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何度も何度も同じ

またルックバックを読んだ。今までに無いほどに胸がいっぱいになり、ぼろぼろ泣いてしまった。拭っても拭っても涙が止まらなかった。単行本を買ってよかった、こうして何度も何度も感動を味わうことができると思った矢先、こんなやりとりを思い出した。

「永池さんって、何度も同じ作品を見るの。へえ、わかんないな。」

昔、飲み会で上司に言われた一言だ。とある映画の話をしていて、私が「何度も見た。それくらい見ごたえのある素晴らしい作品だった」と力説していた時に、本当に不思議そうな顔をして言われたのだ。大人の会話では、相手に賛成や同意ができない場合でも「愛想よく合わせる」という技を多用するが、彼はその時その技を使わなかった。私が部下なので気を使わなくてもよい、というのもあっただろうが、その技を使うことを忘れてしまうくらいに驚いている様子だった。珍しいものを見るような、怪訝そうな顔をしていた。

「一度見たら話の筋がわかるから、それで十分じゃない」

この時私は、何度も同じ作品を見ることがない人種を発見した。これはあまり嬉しくないが、私にとって世紀の大発見だった。「漫画とか小説とか、ああもう一度読みたいな、ってことはないんですか」と訊くと「ない。だって話が分かっているから」と一刀両断されてしまった。
私はそれ以上その映画の話をするのをやめた。

映画や、絵画、小説などの作品を、噛み締め深く掘り下げて楽しむことを重要視しないタイプの人なのだろう。勿論、作品の楽しみ方は人それぞれなので良い悪いを論じるつもりは毛頭ない。しかし、例えば大切な人(恋人とか奥様とか細君とか)との思い出の作品があったり、何度も見返すことで考察を深めたり、見た年齢によって感じ方が違い新たな発見があるとか、そういうことってないのだろうか、と、こっちはこっちでかなり不思議だった。とどのつまりは、色んな人がいるよね、ということなのだけれど。


何度も何度も同じ作品を見る(読む)のは、なぜなのか。


私はルックバックを通算6,7回読んだ。ここに来てやっと、ごうごうと滝のように押し寄せる作品のパワーに流されることなく、じっくりと向き合い、噛み締めながら味わうことが出来るようになった。1回目、2回目ではこの域に到達できなかったなと、振り返ってみて初めて気づく。新しい発見があったり「Don't Look Back In Anger」などの巧妙な仕掛けに自力で気づけるほどの域には達していないけれど、何度も読むことで本作品にはもの凄く深い奥行きがあることを知り、また幾層ものレイヤーが折り重なっていることに気づき、それを丁寧に指でなぞって感じて、ゆっくりと深く潜って、心を震わせている。

こうした体験を味わえるから、私は何度も何度も同じ作品を見る。

当時の上司には理解してもらえなかったけれど、きっと理解してくれる同志がいると信じている。


ながいけまつこ

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