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『KESARI/21人の勇者たち』

〈※注 若干ネタバレを含みます〉
ボリウッド作品『KESARI/ケサリ 21人の勇者たち』を観た。
インドが、またも「本身の刀」を振るって来た。
いわゆる〝戦争映画〟の定石をきっちり踏まえ…寡兵 VS 大軍の物語で中盤までの見せ場となる前者のキャラクター描き分けや少年兵の葛藤 etc…つつも、支配と被支配、民族・宗教の対立、階級差別など、21世紀になってもいっこうに出口が見えない問題にスポットを当てている。
スィク教(字幕では〝シク教〟に表記統一)に関する基礎的知識や本作の歴史的背景についてはパンフレット(税込400円)をご購入いただけばおおむね把握出来ることと思う。また「サラガリの戦い」についてはウィキペディアをご覧いただきたい。
https://en.m.wikipedia.org/wiki/Battle_of_Saragarhi
さて、私が個人的に涙腺崩壊したのは、被抑圧階層からスィク教徒になった戦士のエピソード。パシュトゥーン人の集落でモスクの修復を手伝い、その御礼として老婆から一粒のアーモンドを供養される。
同僚「奴はあのアーモンドを勲章みたいに大事にしてるぜ。階級制度のもとで奴は〝動物〟だった。だからスィク教徒になった。スィクは〝人間平等〟の教えだからな」
ヒンドゥー教義の原則で人間として認められるのは、ブラーマン(神官)・クシャトリヤ(武士)・ヴァイシャ(町民)・シュードラ(農奴)の四階級。しかも輪廻転生できるのは上位三階級までで、農奴は農奴になるために生まれてくる、とされた。さらにその四階級の下にアウト・カースト(いわゆる「不可触民」)が置かれ、彼らは〝自然に湧いてくる生物〟であって、人類とは見なされなかった。
ゆえに〝動物〟扱いされて育ったあのスィク戦士は、パシュトゥーン人の老婆から受けた感謝が〝人間〟を実感した瞬間だったのだ。
そのカースト差別が違法となったのは、サラガリの戦い(1897)から五十三年後、1950年1月26日の独立憲法発布から。憲法起草者は「不可触民」出身のアンベードカル博士である。
以下は余談。スィク教の誕生について、あくまで一説ではあるが、それ以前に滅んでいた仏教徒の残党が関わっていたのでは?とする見方もある。例えば開祖グル・ナーナクの伝説にはブッダ伝と同工異曲のエピソード…裏切った弟子が丘の上から岩を落とすが開祖は足の指を怪我しただけで済んだ etc…もある。

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