廃線跡探訪〜布引電気鉄道〜
こんにちはひゃくとーです
最近は廃線跡をめぐる旅にはまっており中でも布引電気鉄道はわずか8年という短命に終わった鉄道です。また、戦前には廃線していたため80年近く経っており目立つ遺構が少ないのです。この少ない遺構を探し、廃線跡をめぐってきました。
沿革
まず布引電気鉄道は長野県の現小諸市にある小諸駅から現東御市の島川原駅の7.4kmを結ぶ路線で1926年から1934年まで営業していた路線です。沿線の開発と布引観音への観光客輸送を目的に設立された路線です。
当初は中山道の宿場町である望月までの開業を見込んでいたようですが資金の調達が困難であり島川原に発電所が建設されるため資材輸送にも活用するということで東信電気から資金面をやり繰りし、小諸から島川原までを第一期線として開業させました。
資材輸送などにも活躍していたもののイマイチ営業成績は思わしくなく末期には電気料金すら払えない状態になり、運行を休止。さらに当時の鉄道省ともイザコザが起こり1934年に廃止されました。開業からわずか8年で廃線という悲運の鉄道でした。
廃線跡へ
小諸は坂がとりあえず多く歩いて周るには松尾芭蕉並のの脚力が必要です。そのため観光案内所でレンタサイクルを使うことにしました。電動アシスト付きで軽快に進むことができます!(写真なくてすみません…)
最初の遺構は押出駅跡です。
スイッチバック式の駅でこの開けた辺りが駅だったと思われます
島川原方 道路が本線で左手の路面が押出駅になります。
石垣がホーム跡なのかは不明ですが説明板も設けられておりかつて鉄道があったという歴史を残してくれています。
自転車で10分ほどで次の遺構である橋台と橋脚が現れます。
対岸の県道40号から見ることができます。
対岸側には島川原方の橋台が残っています。
石づくりで時代を感じさせてくれます。
そして県道40号に沿って進みます
数分で布引観音の参道駐車場が見えて来ます。
そこに布引駅跡があります。
この石づくりのホーム部分が布引駅跡になります。ホーム上は違う施設が建っていますがホームの形状がパッと見でもわかります。
布引観音はこの山のあたりを登っていくとあります。
ホントは参拝してみたかったのですが時間も限られていますので今回は割愛します…
※追記 後日布引観音へお参りしてきました
参道から見える滝ですがまだ凍りついている所もあるようです。この日は比較的気温も暖かかったのですがここへくるとひんやり
道中、参道が凍りついている場所もありましたので歩くには充分注意して進みます
なんとか本堂に辿り着くことができました
この断崖絶壁に建てられたお寺は清水寺を彷彿とさせます。
本堂の途中にも岩でくり抜いた道やお堂があります
本堂からの景色です。ちょっぴり怖いです…
左下には崖のところに投げ銭が
善光寺とも縁ある絶景も期待できるお寺ですので暖かい季節に一度訪れみてはいかがでしょうか
さて本編へ戻ります
先述の橋台跡側を向いて撮影
道路沿いに鉄道が通っていたことがわかります。
少し進むとちょうど線路一本通っていたような路盤を見つけました。
もしかしたらここを電車が通っていたのかも…と想像するだけでも面白いですね!
先ほどの布引駅から辿ってみても鉄道が通っていてもおかしくはないと思われます。
そして終点島川原駅跡へ移動します。
すると道中布岩と呼ばれる観光名所を発見しました
牛に引かれて善光寺まいりで有名な名所です。
要約すると無信心なおばあちゃんが牛に持って行かれた布を追いかけて善光寺に行き着き信仰心が芽生えるというものでその時の布が風に舞い岩壁に辿り着き白い化石になったものがこの布岩というわけです。
でもまぁ布デカすぎやろ…
こういった名所も沿線にはあったんですね〜
そして道路沿いに進むこと15分で島川原駅跡に着きました。
写真も撮ろうと思いましたが島川原発電所の方?だと思われる現場作業所のような小屋が建っており作業員の方たちもいらっしゃったのでここでは控えることにします。
場所は島川原発電所の手前で県道40号から舗装されていない道路あたりが駅跡になります。ちょうど2線くらいの広さがあり発電所への引き込み線のような空き地もありました。
まとめ
今回は布引電気鉄道跡をめぐりました。この他にも長野県内には様々廃線跡が点在しています。
遙か昔のことですがその時代に思いを馳せ、電車が走っていたということを想像してみるのも鉄道の面白い楽しみ方です。
ご覧いただきありがとうございました😊
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