見出し画像

時間と行動の符合

一日の始まりに、今日はAをしようと考えていたのに、ギリギリになってできなくなる。そういうことはよくある。
しかし、違う時間を過ごしたことで何かが起き、思いがけず、Bという選択を余儀なくされることは、滅多にない。
そんなときは決まって「ああわたしは、今日はBをしなきゃいけない日だったんだ」と、意味もなく腑に落ちる。
肌で感じる、というか、何かの力が働いたような。
「あなたはそっちを選択すべきだ」という、天からの啓示。

『時間と行動の符合』と言うべきか。

今日は、そんな日だった。

具体的にいうと、午後は夕方に打ち合わせが一つ入っているだけだったので、それまでの空いた時間に映画を観るつもりだった。

しかし、家事を済ませ、名古屋の父に送る荷物を準備していたら、映画の時間に間に合わなくなってしまった。ギリギリまで焦りながら迷い、走ったら間に合うかもと逡巡したが、結局、あきらめた。
映画2時間分、ぽっかり時間が空き、部屋の片づけでもするかなと思っていたら、友人から突然連絡が。しかもわたしの家の近くに、引っ越し先の物件を探しに来ているという。
わたしは「あ、きっとこれは彼女と会うべきなんだ」と思った。
友人はそのとき、わたしに会おうと思って連絡してきたわけではなかったけれど、話はとんとんと進み、わたしたちは小一時間ほどファミレスでお茶を飲むことになった。随分ひさしぶりに。

そして、人生に影響を及ぼすような、深い話をした。
いつもなら踏み込まない話題にも、今日なら踏み込める気がした。

きっと「未来」につながる何かが起きるだろう。
彼女の未来か、わたしの未来か、わたしたちの未来かはわからない。
でもきっと、今日のわたしの行動には意味があると思うのだ。
幸せな出来事ではなく、辛い試練が起きるかもしれない。それでも、人生に受け入れるべきものが。良くも悪くも。そんな気がしてならない。

時間が符合したのだから。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?