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宙に浮いた言葉-水俣病犠牲者慰霊式実行委員会

昨日、水俣病犠牲者慰霊式実行委員会が行われた。「慰霊碑の中に入る水俣病犠牲者の名前は、行政から認定を受けた患者に限る」という取り決め。未認定患者から「自分たちの名前を入れてくれ」との要望があり、小委員会を作る、市長が意見聴取のため患者団体をまわる、委員の内外で多数決、アンケート調査などがなされ、長年議論が続いているが、結論は出ない。
昨日もそれぞれの団体が言葉を選び、意見をいった。この議論に現市長が交わるのははじめてだった。私は期待し、それまで下を向いていた市長に、考えを尋ねた。すると市長は、前の発言者の「みんなが納得する形を」との意見を復唱・同調したあと、「私はああだこうだ言う立場ではありませんから」と言葉を終えた。他人事のように。水俣の長という当事者であるはずのあなたは、では、なぜここにいるのか。それぞれに、それぞれの覚悟を持って、当事者として自分の言葉で発言する人たちの気持ちを、その言葉を復唱するという行為で受け止めたふりをして、突き放すような宙に浮いた言葉。
昨年度、リーダーシップを取ってほしい、そして決定を、と求められた前市長は、「せっかく上手くいっているもやい直しを私が動くことで壊したくない」と言い、患者団体同士の対立にも発展する目の前の課題から逃げて市長を終えた。昨日も、その「もやい直し」という言葉が出てきた。私にとってもやい直しは、もはや蜃気楼のようなもの。もやい直しは、患者が発した当初の意味から、使い手によってすり減り、変わってしまったように思う。
「もういい加減、平和に暮らしたい」、「患者には黙ってほしい」、「いい加減にチッソを許せ」という前の委員会後の飲み会での「市民の声」。いままで平和に生きてこられなかったのだと悲しくなりました。
加害被害の単純な構図で語るのはナンセンスだとも思うけど、でも。加害者は、いつまでも加害者としての自覚を持って。自らを許さないで。自らを許せと市民に求めないで。そして私たち水俣市民もまた被害者でも加害者でもあった歴史を自覚しよう。

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