オリンピックに思うこと

 こんなこと言ったら怒られるだろうけど、来年の2020東京オリンピックは、盛大に失敗してほしい。誰にも死んでほしくないが、死者が出てもおかしくないくらい、危険なオリンピックだからだ。いまだに世界の大国だと自分を思ってる日本が、恥を晒して見るもいたたまれないド派手な失敗をしてほしい。

 まず、なんでもかんでもボランティアっての、本当に恥ずかしいからやめてほしい。労働に対価を払うという概念が、日本ではまだまだ未熟だ。むしろ、無償の奉仕を崇高なものだと思っている。それは全て、自主的にやる人が立派なのであって、強請ればそれはたかりというものだろう。ましてや、ボランティアへの参加を強制するなどもってのほかである。あと、医療に携わる人をタダ働きさせるの、本当にやめてほしい。

 あと、金の使い所を間違えてる。何故、大会の運営スタッフの一部がボランティアで、そのボランティアが研修をする会社(あの悪名高き竹中平蔵の人材派遣会社)に税金が支払われているのか。しかも、いくら支払われているか非公開とは、これいかに。もういい、失敗しろ。全世界に、戦時中から全く変わらない日本の幼稚な精神性を暴露しろ。

 閑話休題

 先日、マラソンのニュースで靴の話をしていた。マラソンシューズというのは、ずっと「軽い靴こそがいい」というトレンドだった。それが、今大会では厚底のシューズ(ピンク色のやつ)を使うランナーが多かったそうだ。このシューズ、厚底のソール部分が特殊な素材でできており、バネのような効果で走りを助けるそうだ。

 でも、俺は思うんだけどね…一流選手が一流の道具を求める、これは必然だろう。でも、バネがついてて助けてくれる靴って、それはアスリートに必要なものだろうか?文字通りゲタを履いてでも勝ちたい、記録を打ち立てたい気持ちもわかる。責めるつもりはない。けど、プロ競技ならいざしらず、そうした「一部の人だけが持てるパワーアップアイテム」は、オリンピックの精神にそぐわないのではないだろうか。たとえは冬季五輪って、黒人選手が極端に少ないよね?それは、黒人層の中にはまだまだ「スケート靴やスキー板を買える金持ちが少ないから」というのがある。道具がものをいう、道具がなければオリンピック選手にあらず、みたいなのは大変よくない。ここは一つ、全員裸足で全裸、これでどうか!…ごめん、それは嘘、冗談。昔はそうだったかもだけど、無理だよね。大会委員会で全ての道具を、決められた公式のもの以外使用禁止にしたらどうか。その上で、全選手に公式の道具を配ればいいと思う。でも、そうなると財源の話になるんだよなあ。

 さらに、突き詰めるとパラリンピックの義手や義足の話になる。当たり前だけど、障害者が失った肉体を補填し、さらにアスリートとしての力を求めると…どんな身体の部位でも高額になる。競技用の車椅子だって、物凄く高い。そして困ったことに「健常者より義手や義足の選手の方が強くて(速くて)いいのか?」という議論も生まれてくる。俺はいいと思うが、障害者の中に「強い義足の人」と「弱い義足の人」がいるんだよね。みんな、予算は限られてるからさ。そして、義手義足は全員同じものでいい、とはいかないのだ。身体の一部だからね。

 今、平和の祭典オリンピックは新しい時代を迎えようとしている。膨れ上がる開催費に、利権でがんじがらめのスケジュール。横行するドーピング問題や、各競技団体に蔓延するセクハラやパワハラ…でも、こうした問題に真摯に向き合い解決して、道具の問題なんかも是非前向きに議論してほしい。心から祝福できる、誰も犠牲にならないオリンピックを目指してほしいんだよなあ。

はじめまして!東北でラノベ作家やってるおっさんです。ロボットアニメ等を中心に、ゆるーく楽しくヲタ活してます。よろしくお願いしますね~