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noteに毎日書くのは… ① <duty>

「ゆいこ(本名)ちゃんは何でnoteを始めたの?」
昨夜の二次会で思いがけず、先輩女子に問われた。「なんか野望とかあるわけ?」

毎年、10月生まれの友人知人を集めたパーティーに参加している。
初めは数名のこじんまりした会だったのだが、「10月生まれなら誰でもOK!」というオープンな異業種交流の場として、年を重ねるごとに友達が友達を呼び、7年目を数える今年は50人ほどが集まった。それはそれで新しい出会いもあって楽しいのだけれど、帰りに親しい3人でこっそり二次会へ繰り出すのも一興になっている。一人はコピーライターをしながら雑誌の編集もしている先輩男子で、もう一人は麻雀仲間でもある某広告代理店の先輩女子。二人ともこの会が始まる前から仲良くさせて頂いていて、長い付き合いだ。人生の「先輩」である彼らは、年下のわたしを「ゆいこちゃん」と呼ぶ。

「野望なんて何にもないんです、ただ、10月にHPを立ち上げたときから、noteは毎日書くと決めてて」
「なんで?」
「書くのが好きじゃないから」
「??」

ドラマの脚本を書いていた頃も、放送作家の仕事に絞ってからも、わたしはよく「好きな仕事ができていいですね」「書くのが好きだから楽しいでしょう」と、人から羨ましそうに言われる。そんなときはいつも答えに困ってしまう。

「ものを書く仕事をしている人間は、書くことが好き」という固定概念を、どうか外して頂きたいと、切実に思う。

好きか嫌いかで言えば、『書く仕事』は嫌いじゃない(好きでもないけど)。徹夜も日常茶飯事でパワハラセクハラが横行し、なおかつ締め切りに追われる過酷な毎日を、思えばもう二十年以上潜り抜けてきた自負はある。嫌いな仕事では到底やってこられなかっただろう。お金を稼ぐため、というと矜持もなにもないように聞こえるが、単に生活費を稼ぐために書いていた時代もあった。それは「書くこと」が自分のもっとも「得意なこと」だからだ。

子供の頃から作文や読書感想文が得意で、親や先生にほめられるのが嬉しかった。そんな「ほめられたい。だから頑張る」という単純な図式が、小さな自信につながり、ときには脆く崩れたりしながらも少しずつ積み重なって、わたしは今もなんとか「書く」という仕事を続けていられるのだと思う。
「自信」には、達成感や満足感があり、他者から認められるなど、それなりの根拠が必要だ。それさえ得られれば、対価として金銭を得ることも有難いし、書き続けるモチベーションにもなる。

けれど、何度も言うが「書くこと」そのものは決して好きじゃない。
突き詰めていうと、「書くという行為」をしないで、頭のなかにある思いや感じたことを、一瞬のうちにパソコン画面に出力できたらと本気で思う。
「書きたいこと」はたくさんある。出力方法は詩でも俳句でも小説でもなんでもいい。表現したいことは茫漠と整理されないまま、物心ついた頃からいくつもあった。

作文をほめられはじめた小学生の頃から、ことあるごとに日記をつけるといいと勧められた。しかし、何度となく挑んだものの一週間と持たず、夏休みの絵日記も始業式の前日に慌てて全部書くような子供だった。中学生になり、友人との交換日記ならなんとか続くかと思ったが、それも数週間で途切れてしまった。元日から意気込んでつけ始めても、2月まで持たない。ノートはいつも数ページ書いただけで、最後まで使ったことなど一度もない。

日記という行為が、「自分のことを自分のために書く」もので、誰かに見せるものではないからだろう。

ならば、「誰かに見せる」という前提で書く日記なら、続けられるんじゃないか―――50歳を前に、自分を律したいと思ったとき、ふとそんな考えが頭をよぎった。書く練習として「日記」を書くのである。

ピアニストが毎日ピアノを練習するように。
アスリートが毎日トレーニングを欠かさないように。
わたしも毎日「書く」鍛錬をしなければと思った。

書きたいものが、あるのなら。
頭の中を整理整頓して、一瞬とは言わずとも、ぱぱっと素早く詩や物語に文字化したいと思うのなら。

「だから、noteに毎日書くことは、dutyなんです」

duty。デューティ。
義務とか責務とか職務とかより、この英語の一語がしっくり来る。
そう。noteに日記を書くことは、書く行為が苦手なわたしのdutyなのだ。

二人の先輩方には、長々とした上記の説明をかいつまんで話したので、「ふうん、そうなのね」「なるほど」と納得はしてもらえたが、これまで書いてきた内容に関してはいろいろとダメだしがあり・・・先輩男子からは、雑誌の仕事もときどき頂いているので「仕事の文章はすごくいいんだけど、noteはなんか、ちょっとまだ真面目すぎる」と指摘され、大いに反省した。

じつは毎日書く、ということにわたしなりのルールがあり、そのルールに縛られているせいかな、とも思う。

(長くなるので・・・明日の②<rules>につづく)


追伸。写真は、昨夜の二次会の恵比寿にあるお店で頂いた「かつ煮」。
とろっとした卵、シャキシャキしたねぎ、そしてその下にある揚げたてのサクッとしたトンカツが三位一体となって、とても美味しく上品な味でした。
わたしの頭のなかのいろんな断片も、うまくまとまるといいな。
この「かつ煮」のように。



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