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小劇場の熱を求めて

初めて小劇場の芝居を観たときの衝撃。
19歳で感じたあの興奮を、わたしは忘れない。

たしか、1986年の秋ごろだったと思う。
たったひとりで、名古屋の大須にある古ぼけた小屋へ足を運んだ。

南河内万歳一座『唇に聴いてみる』。

おそらくなにかの演劇雑誌で公演があることを知ったのだろう。当時は「演劇ぶっく」を愛読していたからそこに載っていたのかもしれない。わたしはごく普通の短大生で、他大学のサッカー部マネージャーをしていたこともあり、周りには映画や演劇について語り合える友人はひとりもいなかった。誘ってくれる誰かも、誘える誰かもいない。どうやってチケットを買うかもわからないまま、開場前(開演の30分以上前だった)に並びに行くと、すでに整理券も最後の方で、あやうく観られないところだった。

ビニール袋を渡され、靴を脱ぐように促されたのも初めてなら、体育座りで、隣のお客さんと身体が密接にくっつくほどの超満員状態も初めてだった。
劇団の役者たちが、緞帳から顔を出して「ハイ、よいしょ!(定かではないがそんな掛け声)」と、うちわで扇ぎながら客たちに詰めさせていたことまで、くっきりと憶えている。
初めての「小劇場の芝居」は、なにもかもが新鮮だった。

しかも、南河内万歳一座である。
演目は、初期の名作といわれる『唇に聴いてみる』である。

とにかくエネルギッシュで、これまで観たどの演劇(※歌舞伎や宝塚や学校演劇程度)とも違う、はち切れんばかりの「熱」に満ちていた。
圧巻だったのは、運動会の場面。
「紅白の玉入れ」を実際に客席へ投げ込み、客もその玉を投げ返すという演出だ。
演じ手と客との交歓に、十代のわたしも「熱」くなった。

そして今日。あれから30年ぶりに『南河内万歳一座』の新作を観た。
富良野塾の後輩である有門正太郎君(彼の芝居はとてもいい。塾生の後輩のなかで個人的に推している役者の一人)が客演で出ていると知り、下北沢のスズナリへ。

観終わった後に襲われたのは、小さな「せつなさ」だった。
芝居の内容がどうこう、というわけではないと思う。
スズナリが座席のある、比較的人数の入る劇場で、体育座りのぎゅうぎゅうな大須の小さな小屋ではなかったからかもしれない。

失われた「若さ」を感じた。
もうわたしは、あの頃の「若さ」も「溌剌さ」もなく、「大人」の観客になってしまった気がした。

そう、ひとりの大人しい、ふつうの観客に。

『熱』は、若さの特権なのだろうか。

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