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なりたい自分になれてる?(5)

弟のヤスオの脇腹に、ナイフが刺さりそうになっていた。

なんでこんな状態になったのか・・・

ダニーは友達2人と一緒にまず宿に朝迎えにきた。そのままT字路のところまで世間話しながらあるき路肩に駐車してる車に乗り込む。ボロボロのワゴン車にはチベット族が崇めるダライ・ラマの写真が中国政府が定めた教祖の写真の裏に隠されて飾られ、それに花や数珠がバックミラーに飾られていた。後部座席にはさらにダニーの一味が2人乗っていた。「これは誰だ?」聞くと「友達と一緒にいく。」と言うではないか。

ダニーは突然
次の街まで3000元だ。
と言い始めた。
僕らはそんなの聞いてないし、払えないと言うとダニーらはドアを閉めようとしたが僕と中井ちゃんは外に出たが弟は状況が飲み込めずあっさりと捕まってしまった。

それから冒頭に書いた状態になり人質交渉が始まった・・・。

町を通る人は、眺めてるだけで助けてくれる様子はない。
とりあえず「今出せる金はこれだけだ」と財布の中身を見せる。
ダニー「一緒に行こうそれから考えよう」と譲らない。
これ以上里山離れた場所に突然捨てていかれたら間違えなく凍死する可能性が高い。

英語しか共通言語がない中で
「弟はまだ中学1年生だから離せ、金はこれだけしかない。」
中井ちゃんと僕の財布の中身を差し出して受け取るように粘り強く対峙して話しを続けた。おそらく時間的には15分~30分程度やりとりしてたと思うのだが相手が諦めた。
一緒にくれば金いらないのに。
ナイフ出しとる相手が、どんだけ信用できん言葉や・・・

そうして、所持金のほとんどを取られ、残金は確かポケットに300元もなかったはずだ。

町にはクレジットカードが使えそうなATMなどなかったしとりあえずどうにか”前に進む”か”金を作る”しかなかった。交渉現場から30mほど先にバスが止まっていて運転手らしき青年が食堂麺をすすってるのを発見する。
早速、「盗賊にあって金を盗られ次の町まで乗せてくれないか?」と筆談と中国語で説明した。たぶん通じたのでバスに乗せてくれた。

でも次の町ってのがどこなんだ・・・?

また標高が高くなり5000mくらいになってたはずだ。方向はなんとなく内地方面だろうぐらいしかわからなかった。途中どでかい石碑がたってあり「写真とるか?」と言われたのでとりあえず降りて写真をとっておいたこの頃が寒さと乾燥で起こる静電気で電池が放電してしまいいよいよ手巻きシャッターしか使えなくなった。
ずんずん数時間進むと、途中国境警備隊のジープが通りなにやら運転手が事情を説明してた。するとついて来いと指示するまま、舗装もされてない村へ入っていったそこで僕らは降ろされた。

話しをよくよく聞くと「明日の朝この村に大きな町までいくバスがでるので、うちが宿をやってるからそこにとまればいい。」と親切にしてくれた。

そこは石渠県(セルシュ)という小さい村だった。

そこに国境警備隊のおじさんは家族と住んでおり宿もやってるそうな。

宿と呼ばれる小屋には寝床らしきものが3つ置いてあり、部屋の中央には炭が焚かれ暖をとれるようになっており上から垂れ下がってる裸電球をつけてみたら、ついてるのか?どうかもさっぱりわからない光がかすかにあった。洗面所と風呂などなくドアを開けたら蛇口が地面から出てるのでそこのオケで顔とか歯とか磨く。小屋の後ろには、もれなくうんこ塚があり。しっかりと固まっており塚の上に二本木の板が渡してありそれをまたいでするタイプだった。料金は交渉たしか3人で10元とかそんなんで泊めてくれた。 

村の通りにでてまずは食料を確保するべく商店を覘いてみたがどれも賞味期限をはるか過ぎ去っていた。
カップラーメンも1年も2年も前のものだった。とりあえず食堂らしき場所が1箇所しか見つからず羊の水餃子とバター茶の店があるだけで民家もほとんどない。どうやってこいつら飯くっとんねん?と村を隅々まで歩いてみたが水牛とかヤギをかってるだけで静かな村だった。

(※ちょうどこの写真の左側に宿の小屋があった。右奥の建物が集会所。)

夜は外に出ないほうがいいと、注意を受けた外は狼だらけで襲われると。日中でも外にはがウロウロしておりチベタンの青年が石を思いっきり狼にぶつけてたのが印象的だった。その夜、小屋のとなりに初老のおばぁちゃんが僕らの面倒身かかりらしく部屋の炭がなくなると取り替えにきてくれる。独り者らしく歌っていたのが壁越しでも聞こえた。 夜真っ暗で何も見えなかった。電球をつけても全く見えない。こんな弱い光をみたのは今までになかった。窓とドアの外には狼がウロウロしているのが音でわかる。

明日はバスでどこまでいけるのだろうか?と少し心配しながら寝た。

翌朝、体が動かない・・・とんでもない頭痛だ。がっちりと何かにホールドされたみたいになって体を起き上がらせるのに30分ぐらいかかった。高山病だ。水とバファリンを飲もうにも頭痛で痙攣してmm単位でしか動かせない。部屋のドアの隙間からは朝の光が差し込んでてドアを開けようにもそこになかなか到達しない。弟と中井ちゃんは比較的症状が軽く高山病は個体差があるらしい。歯磨きをゆっくりとして日の光を浴びてるとようやく背を伸ばせるようになった。はやく標高を下げないとやばい。

すると・・・中井ちゃんが

「バスの日付が間違ってて昨日の朝に出発してしまった!」

「次は1週間後らしいがそれもわからないと言ってるぞ!」


こんな場所に高山病になったまま1週間って・・・上海からここまで9日近くかかったがこの先のルートを計算すると目的の街まで12日間かかりそこから成都まで2日かかる。上海に戻ってフェリーに乗るまで3日ぐらいしか時間がない。1ヶ月のVISAが切れるギリギリの時間だ。どう考えても2〜3日以内に別の方法でルート決めないと日本へ戻れないことになる。 

ガイドブックにこの村の情報がほとんどなかった。

じっとしてても中井ちゃんと弟は山を少し登るといい、村の子供らと一緒に裸の山を登っていった。戻ってきてからなぜか村の集会所に呼ばれ踊りをみせてくれたあとhotmailのアドレスをくれた。友達の印だったのかもしれない。

僕は当時そんなことを考える余裕がなく頭痛で疲弊しており宿の敷地の入り口に腰掛けて日本の方角を眺めていた。ゆっくりと日が沈むのを眺めてると横のおばぁちゃんも横に座り歌っていた。
弟を生きて日本に戻さないといけないと日本の方角をみて思った。

その日の夜は、国境警備隊のおじさんの家に食事に招待されてナイフを突き立てた水牛のビーフジャーキーとバター茶をふるまわれた。テレビがついておりジャミジャミの砂嵐混じりで色も薄かったが日本のアニメでキャプテン翼がやってた。中井ちゃんはハンディカムを家の人に見せてあげみな興味をしめしいろいろといじってた。

すると明後日にこの町をゴミの収取車が通るのでそれの荷台にのって行ったらどうだとりあえず次の町にいけるぞ。とアドバイスされる。とりあえずそれしか方法はなさそうだ。

おばぁちゃんの部屋で炭に火をくべるのを手伝い別れを惜しんだ。
明日も起きる時に、あの激痛がくるのかと思ったら体を横にすることができなかった。

つづく

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40才になったので毎日書く修行です。