見出し画像

どうして私は評価されないの?その疑問に答えます。(1/3)

みんな仕事を頑張ってる中でこんな気持ちになる事はないだろうか?
「なぜあいつだけ評価されるのか?」「どうして自分は評価されないんだろうか?」実はこれ、僕も社員だった時によく思っていた事です。

今日は評価される人になるための「答え」を授けたいと思います。

人によって出世に興味がある人も、プライベートの充実に興味がある人も、様々な価値観があるよね。人によっては出世に興味ないって人もいるだろう。

でもキャリアを積みたい、年収を上げたいって気持ちはみんなあるはずで、その上でどうやったらキャリアをもっと詰めるのか、どうやったらもっと評価されるようになるのか模索している人もいるだろう。

評価されないのにはいろんな理由がある。

まず一つ目、素直じゃない人材は得てして評価されにくい。

もうこれは、当たり前なので詳しくは解説しないけれど前回の話と少し相反するところがあって、組織に対して素直さが必要であるという事だ。

例えば、個人のこだわりがあるとしよう。わかりやすい例でいえば「もっとお客さんと深く関わりたい」こんな思いを持っている人がいるとしよう。それはそれで素晴らしい事だし、推奨されるものである。

ただ、組織の状態によっては「深く関わっていたら仕事が回らない」こうゆう状態はもちろん存在する。このように時に会社として「もう少しスピードを上げて効率化を図ってくれ」こうゆう指示があった際に素直なタイプは「いつもは月に1回打合せしているけれど、2ヶ月に一回にしてもらおう」と意思決定がされるわけ。

でも素直じゃないとどうなるかっていうと「会社は何考えてるんだ?お客さんに対して効率性を求めたら解約されるじゃん!!」と心の中で反発して、いつも通り時間をかけて関わってしまう。

個人レベルの判断でいえば、「どちらも正解」なので、その人を責めることはできない。しかし、組織の意思決定に対して素直な行動をできていないという事に気が付いていないのだ。

僕が言ってるのは「どちらが正解」という話ではなく、「組織の決定に対して素直に動くかどうか」が人として評価を得やすいかどうかに関わってくるという事なんだ
(考課には含まれていない要素なので給与決定には直接的には関係ない)

「結局、言いなり社員がいいんじゃん」

こんな風に思う人もいるかもしれないが、逆に言うのであれば、「指示通りに動けない人をどう評価してあげたらいいの?」ってことだ。指示に素直に動いてる人がバカを見る組織になってしまうし、指示を素直に受け取れない人を「素晴らしい個性だね」と言っていたら、バラバラの組織になってしまうよね。

前回で言った「本当に大事にしたい事」これはこれで持っている事は大事なんだけど、組織の指揮には素直にならなければならない。例え、それが「自分の大事にしたいもの」をないがしろにしなければならない事になっても、指揮、指示が出ていたら素直に受け取るしかないわけだ。

勿論、それがずっと続くというわけではない。その指示、指揮を完了した後に意見すればいい。自分が大事にしたい事を守るために意見をしたらいい。

分かっておいてほしい事は、「指示が出る・指揮が出る」という事は、すぐに取りかかからないといけないタイミングだから指示・指示が出てるわけだ。そのタイミングで価値観のすり合わせとかをしようと思うととてもじゃないが適切なタイミングで、適切に組織を動かせない。「本当に大事にしたい事」これを守るあまりに組織を負けさせていては本末転倒なんだよ。

だから、組織の意思決定を素直に受け取れる事が前提条件となる。また自分で素直と思っているだけで、素直じゃないタイプもいるのでこれ要注意。

素直にもレベルがある。

1の指示に対して10理解するタイプ。これは超素直。要するに「上司はこうゆう状態で、こう言ってるから、きっとこうゆう事だろう」と素直に受け取っていれば予測もズレにくくなる。

素直のレベルが低い人は、1の指示に対して「は?そんな指示で動けるわけねーだろ、どうゆう事?」とか「え、もしかして自分にそんな雑務をさせようとしてるわけ?忙しいんだけど!!!」とか、背景や状況を理解せずに頭の中では反発しまくっているケース。

それでも仕事だからやるか、、、、となるので大人といえば大人なんだけど、素直か?って言われるとちょっと疑問が残るよね。本当に素直な人は「全部を受け入れていて、どうしてこの指示になっているのか」まで、超素直に受け取ろうとする。

この差は思った以上にでかい。前者は本当に予測がつかない部分だけを質問してくる。後者のタイプは、前提から質問してくる。前者の質問は「ここだけ判断軸がないのですがBでいいですか?」という質問になる。

後者は「これってどうゆう意味ですか?」という質問になる。どうゆう意味ですか?と聞いてくる時点で、自分の正解とは大きく指示がズレてると思うから前提から聞いてくるわけだ。

価値観が違うし、考え方も違うのですべてが一致するわけではないんだけど、可能な限り一致させようと動くのか、正しさをぶつけ合うのか、この違いだと思う。

もちろん、正しさをぶつけないと自分がないがしろにされてる感が出るからこそ、「前提おかしくないですか?」という質問になって表現されると思うんだけど、それでも、自分よりも組織を優先させられる人なのかどうかがやはり組織を任せる上では大事な視点になっていくのではないだろうか。

みんなだったら、家族の事を優先して個人の大事にしたい事を後にしてくれるパートナーと、家族の事は後回しで自分の大事な事を優先するパートナーとどっちに人生のかじ取りを任せたいと思うだろう?

個人と会社って会社が批判されるケースの方が多いけれど、個人の集まりが会社であり、舵取りを任せる任せないの判断軸はプライベートや人生のかじ取りを任せられるかどうかという判断軸となんら変わりがないと思う。

とまぁ、一つ目が長くなってしまったのだけれど、素直さ。
そしてこの素直さのレベルが高いか低いか、ここまで考えてほしい。もし、「自分は評価されていない」と感じるのであれば、この素直のレベルが低いのかもしれない。

組織の指示や指揮は、常に全体を見て「みんなの生活を守るため」「市場で勝ち残るため」にされているケースのみだ。特定の個人のため、個人の好き嫌いで意思決定がされるはずがない。そんな事したらみんなから批判される事は誰もが分かる事。

組織のために、一個人のこだわりや価値観を一旦置く必要がある時もあるんだ。組織の決定に素直かどうか、このスキル次第で解釈が「私は組織の力になっている」と捉えるのか、「なぜ会社は評価してくれないんだ?」になるのか、大きく変わってくるはずだ。

どうして私は評価されないの?その疑問に答えます。2/3へ続く...


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?