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なりたい自分になれてる?(6)

出発の朝、強烈な頭痛で起き上がるのに勇気がいる。

ゆっくりと体を起こして陽の光を浴びに外の蛇口の前に凍った水を眺めて座ってる1時間後ようやく体がほぐれて動けるようになった。
トラックは昼前に到着してすでかなりの人が乗っている。これで外を走るのか?と思うと相当な寒さが予想される。運転手に弟がまだ幼いので運転席と助手席の隙間に乗せてもらえないか?と交渉して乗せてもらった。全員がチベット族で民族衣装をきてる。収入の少ない彼らの移動手段として使われているのだろう。

ここから寒さとの戦いだった・・・

「谷内田さん、足の感覚がなくってきた・・・」
「中井ちゃん足暖めたるから頑張れ!」

凍傷になるんじゃないかと本気で心配するぐらい寒かった。
記憶が断片的になるぐらい辛かった。

今どこを走っていて、どこの街へむかったのか正直今だにわからない。ただ山を越え次の街次の街と夜になるまで走った。
チベット族も分厚い服と毛皮に包まりじっとしているが、時折歌でも合唱しておかないとやばかったのかもしれない。
僕も一緒に合唱していた。

(※こんな感じの歌だった。)

すると、一人の青年が僕に100元だったか50元だったか?忘れたのがみたことない硬貨を30元で譲るといってきた。とりあえず偉い人が刻印されていてなにかの記念硬貨かと思いこれも縁だなと思いなけなしの金と交換した。
写真もそいつを撮ったカットが一番心に残ってる。

(※体感温度がおそらく-20以下だと思われる。)

どこかの村でまたトイレ休憩で止まった時に、流石に寒さでお腹を壊し便所を急いで探す。なかなか見つからず、電柱にしがみついて尻をだして下痢便を出そうと覚悟してたが間一髪トイレがみつかり飛び込んだ、助かった。ほんとに助かったと天井を見上げてたが、拭くものが案の定ないので考えた末に手袋で拭いて、さらに手で拭いた・・・。手袋がないとこのあと過酷かもしれないと思い外で水洗いしてカバンにぶら下げたが風にあたったら即効凍りついた。

そんな状態で、6時か7時ごろ降ろされ別のトラックがくるから今日はここで泊まれといわれ降ろされる。
今だにこの町がどこかさっぱりわからないが、山脈が町の中ではっきり大きく近く見えてまだ標高は高かった。まるでスイスの町のような感じでログハウスでつくったような家があったりした。とても美しい景色だった。
宿を探し、値段を聞くと120元で所持金がほぼなかったので食料を買えなくなるとやばいと思い。ある方法を思いつく。

「部屋を見せて欲しい。」

チェックイン用にパスポートのコピーを持ち歩いてたのでそのコピーをわたし日本人ですアピールをして。最初の部屋をみてもっとランクがしたのでいいとかなんか難癖つけてとりあえず違う部屋にかえさせて次の部屋で荷物をおろして「ここでいいあとでチェックインの手続きをしに行く」そういって鍵をもらって泊まる。
これでほとんどデポジットなしで、後払いにできた。

風呂はどこへいってもなくてタライお湯があるだけ。
お湯はポットにいれて何回も運ばないといけないが、魔法瓶で中がガラスで凄まじく割れやすい一回落とすと100%割れる。

そのタライにお湯をいれて顔を洗ったりするわけだ。
無論、凍ったうんこ手袋を石鹸であらい綺麗にしたつもりになった。

次は食料だ、さすがに腹が減ってた。外にでてもすっかり夜になりどこも閉まってた。といっても8時ぐらいだった覚えがあるが、ホテルの横の売店でラーメンを探してみるがカップラーメンは見つからない・・・袋麺だけだ。とりあえずそれを3つ買ってフロントの前を通らず、部屋にもどった。

お湯を入れる器がない・・・
どうやって食べるか思案した。ポットにいれるとそのあと使えなくなるし、袋に直接入れれるほど頑丈でも量でもない・・・ビニール袋を使うとかいろいろ考えた。

選びたくなかったが・・・・
先ほどの洗濯したり足をあらったタライで作る。

3つの大ラーメンが完成して腹一杯たべた・・・。
眠りにつき次のトラックは町の乗り場がはずれにあり朝5時とかの出発だった。

そして僕らは明け方にホテルを夜逃げした。
走り出すと、星空が綺麗で心が奪われたが、昨夜洗い物したタライでラーメン食ったことを思い出すと思いっきり吐いた。

そして逃げた。

トラックに乗せてもらうと、標高は徐々に下がり始め高山病の心配から解放されていった。さてここはどこの街でどちら方面なのか?「成都に通じる道」なのか?どうかもわからなかった。 

途中ご飯休憩で、ここはアフリカか?って言う感じのバラックの食堂で材料指定して飯をくうことにとにかく安かったのでなんとか小銭で食えたが2品と白飯だった気がする。麻婆豆腐と茄子の塩炒めだった。
どちらもクソ辛く、塩の味しかなく食えたもんじゃなかったがとりあえず食ってお湯でお腹を満たした。今だにあの塩辛さは忘れれない。むしろそれしか覚えてない。

同じ手口を繰り返しようやくATMの存在する街へ降りてきた時は日付の感覚されなかった。ガイドブックに載ってる船の予約番号に電話できる場所と家に電話できる場所を探したが公衆電話がまともに使える場所がなかったのと意外にも公衆電話がなかなか見当たらなかった。探してるうちに、ケーキが目についた。どうしても食べたくなり小分けにされたケーキの残骸を食べてみたら生クリームが辛かった・・・。 

そう僕らはとうとう四川省に入ったのだった・・・。

康定に到着。

(※こちらのブログ主もここでシャワーを浴びてて親近感がわく。)

ATMから現金をキャッシングして、シャワーのついてるホテルを探した。
なによりもシャワーを浴びたかった。1時間浴びても髪の毛についた泥や砂がとれなかった提供されたシャンプーなどまったく泡立ったない。

でもようやく文明に触れれた感触が嬉しかった。

つづく

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40才になったので毎日書く修行です。