なもので、あらゆる部位から体への負荷としてサインを出してくれます。そしてそれが心も影響していることだと、伝えてくれるのです。有り難いですね。
そんな有り難いサインも無視できたのは20代までで、30代に入ってからはそこと真剣に向き合わなければいけなくなっていきました。ちゃんと自分自身のケアをしてね、と身体が訴えてくるのです。

月に一度、体を整えるためにお世話になっているクリニックがあるのですが、ここ数ヶ月は、月に一度でも賄えきれないほど身体が不調になっていました。
そしてそれが心にも強く影響していることを日々感じずにはいられませんでした。


”もう、自分の心に嘘はつけない。”



そんな時、
「このまま続けてたら病気になっちゃうよ。その仕事を辞めても、次のステージで藤川さんと出逢う人はたくさんいるし、藤川さんを必要としている人がたくさん待ってるよ。自分の求めるものに正直になって。」

いつもお世話になっているオーガニック専門店のオーナーからの一言。私の普段の仕事の状況も、私の想いもよく理解し、そして身体の不調も心配してくれている彼女からのこの言葉がきっかけで、私は自分の心のモヤモヤの正体に気付き、この瞬間に退職を決意しました。
そしてその日、出社してすぐ上司へ伝えました。

ー後悔なし。

数ヶ月もの間、悩みに悩んで決めきれなかったことを決意し、伝えること。これだけでこんなにも重くのしかかっていた肩の荷がおり、心のモヤモヤが晴れるものかと。おそらく私の人生の中で最も清々しく、悔いのない決断だったと思います。次の仕事のアテもなければ次にやることの目処が全く立っていないにも関わらず。自分でも驚きです。私は仕事でどんなに大きなミスをしようと、どんなに大きなクレームをもらおうと、動じません。それらが仕事を辞める理由になることは決してありません。なぜならそういう出来事は自分を成長させてくれるために起こるのであって、しっかりと受け止めて、前に進めばいいだけだからです。ですが、自分の信念に背くことをすることは自分にとって何のプラスにも働かず、次第に自分の心を蝕んでいくということを、今回身をもって体感しました。

ここまで相談にのってくれていた彼女にも、そしていつも通院しているクリニックの院長にも、心の底から感謝です。いつもたくさんの気づきと優しさ、そして癒しを有り難うございます。

私のこの決断により、迷惑がかかる人もたくさんいるのはわかっています。今まで同じ方向を見て一緒により良い教室作りに励んでくれた講師のみんな、そして生徒や保護者に対して申し訳ない気持ちでいっぱいです。悲しむ生徒がいるのもわかっています。私の顔を見たら笑顔になって駆け寄ってくる生徒、手を繋いでくる生徒、ハグをしてくる生徒、どんな些細なことでも逐一私に報告してくる生徒、「愛しています!」と私に直接伝えてくれる生徒。彼らを想えば想うほど、私は迷いに迷い、今回の決断をできずにいました。彼らの成長も今後も見届けたいし、そばで寄り添って応援したい、支えたい。でも一方で、心のモヤモヤを抱えたまま、誰かのために生きる人生でいいのか…そんな想いと常に葛藤していました。

そもそも私がこの仕事を始めたきっかけは、長年の夢であったワーキングホリデーでの留学を30歳ギリギリ手前で叶えたと同時に人生で初めての挫折も経験し、一度は諦めた英語をもう一度一から独学で学び直し、それをアウトプットしたい、日本の義務教育では教わらないことを出来る限り多くの子ども達に伝えたいと思ったからです。

ー実は帰国後、人生で初めて結婚を意識していた彼とお別れをし、人生を諦め、俗にいう”どん底”にいた私。この暗闇から抜け出すために希望が必要でした。生きる意味が。
どん底にいながらも、その時の私は死ぬ覚悟も勇気もありませんでした。だから私は自分の幸せ(当時は結婚、出産、家庭を築く)を一旦捨て、誰か・何かのために生きることを決意したのです。
そこで真っ先に浮かんだ”誰か・何か”は、子供と動物でした。昔から今も子供は大好きで、自分が子供ながらにして子供が好きであると、幼少期から自覚していました。そして当時から興味のあった環境問題、これを解決するためには今の子供達、次世代を生きる子供達の力が必要だと常々思っていました。若い頃から子供たち自身が自分たちの生きる世界を、これからの未来を明るくするために動ける人になれるように。彼らが希望を持って自分の人生を歩めるように、彼らの将来を守り、この世界を生き抜くための強さや賢さ、優しさや思いやり、そして愛を持てるよう、私に出来ることをしたいと思いました。そうしなければ、この世界に未来はないと思ったからです。
当時、この先自分には子供が持てるかわからないと思った時、自分はこの世に何を残せるだろうと思いました。この世界をより良くするために、自分に出来ることをしようと心に決め、考えました。そして、この地球と次世代の未来を守るために行動しなければならない、そう強く思ったのです。

動物に関しても、昔から大好きでした。ただ、無条件の愛情をくれる絶対的な愛の存在であると同時に、人間と同じ言葉を話さないことによってコミュニケーションが一方通行で、人間のエゴが介在してしまうことが多くあると感じます。そこで自然界の法則に則り、動物たちがのびのびと暮らせる環境を作ること、何よりも自然環境を守ることが最善だと思いました。そのためにはやはり、そういう環境を作る人間が必要だし、愛を持って行動できる人が必要だと考え、私は子供達と関わることを仕事として選びました。
子供達の中に、希望を見出したのです。
人にも地球にもやさしくあって欲しいという想いを胸に、勉強をする場を通じて勉強以外の学びをたくさん得てほしい、そう強く思ったのです。



退職を告げた時、私のそばで常に私をサポートしてくれている講師は言いました。
「生徒と藤川先生自身の人生、どっちを取るのだろうと思っていました。」
きっと私の迷いも葛藤も、彼女には見えていたのでしょう。

ー余計にこの決断をして良かったと思えた瞬間でした。部下にとって、そんな迷いのある上司と働くことは最善だと思わないからです。

組織に属している限り、会社の意向や求めるものに忠実に従わなければいけないのはわかっています。ですが私は昔から、それが苦手でした。自分の中に生じる疑問や違和感をそのままにできないのです。学校のルールや規則も、はたまた数学の公式でさえも、なぜそれが存在するのか、意図を知り、納得できなければ行動に移したくなかったのです。だってそれに従うということは、私の大切な時間もエネルギーも思いもそこに使われるということだから。
そんな風に、幼少期から「なぜ?」が多かった私。両親も学校の先生も、そして社会に出てからは共に働く上司や同僚も、私への対応は大変だったに違いありません。 
「なぜそれをやる必要があるの?」と問いかける私に、「ルールだから。」「規則だから。」「みんなやってるから。」と、納得のいく回答をくれる大人は一人もいませんでした。無責任だなと、がっかりすることが正直たくさんありました。幼い頃から、日本の型にハマる考え方やいわゆる同調圧力に嫌悪感を抱き、生きづらさを感じていた私は、そんな無責任な大人にはなりたくないと心の中で強く思いました。私なら、自分が理解し、納得したものでないと人に伝えたくない。ましてや自分が誰かの上に立ち、誰かを導く立場であるなら尚更、自分の言動に責任を持ちたい、持とうと決めました。こんな風に私の中で、今の私の大事にしていること、信念が出来上がっていったように思います。

唯一、私たち4人の子供達へ一度も勉強をしろと言ったことがない母は、私が何かわからないことを質問すると、いつも決まってこう言いました。「人に聞かずに自分の力で調べなさい。自分のためにならないし、一生覚えないよ。」
人は簡単に答えを得ようとしがちですが、そうすることですぐに忘れてしまうものです。時間も労力もかけずに習得したことを、どうやって脳は記憶できるでしょうか。定着するわけがありません。これは勉強以外、人生にも当てはまることだと思います。努力をせずに得たものに対し、人はどれだけ有り難みを持てるでしょうか。そして人は自ら経験し、学び得たものは心に刻められますが、ただ人から言われたことは心にも留められなければ耳にも入ってこないでしょう。これは私が今でも大切にし、自分の経験を基にしても言えることです。

4人兄弟の真ん中で育った私は、他のどの兄妹たちよりも自己主張が強く、わがままだと、いつも母から言われていました。でも私はそうは思っていませんでした。私の中では、ただ、自分の心に正直に生きてきただけだからです。一つ年上の兄や兄の友達たちと外でかけっこをして遊んだり、虫取りをしたり、釣りに行ったり、そんな日常を楽しむ子どもでした。一方で、小学生の頃、ある女の子の友達の家に初めて招かれた時、お家で遊ぼうとシルバニアファミリーをお披露目された瞬間にドン引きしてしまう、そんな自分の好き嫌いがはっきりとしていく幼少期でした。
昔から人一倍、自分の”想い”を大切にし、それをまっすぐに表現していた私。あまりにも正直すぎて、傷つけてしまった人もたくさんいます。衝突もたくさんしてきました。そのような経験を通じて反省、気づき、学び、成長と繰り返してきました。それが私の人との関わり方であり、人生の学びであり、そして喜びでもあったのです。人との関わり合いの中でたくさん自分自身を成長させることができ、そして時には人から感謝されることもあったからです。こうして、自分と関わる全ての人に感謝の気持ちを抱きながら、私は誰かに、誰かの人生に何かしらの良い影響を与えたいと強く思うようになっていきました。そしていつからからこれが、私の仕事をする上での軸、そして生きる上での使命のようなものとなっていました。

歳を重ね、経験も学びも増えるにつれて、衝突や摩擦は少なくなる一方、若い頃のわくわくやときめきも少なくなっていきました。裏を返せば、冷静さと落ち着きを持つようになり、物事や自分をより俯瞰して見れるようになったのかもしれません。そんな中で自分自身と向き合い、内省する時間も増えました。自分の人生にとって大切なことは何か、自分にとっての本当の幸せとは何か。自分は何を大事にし、誰とどんな環境で生きたいのか。”自分探し”から”自己理解”の重要性に気づき、自分自身を深く掘り下げ、自分自身の理解を深めるフェーズは私にとって非常に興味深いものでした。今まさに、その段階です。きっとこれは永遠に続き、私が人生においてもっとも興味がある分野だと思います。


私にとって人生とは学びであり、そして与えること。
自分の経験を通じて学び得たこと、そして私の中に育まれた愛を周りへ与え、広げること。



そんな中、日々の仕事で生徒やその保護者と触れ合い、話をしていく中で、自分の中で矛盾が生じていました。そして心はその違和感を感じ取りながらも、私はそれをうまく言語化できず、モヤモヤしていました。

ー子供たちのため、彼らの保護者のためにとやっていること、私が伝えていることは果たして本当に自分の信念に沿っているのか?

私は日本の教育が好きではありません。勝ち負けも、競争社会もクソ喰らえです。
順位付けが当たり前のテスト、偏差値で計る学力、大学受験、学歴社会。そして運動会。
なぜ他人と比べる?それが何になる?大事なのは過去の自分との対比であって、比べるのは昨日の自分。周りなんて関係ない。周りがあなたを幸せにしてくれるの?親や友達、学校の先生はあなたを輝かしい未来へ導いてくれるの?誰かがあなたの人生に責任を持ってくれるの?あなたの本当の望み、心の中にある想いは誰が知っているの?

ー自分を幸せに出来るのは自分以外の誰でもない。あなたが自分の心に耳を傾けなければ、あなたの望みは一生わからないし、望む人生は絶対に手に入らない。だってそれを創り出すのはあなただけだから。

やらなければいけないことに追われる義務教育、学歴社会、競争社会を生き抜く中でHave toに追われる毎日。やらなければいけないことに追われすぎて、それに埋もれてしまって自分の本当の望みがわからなくなってしまう。子供だけでなく、そんな大人もたくさん見てきました。子供の頃、あんなにもやりたいことがたくさんあって、無邪気にやりたいことをやって楽しんでいた日々。どんなことも願えば叶うと信じていたあの頃。思い返して欲しいのです。きっと誰しも自分のWant toはあったはず。したいと思う前に体が勝手に動いてやり出していること。無意識レベルで、自分では当たり前になっているけど時間を忘れて没頭できること、没頭していたこと、きっとあるはず。
そんな自分だけの、生まれた時から心の中にある大切な想いや自分にとって大事なこと、好きなことを蔑ろにしてはいけない。だからこそ、そんな風にHave toで覆ってしまうような日本の教育が嫌いなのです。

そして運動会。今思えば私は運動ができなかったわけでも、嫌いだったわけでもありません。でも運動が不得意で嫌いだと思っていました。でもそれは間違いで、ただ、”運動会”が嫌いだったのです。順位付けされるリレーも勝ち負けの競技も嫌いでした。そもそも運動を学校で教える意図は?人として、生きるために必要な能力、健康を保つためのスキルとして教えるためでは?なぜそれを競わせてわざわざ順位づけする?一体誰の、何のために?もちろん中には、競うことで意欲が上がる子、それが好きな子もいるでしょう。ただ、それは一部にしかすぎないのでは?他の子は?太陽の日差しが心地よい朝方に家の近所をただ走り、肌で風を感じることに喜びを感じる人もいるでしょう。でもそれが運動会という競技になった時点で嫌になってしまう。そんな人も少なくないに違いないでしょう。私の母親のように、子供が頑張っている姿を見れる機会だからと、応援することが好きだからと運動会が好きな親もいるでしょう。でも、肝心な本人の気持ちは?テストも同様。勉強が好きなのではなく、テストで良い点数を取って親や周りから褒められることが好きで勉強に励む子、そんな子が、進学をし、土俵が変わった瞬間、レベルの違いを見せられた瞬間に堕落し、勉強嫌いになる姿も見てきました。

私は大人になり、競うことのない自由な運動の中で自分が歩くことが大好きだと気付きました。山へ行き、渓流沿いをひたすら歩き続けるのが大好きです。今では最低年に一度はお気に入りの場所でハイキングをするのが私の大切な趣味、ある種自分を整えるための儀式のようなものになっています。また、農業にも興味があるので畑で体を動かすのも好きです。こんな風に、自分が自然と好きなものを好きだと気づき、自らの意思で自発的にそれを行う。個々のペースで自分の”好き”に気づけるよう、自由にのびのびとそれぞれの”運動”を愉しめるよう取り計らう、そんな環境を作ることが学校の役目では?と強く思います。ヨーロッパをはじめとして、海外の教育には同意することが非常に多く、日本も取り入れるべきだと思うことがいくつもあります。
そして日本は民主主義を謳いながらも、”誰もが生きやすい社会”と正反対をいっているように感じます。

こんな風に考えていくと、今の職場で感じるモヤモヤというのがこの仕事に留まらず、その背景にある日本の教育の根本、この世の風潮にあると気付きました。

私は小さい頃、保育士になりたいと思っていました。子供ながらに子供が好きで、9つ下の弟もよく可愛がり、面倒を見るのも好きでした。それから中学に上がり、学校の先生になりたいと思うようになりました。きっかけは、当時の荒れ狂う同級生や上級生たちを見たことです。暴力は日常茶飯事。窓から机や椅子が飛んでくる、なんてこともありました。保育園や幼稚園、小学校と同じ道のりを歩み、純粋な彼らの幼少期を知っていたからこそ、彼らの性根は良いものだとわかっていたからこそ、なぜそのような行動をしてしまうのか、何が原因なのか、彼らに対して私が何かできることはないかと考えていました。同じ人間としてこの世に生まれてきたのにもかかわらず、何が彼らをそうさせてしまうのか。もし私が教師だったら・・・なんてことをよく考えていました。
そんな思いを漠然と抱え、高校、大学と進学するも大学は教育課程のない大学へ進学。教育という夢も捨てきれずアルバイトで家庭教師をし、子供と関わる機会は保っていました。その後、社会人となり、さまざまな業界、仕事を経験し、結局、幼少期にずっと思い描いていた教育業界での仕事へ戻ってきました。人はやっぱり、小さい頃に持っていた想いというのが大人になっても変わらず素直にやりたいこと、好きなことに繋がるんだと実感しています。
塾講師として、ただ教える立場でいた時はひたすらに、本当に愉しい日々でした。大好きな英語を大好きな生徒たちへ教えながらも共に学び、共に成長する毎日。生徒から学ぶこともたくさんあり、講師という仕事を通じて、たくさんの気づきと学び、喜びを得ていました。
それから月日が経ち、昇進の機会をもらって挑戦した管理職へのステップアップ。私の嫌いな義務教育、公共の教育機関と違う環境でならやれることはきっと違うという期待を胸に、自分の創りたい教室を思い描きながら日々奮闘したこの約一年間。たくさんの葛藤、悔しさや悲しみ、そして辛さもあり、一人涙を流したことも何度かありました。その一方で、自分の想いに正直に行動し続けてきたからこそ得られる喜びもたくさんありました。生徒や保護者から素直に感謝されることが何よりも嬉しく、喜びで涙を流すことも何度かありました。そして最後、受験生を見送った際にある受験生のお母さんから言われた言葉。

「ここでは勉強以外のことをたくさん教えてもらうことができました。やればできるという気持ち。勉強嫌いの息子に学ぶ愉しさを教えてくれ、今では数学が大好きな息子。こんな風に前向きにしてくれて、そしていつもありったけの愛情をくれる先生には本当に感謝しかありません。ここへ来るといつも感じるあたたかさ、そして先生たちの明るさと笑顔。家では無口で反抗期で、親には悪態をつく息子ですが、塾が終わるといつもふにゃふにゃした笑顔で帰ってくるのが私には本当に信じられないのです。そんな風に大事にされ、愛されていて、うちの息子は本当に幸せ者だと思います。成績アップをしていただいたことももちろん感謝ですが、私は勉強のためにここにお金を払ったのではありません。息子の経験のためだったと胸を張って言えます。そして私自身も、自分の子供を信じることの大切さを学ばせてもらいました。本当に有難うございました。」

ー後悔なし。

この業界に入って過ごした約三年間、そして教室長として仕事をさせていただいた一年弱という短い間、本当にたくさんの経験をさせてもらい、とても学びの多い、有意義で有難い時間でした。

常に愛を持って、心で対話をする。
目の前の人に愛を持って接し、自分にできる最大限のことをする。
これは私がいつも心に留めていることです。

ほんの少しでも、誰かの心に伝わったのであれば、これ以上の喜びはありません。


実はここ数ヶ月、身近な人の死を経験したり、母の兄のがんが発覚して緊急手術を終えたり、心配する自分の兄の姿を見て衰弱する母の姿を見たりと、より一層、人生の儚さと日々の大切さを実感していました。

昨日の当たり前は今日の当たり前ではない。
そもそも、当たり前のことなどこの世に存在しない。

この世は無常。



明日死ぬとしたら、私は今最高の人生を歩んでいると言えるだろうか?

ー答えはNOでした。


だから、辞めます。


この一年も、この一ヶ月も、そしてこの一日も、私にとって貴重な時間。
たとえ一日でも、一瞬たりとも、自分の心に正直でありたい。
自分の心に嘘をつかず、正直に生きていきたい。

明日死んでも、私の心を後回しにせずに悔いなく生きた人生だったと思いたい。




有ることが難しい。
だから”有難う”なのだと。
私の大好きな言葉です。


死を意識することは同時に生を意識すること。
今この瞬間をより一層、大切に生きるために。

そして偶然にも、これを書いている13年前の今日は東日本大震災が起きた日。
就活のため日帰りで仙台へ行き、被災した日。
私が様々なご縁によって生かされた日。

自分の想いを振り返るタイミングがちょうどあの日と同じ日だったなんて。

全ては必然で、
繋がっている。


私は何かを選択するときに考えることがあります。
それは、人が行動を起こす動機には二種類しかないということ。

恐れと、愛。



ーこの決断は、恐れからきているものなのか、それとも愛なのか?

私の人生の原動力は、愛です。

いつもそこに愛はあるのかと、自分を振り返り、常に行動してきました。
ところが、そんな自分が大事にしていたことも、最近では忘れかけていたように思います。
何かに埋もれ、薄れていったという感覚が近いと思います。

そんな、自分にとって大事なことを蔑ろにしてしまう生き方は、もう終わりにする。



過ぎ去った過去への執着、
未だ来ぬ未来への不安に心奪われることなく、
私の心の求める方へとこの先は進んでいくと決めました。



誰かのために生きる前に、
まずは自分自身を満たし、
内なる愛と光をより多くの人へ届けられるように。


私は常々、子供たちへ伝えていることがあります。
それは、
"We can create the life that we want."

私たちは誰もが皆、自分の望む人生を創造することができる。その力がある、と。

生徒それぞれに無限の可能性があるということを、私は生徒自身よりも、そして彼らの保護者よりも、誰よりも強く信じていると断言できます。
そしてそれを伝え続けてきました。

生徒には「自信とは自分を信じること。だからまずは自分が自分自身を信じてあげて。」と。

そして保護者には「自分のお子さんを信じてあげてください。」と。

輝かしい自分の未来に向かって、自分の望む人生を創造するべくしっかりと、自分の足で歩んでいって欲しい、そんな生徒を一人でも多くこの世に輩出していきたいと思い続け、奮闘してきたこの約三年間。

講師時代からそんな想いを抱えながらも、それを伝えている私自身が、いつの間にか自分の心に蓋をしていた事実。

それが私を、私の心を苦しめていました。


ーもうこれ以上、自分の心に嘘はつけない。





ここからが、私の本当の人生のはじまりです。

何が起こるか、何がやってくるのか、
わくわくです。



全ての人が恐れではなく、愛から決断し、行動できますように。


この業界で私と関わってくれた全ての人、
これまで私の人生に関わってくれた全ての人へ、
心からの感謝を込めて。

そしてここでの残された時間は最後の最後まで、関わるすべての人へ、ありったけの愛を届けていこうと思います。
私がいなくなった後も、誰にとっても、ここに来たら愛を感じられる場であるように。

有難いことに、ここには私の想いをよく理解し、動いてくれている講師が沢山います。
みんなには本当に、心からの信頼と感謝しかありません。

いつも本当に、有難う。







この世が数値でなく、人の本質を見れる世の中になりますように。

誰にとっても生きやすい社会となりますように。

一人一人が、自分の本当の人生を生きられますように。

そしてこの世界が、愛で溢れますように。








With love



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