サヨナラババァ

サヨナラババァ(1)

これは、ババァと僕が決別する日までの一年の話だ。

呼び出し

2013年11月ごろに半年ぶりぐらいにババァから連絡があった。
ここしばらくは一仕事終わると数ヶ月連絡がこないことがよくあった。しかし連絡がなかったのが半年は今まで最長だった、風の噂で夏にババァが東北に行ってるとだけ運転手からの情報で知ってた。

僕は韓国で別の仕事に取り組んでいた最中だったが呼び出しをどこか心待ちにしていた気がする。それは今でも血が騒ぐような奇妙な依頼を待っるのかもしれない。

「すぐに日本にきてくれ。」

「なんの案件ですか?」

「今喋れるか?」

「はい、ちょっとなら。

と聞いたら、スカイプでベラベラ何時間も話を聞くはめになった。


要約すると、東北に子飼いの若い奴ができたのと、地元の連中を囲ったのでそこの復興の仕事石の会社をやれと言われたのだった。

まったくいつも通り経験のない仕事だが

わかりました。チケットとります。」と言って最短のチケットをとり3ヶ月ぶりに東京へ行くことになった。

Kの依頼

どこの中華屋だったか忘れたがたぶん神田だったと思われる。
いくと見たことない新顔の取り巻きがババァのまわりにいて紹介される。
いくつもの話が交差してるのを解きほぐすのが僕のいつもの役目なのでじっとその時をまった。こんな時、僕はいたって無口だ。僕の声を聞いたことも笑った顔をみたこともない人は結構いたと思う。案件に興味があるだけで人のどうでもいい話にはまったく興味はないし酒も食べ物にも手をつけない。

ひとしきりババァのパフォーマンスが終わり僕を呼んだ。

「金を用意してくれ」

「いくらですか?」

「わからない今から”K”がくる。お前と会いたいと言ってるから呼んだ。」

”K”は、僕もよく知るババァと昔馴染みの男だ。

日本の三大経済事件の1つの主格の人間でよく周りからKと僕が似てると言われることがある。なにが似てるのかさっぱり今でもわからない。
しばらくすると、Kとその社員たちがやってきた。
僕はこの時初めてKと会うがずっとババァからKとの思い出話をきかされてきたので初めて会った気はしなかった。逆にシンパシーさえ感じた。    Kは総入歯で、フガフガして満面の笑みで僕と挨拶した。

Kは小さな採石会社をやっており震災直後から東北の石巻に入り込んでいた。彼曰く、震災から出た鉄くずや復興絡み商売で培った人脈の中で勝負をかけるネタを見つけたのだった。

そのネタ案件に資金がつまり調達を相談してる中でババァのところに行き、ババァが案件を整理するために僕を呼びつけたという流れはすぐに理解できた。

案件は、除染作業で派生した汚染土を閉じ込める石棺を作る特許技術で人生かける話だった。汚染土は現在も積み上がり、除染してもキリがないそれをフレコンバックに入れて積み上げてるだけだった。

話はおもしろいが、さてこれをどうやってなにを原資に組み上げて資金調達をかければいいのかを考え紐解かなければいけなかった。

その席にいる全員が詐欺師みたいなものだ。

結果、また僕だけが騙されるかもしれない。

その日は、ババァがこの半年なにをやってたのか聞きだす必要があった。そんな時はいつもホテルを二部屋とって部屋にこもって飯食べる時と風呂とトイレ以外は話しをきくのだった。ホテル部屋の床に座ってタバコとコーヒーまみれになって延々と話すババァは時系列をまとめて話せるタイプではないので五月雨式に記憶の片隅から片隅を洗いざらい聞くしかない。

人の記憶ってのは、一方的で双方向ではない。これを僕は双方向にしなおし相手の潜在的にいだいてる思惑みたいなのをそこに調査して照らし合わせていく作業をしていく。ババァだけの言葉を鵜呑みにして勧めて何度も失敗した経験から学んだ方法だと思う。

約2日間のヒアリングを終えて一度東北の足取りを追っかけることをしなければならなかった。

まずは、調査するしかない。

つづく


40才になったので毎日書く修行です。