サヨナラババァ4

サヨナラババァ(4)

H”との出会いは、2009年9月あたりまで遡る、とある永田町投資グループに彼は出入りしていた。その投資グループの資金源がババァの金だった。 30億〜110億ぐらいまでのファンド資金があったと思われる。

その年の夏
ババァと電話で話したのが8月27日だった、実際あったのは8月28日が初めてあった。
29日に僕が韓国で結婚式があり31日に日本へ戻り、9月の中頃にババァが韓国から出国停止を逃れて帰国。
その後、僕は永田町に呼ばれることになる。
そこに”H”は居た。

端正な顔立ちで九州訛りで貴乃花の若い時を思い浮かべれる感じだったが、目は欺瞞に満ちており初対面でこいつは好きになれないなと直感的に思った。
当時のババァの右腕だったと思われる。

永田町投資グループの番頭をしていたのが、”KK”という恰幅のいい男だ。
HとKKは、そのババァの資金をとある株式と溶かしてしまいグループは崩壊の危機にあった。
僕はそんな渦中に彼らと何も知らず出会うことになる。
ババァのもとには毎日不幸な知らせのごとく資金が流失していく報告聞かされていた。
しかしなんとなく、HとKKだけは火事場泥棒のごとく金をどうにか残し逃亡を図ろうとしていたように今となっては思える。

そんな時、十月末に、駅前留学の英会話で名を馳せた名物社長がとあるホテルで監禁されるという事件が勃発する。ここまで書いてしまうとなんの事件かわかってしまうので詳細は避けて書くがその事件によりHは逮捕され拘留されてしまう。
その勾留期間中に、Hが全てを歌うのではないか?と恐れたKKは散り散りに解散することになっていく。そうして勾留期限が満期になりなぜか、ほとんど関係ない僕がHを迎えに行く事になる。

車中ほとんど喋ることはなかったが、ホテルについた瞬間に堰を切ったように自分勝手に喋り捲り持論を展開して間違ってることもあってると言わんばかりの勢いだ。
時折あってはお互い口も聞かないぐらい合わない関係だった。
金がある時だけ喋ってくるようなやつだった。

そうやって

2014年の1月に福岡で「会いたい」と言われるまで周りも周知の犬猿の仲であった。

博多の寿司屋で、Hに僕は詰められる。

「先輩の子供手術しましたよね?」

「あぁそうだけどなんで知ってるんだ?」

「なんでちゃうわ!あの時大変やいうんで、会長がカンパしろっていうので180万渡したんや。」

「は?」

「子供いるから大変やおもて出したのにお礼の一言もないってどういうことなんですか?」

「いや、もらってないよ俺は?誰にわたしたの?」

「俺が先輩の口座知るわけないじゃない、会長よ会長。」

すぐさま、家の口座を確認したが入金記録はどこにもない・・・。
それもそのはずだ、あの時は納田が韓国にきて金を自分で用意したからそんなことあるわけない。

答えは1つだけだ、ババァが懐にそれを入れたんだ・・・。

ババァと僕には、明確な1つのルールが存在する「家族を的にしない」ということだ。
それをババァは僕がもっとも嫌いなHをだまくらかしてルールを破った。
いや、これはHが僕を焚きつけるために仕組んだ罠かもしれない。
しかしわからないが、そろそろ全てを清算する時期かもしれないと思い僕は腹をくくる決心をしHの思惑に乗ることにした。

「それはすまなかったな。ところでなぜ俺に会いたかった?相談があるんじゃないか?」

「明日、北九州のうちの会社に一緒に来て欲しい。」

明日帰る予定だったのを一日そうして滞在を延ばすことにした。


どのみち金を準備して欲しいって話しだろうと思ったが結末までは付き合うかと覚悟を決めた。

つづく

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