サヨナラババァ7

サヨナラババァ(7)

たった1ヶ月もしないうちに五千万円近くの資金をロストしてしまう。
商売の博打のアテが”外れる”時は、”外れる”前にわかるものだ。
もちろん・・・後戻りなどできないが、次のプランへ意識は向かう。

こういう仕事はいくつもの絡み合った”糸”を作る作業が肝心だ。
人は解こうと一生懸命に時間を費やしてくれる。
自分が出し抜くまでの時間稼ぎが必要だ。

中間処理場を手に入れる資金はすでに福島の採石場で失ってしまっていた。
所持金は0円に近かった早々に資金を作り出す必要があった。

3月から4月に入り、Hから資金調達の焦りが伺える。

ババァとは福島の案件が不発に終わり僕の資金を失わせてしまった負い目からか連絡をしてこなかった。これは、よくあることだ。

僕には狙いがあった。

”ババァは必ずHを使い資金を別で調達する”

調達の瞬間にHに僕の方が利用できるという状況を見せておく必要がある。
その材料をまずはかき集めるしかない。

Hは、僕の資金調達に焦りを感じ熊本の会社に打診をはじめており、ほぼ融資のあてをつけ始めていた。このあたりの口八丁手八丁のHの技は感心する、でも全部あとでトラブルになることは目に見えている。 

そんな中、Hの関係の高松にいる人物がもってる土地を金に変えれないかと相談が湧いて出てくる。当時は太陽光バブル絶世期で二足三文の土地に売電と名がつけば金に化けた。

僕は土地を担保に資金調達をかけ約700万円ほどの資金を作り売電許可が出れば3000万円ぐらいの価値で売ることになるだろうと、それを持ち主に伝えたが、持ち主は手前のお金が欲しく二足三文の土地をたった100万で手放した。金に焦ってると将来のお金よりも手前の金が絶対に欲しくなるそのギリギリまで粘って時間をいっぱいまで焦らすことだ。

そうして手元に600万円”中間処理場に増資”して株を取得した。資本金1000万のところに600万分の株式を取得し役員への登記を入れ込む。 

Hは、増資で入った金を使い当座の運転資金なり中間処理場は再稼働状態へとなった。その稼働で熊本の会社との事業融資をこぎつける。それが4500万円の事業融資となり、この熊本の会社を紹介したババァには1500万円手数料が渡る予定だった。

しかし、こちらで用意した資金で融資を確定させたのでHは、1500万をこちらに振り直す段取りをしてHには500万を手数料で払うことにした。 

こうして、僕と組むメリットを確定させた。

さぁ・・・どうやってこの危険な手数料のインターセプトを決めるかだ。
資金はKの会社を経由させてババァに払われることになっていた。
ちなみに、僕は韓国へ戻り別の仕事していることに世間的にはなっていた。

Kは悩んだ、何十年の長い間の師弟関係がババァと彼にもあった。
間違えなくこの資金を横取りした瞬間に、Kは追われる身となる。

僕は、Kの会社にいた社員K森さんの生活状況を落としどころにした。
K森さんは高校生の息子が1人弟夫婦がKの会社の社員となる前に、博多にある老人ホームの件で全財産をなくしていた。

Hが仕組んだ案件で老人ホームはあっと言う間に倒産に追いやられてしまったK森さんにHを紹介したのはKだった。Kもそんな結果になるとはおもわずK森一家を巻きこんでしまいその良心の呵責からKはK森一家の生活を引き受けたのだった。

そうして会社生命をかけた案件が頓挫し・・・

社員に給料も払えず路頭に迷う寸前だった。
それにはこの1500万が必要だ。

次へ向かう資金もいる・・・。

”Kはババァを裏切る決意をした”

ババァは、顔の広さとその鋭い洞察力から知り合い同士がお互いを疑心暗鬼にさせる技に長けていた。その全ての裏を知っていたのはおそらく僕だけだろう。ましてやババァの家族の生活までの面倒をここ数年、僕は手配しており家族の仕事も用意していた。

そうして・・・ババァの重要な人脈を、”オセロ”のようにひっくり返しに行く日がやってきた・・・。

資金が送金された日の朝。

Kは銀行から全部の現金を引き出し、K森一家から借りていた資金返却しHへ500万送金し僕は600万以上の資金を手元に残し当面の逃亡資金100万円をKにわたし事務所からKは姿を消した。
数時間もしないうちに、ババァは怒り狂いあっちこっちから刺客が事務所に送り込まれた。こうしてKは携帯の電源もきりサウナを転々としばらくは逃亡生活へとなったが、仙台事務所へ潜伏しあたらなる震災需要の仕事を探すことになった。

僕は、そのころ・・・
高松のHの行きつけのクラブでテキーラを何倍もショットで飲んで遊び人を演じていた。中間処理場の経営を稼働が再開され産廃業者としての基盤を作る事業計画を書く必要があった。
それと合わせてHをまだ泳がさないと仕事が完了しない。同類だと思わせないといけない。僕は、飲めない酒で毎度ホテルに戻っては朝までに酒を抜く必要があった。思考回路が遅くなって事業計画どころじゃない。 

巷ではKを探していろんな人が動いていたが誰も僕へ連絡はよこしてこなかった。Hと一緒にいるとは誰も思わなかっただろう。

そして夏前に2億近い資金を作らねばならなかった。
僕は稼働実績や将来見込める売り上げなどを積み上げていった。
第三フェーズぐらいまでの事業計画が完成したのは6月ごろだった。

KHに多額の投資資金を溶かされた人物何人もいたがその中にEとういう人物がいた。
Eは約6000万ほどの資金を建設会社の手形で作りその資金が結果溶けてその建設会社は銀行に両目だして倒産した。 Eを事務所で数度みたことある程度だったが僕にEは仕事の相談したいと言うのである日会うことになった。 EはHを毛嫌いしており裁判沙汰になっていたEHのカウンターとして弾を持っておくぶんにはいいか・・・と思い相談を聞くことにした。

「明後日、手形が落ちるので助けてください。」

僕にはやらない仕事が2つある不動産手形だ。
瞬殺の穴埋めとはいえ手形の仕事は気が進まなかった。
それも”明後日”、銀行時間を考えると時間がない・・・。
Eはしつこかった、僕の前で泣き出す始末でお願いしてくる。

手形は、穴を埋めてもまた手形で金を作ればいつかはそのババを誰かに引かせることになる。そのババ抜きは誰かをはめるためにやるゲームみたいなもので必ず負けを出す。

この手形で助けなければ、よかったかもしれないと今でもたまに思うことがある。

僕の信用で、手形を追加で差し出して結果穴を埋めた。
そうして、ババ抜きが始まった・・・。

「2億の債権処理」「ババァの追手」「手形のババ抜き」

3つの負債が僕の頭にのしかかる。
いつまでこんなことやらないと行けないのかともこの時はまだ思ってなかったかもしれない。
いや薄々わかってたのかもしれない”終わり”が近いことを。

つづく

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40才になったので毎日書く修行です。