見出し画像

公害環境対策特別委員会」の名称から『公害』の文字を削除することを求める意見

「水俣病Tシャツ3種類」を、PTAのスポーツ大会でも、高校の広報誌にPTA会長として撮影された日も、まち案内でも、お買い物でも、毎日毎日着まわして活動しています。
3月、JNC(チッソ)水俣工場の道路沿いに「メチル水銀中毒症へ、病名改正を求める市民の会!」というベニア板の看板が立った。地元紙やテレビなど何度も取り上げられてきた。しかし水俣で生まれ育った私自身も含めて、市民同士での議論に発展することはなく、水俣市民が背負ってきた病名に対する複雑な心情、もの言えぬ・言わぬ空気の表れに思える。水俣病に翻弄されて、みんな傷ついてきた。議論ができる状況まで回復も何もしていない。
私は、水俣の外で暮したとき、水俣病がきっかけで人から拒否されたり否定されたりするのが怖かった。いまは生活の場が脅かされるのが怖い。地域での関係、学校での他の保護者との関係、友達との関係。こどもが何か言われやしないかと思うと怖い。そして私自身と、向かい合うのが怖い。何をいまさらと思うけど、やっぱり怖い。水俣病を仕事にしている私がこんなに怖いんだから、そうじゃない人はずっと怖いかもしれない。私が持っている気持ちは大切にして認めてやりながら、でもちゃんと言おう。言えないときは「水俣病Tシャツ」を着よう。
「メチル水銀中毒症」というのは、医学的な名称で、「『科学』の名のもとに改正」というのはもっともらしいけど、水俣病事件の本質は、社会と政治の問題にある。水俣病を、水俣だけではなく日本全体が背負っていくために、同じことを繰り返さないために、患者のために、私たち国民のために、この病名は重要だ。水俣病事件で起きたことに蓋をしたくない。痛くても苦しくても、事実を見つめたい。
4月、水俣市は、水俣市役所の水俣病の認定申請や市民主導の慰霊事業を支援する部署名から「水俣病」の文字を削除した。人員も減らした。驚いていたら次は、市政運営指針として1996年から水俣市総合計画の表題に使われていた「環境」の文字を削除した。環境ISO14001の取り組みもなくなるという。「環境」問題という視点でも、使い方によっては環境問題一般の語り口で水俣病という「加害」の面を隠してしまう危険な言葉だけれど、水俣市はそこからさらに退歩しようとしている。
4月末の選挙では水俣病の原因企業であるチッソ(現JNC)出身の議員がトップ当選。チッソが大応援して当選した現市長を支える体制が整った。私が応援した元相思社職員の藤本とし子も当選したけれど、新しい顔が増えたことと、いままで反市長派だった議員が手のひらを返したことで、市長派の議員が11人。反市長派が5人という逆転の状況が生まれた。
6月、市議会の運営委員会では、原因企業チッソ(JNC)から出た二人の議員が所属する会派から、「水俣病対策ならびに環境保全に関する諸問題に対応するための「公害環境対策特別委員会」の名称から『公害』の文字を削除することを求める意見」が出された。議会運営会議を何度も傍聴に行ったが、傍聴できたのは最初の一回。藤本としこが闘っていた。しかしそれ以降、一般市民は締め出しを食らってきた。
水俣の市政の方針が、水俣病の記憶と歴史の塗りかえにむかっている。水俣病事件がなかったことにはならないが、たとえば公害という文字が取られることでそれに関わる事実が漂白されていく。こういうことは一気にやってくる。それはオシフィエンチム(アウシュビッツ)の強制収容所へ行った時、案内人の中谷さんに学んだこと。
先日PTAの飲み会で、「7月3日(水)10時から議会ば見においでよ、公害という字が消されるから」「多数決で決まるけんね。自分は賛成に一票入れるし」「ヤジが飛ぶぞ」と誘われた。水俣のPTAは、やっぱすごいなと思う。できるだけ対話したいと思いながら、でも、私の主張はさせてもらいます。
水俣病の病名変更には反対です。
公害環境対策特別委員会の名称から「公害」を削除することに反対します。

※写真は私が持っている水俣病Tシャツの一枚を、じゃん!考証館改修のためのクラウドファンディングの返礼品です(ご寄付いただいたみなさま、お世話になりました。Tシャツ、お揃いですね!)。明日の議会本会議に着ていこう。
それにしても、初めてPTAでこのTシャツを着たときのド緊張とTシャツの「水俣病」のところ隠したくなる気持ちと、堂々として見せようとか相手の反応を見たい(けど見たくない)という気持ちの相反するところは何なのだろう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?