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【木曽】舒達さん 木曽めぐるナンチャラホーイ 〜木曽ペインティングスで展示「無無明」振り返り編2〜

NAGANO ORGANIC AIR木曽(以下、NOA木曽)では、美術家の舒達さんが7月から9月まで4回の滞在を行い、木曽の各地域に伝わる伝統芸能や食文化、歴史、自然をリサーチしました。

木曽ペインティングス Vol.6「僕らの美術室」では、木祖村の向畑で展示「無無明」(10/23〜11/7)、10/23のオープニング・レセプションでは巴庵にてワークショップ「立体物をコピーしよう」を実施。展示「無無明」はNOA木曽の集大成となりました。

今回は12月13日にオンラインで行った振り返りの2回目をお届けします。

参加者は、舒達さん、ホストの木曽AIRネットワークの熊谷洋さん、奥野宏さん、倉橋孝四郎さん、杉野明日香さん、近藤太郎さん、そして、信州アーツカウンシル(以下、信州AC)の野村政之、佐久間圭子です。

大桑村「La Mora」で広がった陶芸の世界

ーー次に、奥野さんと一緒に陶芸の作品を制作されたことについて、お聞きしたいと思います。

舒達:最初の滞在の時に奥野さんの個展を見にいきました。作品がすごくおもしろいなと思いました。奥野さんの作品は、陶芸の学校でやれば絶対何か言われるかもしれない焼き方です(笑)。でも、奥野さんは無理やりに、石もそのまま焼成している、これはおもしろいですよね。奥野さんは自分で土をつくったり、自分で釉薬をつくっていて、これは多分、奥野さんと地域のつながり方かなと思います。だから、僕も奥野さんのやり方を勉強しながら、地域の土で地域のものをモチーフにしてつくりました。そんな感じです。

舒達さんが大桑村の土を野焼きしてつくった作品
(木曽ペインティングス、木祖村の向畑での展示)

舒達:単純な造形で無理やりに焼成するやり方はすごく勉強になりました。自分ももともとは陶芸の作品をつくっていましたけど、でも、こんなやり方は一度もやったことがなかったです。野焼きも土を練らずにそのまま使うこともやったことがなかったです。自分がその前に使った土は全部、ショップで買った陶芸用の土でしたけど、奥野さんの土は全部地域の土で、地域の土そのままに造形して焼成していくんですよね。その土は石とか小さい雑質があって造形しにくいですけど、でも、すごく特別な表情が出てきました。最後どうなるのか、コントロールできないかもしれないんですけど、「あ、これもできるか」と、陶芸の世界が広くなりました。

LaMoraにて。火に木をくべる奥野さん(左)と作品を入れる舒達さん

舒達:野焼きの窯自体も作品みたいだと思いました。原始的な縄文時代の窯みたいです。奥野さんのアトリエの庭にあって、アトリエにしている建物の空間もかっこよかった。La Moraという100年前の養蚕業の建物で、天井がすごく高いし、木も古い大きい木で、すごくいい空間でした。奥野さんの作品はロマンチックで、いい意味で子どもっぽいかなと思います(笑)。

奥野宏(以下、奥野):うれしいです、そうやって言っていただいて。かつて養蚕をやっていた家を今直しているんですけど、そこの庭で野焼きをしています。怪獣みたいなのとか妖怪みたいなのとかをつくったりしています。

LaMoraの2階

奥野:大桑村の地域おこし協力隊でもあり、今3年目です。大桑村は縄文時代の遺跡が50カ所以上出ている村なので、勝手に「大桑焼」と言っています。産地といったらたくさんの人が産業として始めるような印象が強いと思うんですけど、そうではないので、ちょっと皮肉っぽい感じもあるんですけどね。村の土を縄文時代の人ぶりに焼いたかなぁっていう、そこもロマンチックなことを考えて、そのまま焼いています。

縄文時代の土器をイミテーションするというよりかは、さっきの話に出てきたサルだとかクマだとかをモチーフにしています。ここは自然がすごい。自然との境界が「自然=家」みたいになっているところが結構ある場所なので。イノシシとかシカとかを捌くのは、猟師さんに「ちょっと手伝って」って言われて何回か行ったことはあります。クマがつかまった時は上顎を切ったりするのを手伝ったりして、顎が取れたクマの顔土偶とかをつくったりしています。

大桑村歴史民俗資料館に展示された奥野さんの「大桑焼」

ーー一緒に野焼きをされたということですが、どんな流れで。

奥野:舒達さんが昔は土を使って制作されていたというのもあって、僕も地元の土を使って土器を制作していたので、「一緒につくってみますか」みたいな、そんな軽い感じです。

舒達:一緒にできてよかったと思っています。

奥野:まだわからないですけど、来年ももしかしたら一緒にできるかもしれないので、もうちょっといい窯にしていこうかなと思っています。窯がどんどん崩れてきちゃったので修復して、その土でレンガを造ったりして。

ーー舒達さんの展示はいかがでしたか。

奥野:焼き物には、1回自分でつくったものを窯の火で燃やす(自然の炎に委ねる)というプロセスがあるんですけど、舒達さんは3Dプリンターという現代的な技法で、時を経て劣化した仏像に手じゃないプロセスを加える。そうすることで、劣化だか進化だかわからないですが、なんかちょっと時を飛び越えちゃったような感じの印象があったので、(3Dプリンターは)舒達さんに合っている方法なのかなと思いました。入れ子状にっていう場所自体のコンセプトもあったんですけど、もう少し大きいボリュームの作品も、次に観てみたいなと思いました。

舒達:来年のこと、すごく楽しみですよ。La Moraの空間もすごく気になっています。

奥野:ありがとうございます。大正時代からそのままタイムスリップしたような空間がまだ残っています。あそこの空間と舒達さんの作品もマッチするかなと思いますし、家を壊している時に出てくる土壁の素材だったりとか、石だったりとかがありますので、それを舒達さんの目をとおして、もう1回パッケージングし直して、そこの大広間で作品として見れるのを楽しみにしています。僕は子どもっぽい、わけのわからないものをつくろうと思います。

舒達:ありがとうございます。

木曽ペインティングスのおもしろさ

ーー木曽ペインティングスでの展示はどんなふうにつくっていったのか教えてください。まず、会場探しはどんな感じでしたか。

舒達:最初は(信州ACから)「NOAでは作品を提出しなくてもいい」と言われましたけど、地域のいろんな空き家を見たら、すごくおもしろい建物がいっぱいありました。なかでも一番気になったのは向畑の空き家でした。(NOA木曽が始まって)最初の1カ月ぐらいは何をつくるのか全然わからず、ただ祭りに参加して喜んで(笑)。そのときは祭りに関するものを思いついたりもしていたんですけど、向畑の空き家を見て、感じて、自分の研究にも重なって。

だから、この空間でどんな作品をつくろうか、どんなおもしろい展示の仕方があるだろうかと、ちょっと考えて3Dプリンターの作業を始めました。もともと3Dプリンターは使っていなかったんですけど、3Dスキャンをやってみて、3Dプリンターの重層的な方法と、この部屋のあり方が似ている、合っていると思って、最後はこの空間で3Dプリンターのやり方でやろうと決めました。それから、リサーチする時に見た道祖神とか、王滝村の仏像たちとかもスキャンして、学校の3Dプリンターでプリントしました。こんな流れです。

ーー展示では木曽踊りの音楽が流れていましたね。

舒達:最初は、どんな音楽をつくろうかと悩みましたよね。まずは友だちに頼んで曲をつくろうかなと思ったんですけど、私道さんがリサーチした時の映像を見たら、「木曽踊り、すごくいいな」と思いました。地域の音で、地域の人が歌った歌です。木曽踊りは簡単で、わからない人も勉強すればすぐ踊れる。ずっと12の動作を繰り返しながら、みんな丸い形にまわって踊る。ずっと重複していて、これは時間的な循環かなと思って、空間的にも入れ子的な構造かなと思って使いました。

舒達:1階の映像と2階の映像は同じ音楽ですけど、1階の音楽は普通のスピードで、2階の音楽はもっと遅くなっています。1階から2階の音が聴こえるんですが、2階から1階の音も聴こえるんです。同じ曲ですけどスピードによってちょっとずれているんです。時間的なずれも、僕が(作品制作で)一番価値を置きたいものです。

信州AC・佐久間:私道さんの木曽踊りのリサーチの時に撮影していた音源があって、それを許可をもらって使っています。普通は何人かで歌をつなげていくので、歌ってくださった方は、ひとりで歌っていたのが不本意だったらしんですけど、舒達さんはちゃんとつながるように加工をして使ってくださっています。

舒達:木曽ペインティグスの最終日(11/7)には王滝村の展示会場も見にいって、木曽福島とか向畑とか、他のアーティストの作品も見て「すごいな」と。最初(7月)に来た時はめっちゃ暑いし、最終日(11月)はめっちゃ寒いし、こんな季節の変化も一緒に体験できてよかったです。木曽ペインティグスに参加できてよかったと思いました。

自分の手で制作し、デジタルの概観効果を研究する

信州AC・野村:今後は何をしようと思っているんですか? 

舒達:今(2022年12月)は後期の論文執筆に集中しているんですけど、友だちとアートチームを結成して「Upload AIR」というプロジェクトでVR(仮想現実)の展覧会「実在しない彫刻展」を、1月頃に開催する予定です。これも東京アーツカウンシルの助成をもらっていて、おもしろい展示になるかなと思います。僕は技術とかは全然わからないんですけど、ゲーム会社のサポートをもらって、自分は提案だけするというかたちでやっています。

信州AC・野村:今回展示したこととも地続きな感じがしますよね。ぜひ田舎でもそういうことをやってもらいたいなぁ。

舒達:そうですね。今回、木曽ペインティングスで展示した手のかたちは、もともとはこの展示のためにつくったものです。来年の展示は実在しない彫刻だから実在的なものは必要ない。でも、実在するものをつくりたいなと思って、モデルを3Dでプリントして、今回の木曽ペインティングスにも出展しました。

熊谷:舒達さんに質問があるんですけど、いいでしょうか。

舒達:はい、どうぞ。

熊谷:今回、舒達さんと直接しゃべることができなくて、本当にもったいなかったです。作品も写真とかでしか観ていないので、作品に対して感想をいうのはむずかしいんですけど、お話を伺っていて、ものすごく構造的にものごとを見ようとしているな、という印象があります。

先ほど入れ子構造を研究されているとおっしゃっていましたが、今回の展示の空間と作品との組み合わせにパターンを見出して、狭くなっていく空間を対比的に見せたり、相似的に見せたりしているのが、すごくおもしろいなと思いました。さらにそれを自分の手でつくるんじゃなくて、3Dプリンターでつくると。

スマホでスキャンし、3Dプリンターで試験的につくった作品のひとつ

もっというと、今回3Dプリンター自体が、ものすごく解像度が低かったですよね。だから、スキャンしたものが、そのままコピーされるんじゃなくて、デジタル的にはそのものなんだけど、実際アナログで出てきた時には全然別物に見えるみたいなところが、すごくおもしろいと思ったし、それが、すごくアーティスト・イン・レジデンス的だなと思いました。

私の質問は、どこまで舒達さん自身の手を使ってものをつくるのか、ということです。これからデジタル的なフィールドに入っていこうとされているのかな、と思ったんですけど、一方で、自分の手を使ってつくる、大桑焼みたいなものじゃないとできないこともあると思うんですよ。ご自身は、これからもっと手を使ってつくっていくことを大事にしたいと思っていますか、それともデジタルやオンラインの世界に寄っていこうと思っていますか。

舒達:両方やっていきたいですね。僕の博士の研究では、概観効果を扱うことにしました。概観効果は、宇宙飛行士が宇宙から地球を見た時の心理的な変化のことですよね。多分、人間が神の視点をもらう瞬間ですよね。昔の人間は空から地球を見るチャンスはなかったので、超越的な視点を得られるのは科学の進歩によるものです。でも、もし宇宙以外で「宇宙」を見ると、同じ視点になるかなと思って。例えば、人間の中で見ると、人間には皮膚、肉、骨……、もっと細かく見ると原子とか分子とか、もっと小さい存在があるんですよね。どう説明すればいいか難しいですけど(笑)。今後の研究になりますが、こんな入れ子的な視点を持つと、多分主体性を失うんですよね。だから自分の経験は一番重要ですよね。自分の手で体験して、自分の手で、自分の感覚で実物をつくって、その実物を超越的な視点で見るとどんな様子になるのか。もし神が本当に存在すれば、神はどうやって人間が神の像をつくる行為を見るのか。これが今後の研究ですよね。

デジタルは重さがないし、どこでも見れるし、これも多分、超越的な視点かなと思っていて。デジタルと自分の手の経験を合わせて、何か新しいものができるかどうかわからないですけど、これにはいろんな可能性があると思います。だから両方をやってみたいです。今考えているのはこんな感じです。

熊谷:ありがとうございます。めちゃくちゃおもしろかったです。構造的に見れば見るほど、俯瞰して高いところから、神の視点に近づくというか、客観的に見れば見るほど主体性が消失していく……。なんですけど、それを自分の手でつくることによって取り戻そうとする、そういう営みをやっていきたいというふうに受け取りました。

もう1個質問があって、三島由紀夫の『金閣寺』に影響を受けたということですが、「もののあわれ」のような、はかなさを愛でる価値観や考え方というのは、中国ではあまり見られないんでしょうか。むしろ永続性や天のような(超越的な)存在を、中国の方たちは求める傾向があるのでしょうか。

舒達:自分はそんなに詳しくはわからないですけど、「もののあわれ」のような、微妙で曖昧な視点は日本の文化にしかないと思います。そこは、自分が日本の文化で非常に気になるところです。

熊谷:先ほど、御嶽教の霊場で打ち捨てられてしまった石像とか石碑を見て、信仰心を感じたとおっしゃられていましたけど、それがすごくユニークだなと思いました。そこにすごく時間の間(ま)があるじゃないですか。信仰されていた時から今までの間の、その時間によって永遠性や永続性みたいなもの、信仰心を感じたというのは、それはご自身の中で、日本に来て、諸行無常や無常的な考え方を学んだからそう感じたのか、それとも自分が育ってきた中国の価値観でそういうふうに感じたのか、それがミックスされているのか、どういうふうに分析されますか。

舒達:そうですね、多分ミックスかな。でも、(信仰に関する)一番古い記憶は、おばあさんとお寺に行って法事に参加した記憶ですね。子どもの時はお寺はすごく怖かったです。みんな厳しい顔で、全然笑っていないし、仏像も大きすぎるし、なんか迫力が強すぎるなと思って。そのときの印象は全然よくないんですよね。でも、おばあさんが亡くなったあと、わからなくなりました。20年ぐらい一緒に暮らしましたけど、おばあさんが信じていた世界はどんな世界か、全然わかっていなかった。だから、それをきっかけに、(信仰の世界とは)どんな世界なのか、でも、そんな世界を信じているおばあさんはなぜ亡くなっているのか、というのがちょっと気になって。だから、両方あるんですよね。自分の今までの生活の経験と、小説を読んで日本へ来て、日本で体験したものをミックスして、多分、今の自分になるんですよね。

「空き家の空っぽな感じと空っぽな仏像が、スローダウンした木曽節とともにグルグルグルグル回っている感じ。あのスローダウンした感じがよかった。浮遊感というか、現実からずれて壊れていくというか。おもしろい展示でした。美術評論家の天野一夫さんが展示を観にきて『いいね』って言ってました。細かいことは何も言ってなかったけど、『この作家はいいね』って 」(木曽ペインティングス代表 岩熊力也さん)

アーティストとしての超越的な視点

ーープロフィールには無常を研究していること、それが作品のきっかけになっていることが書かれています。舒達さんがNOA木曽で無常の概念を具体的に感じた出来事などはありましたか。

舒達:この展示の空間自体が一番感じましたよね。この空間の特徴とおもしろさを表現するために、この空間を何度も見て、この空間の歴史と周りの環境を何度もリサーチしました。庭からキッチンに入って、最後は2階へ来て、2階の一番狭い戸口から外へ出て、外の一番広い木曽の山を、自然を見るーー。この部屋の感覚と木曽の環境が、僕にとって一番発見されたものですね。

舒達:木曽はすごく山の奥の田舎なんですけど、逆に、自分は宇宙の一部分という感じが得られましたよね。多分これは、東京でも京都でも感じられなかったものです。自分はいつか自然の一部分になるのか、と感じました。

無常についていうと、僕は仏教徒ではないし、本当に(神が)存在するかどうか疑問を持っています。アーティストとして仏教の超越的な視点をゲットして、今、苦労している人たちに超越的な視点を見せられるかどうか、ちょっと確認したいために、仏教的な視点を研究しています。

そして「無無明」というタイトルですけど、仏教から逃げたいんですけど、仏教の経典の中から取り出した単語を使いました(笑)。無明は無知ですよね、だから、無無明は無知のない状態で、無無明というタイトルも入れ子的な構造です。無明はない、だから無無明です。このタイトルと部屋の関係もつながっている。なぜ無知がないのか。多分、無常という現実がわからない原因と同じですよね。ちゃんと説明できたかわからないですけど。

NOA木曽、そのあとの可能性

信州AC・佐久間:展示が終わってから1カ月経ちました。この間に木曽での滞在の影響などはありましたか。

舒達:博士で研究したい内容を大体決めました。概観効果と入れ子構造に関する主体と客体性の関係など、そんな研究を始めました。その前はずっと悩んでいて、最初に参加しようと思った時は、研究テーマを全然決めていなかったから、深すぎる論文の世界からの気分転換な感じだったんですけど(笑)。最後に教授に報告した時は、「 論文や制作への良いインプットになったようですね 」と言われました。今回のNOA木曽は今後の研究テーマとつながったので、これはすごくいいです。

今回の展覧会は僕にとっては完璧じゃない展覧会でしたけど、そのあとの可能性があった展示でした。今も(NOA木曽で)スキャンしたものをプリントしながら自分の研究を進めています。

信州AC・佐久間:NOAや木曽ペインティングスでの展示を実験的にやりながら、自分の土台をしっかりつくれたという感じでしょうか。すごい、いい影響があってよかったです。

オンラインで行った振り返り。舒達さんは京都から参加した

信州AC・佐久間:ホストのみなさんは、舒達さんが滞在したことがきっかけで、それぞれ何か考え方が変わったことはありましたか。もちろん何もなくてもいいと思うんですけど、何かあればお願いしたいと思います。

奥野:来年もまた一緒に作業できそうということで、短期間じゃなくて、ゆっくりとできそうでよかったなと思いました。舒達さんが日本に興味を持ったきっかけが三島由紀夫『金閣寺』ということで、僕も読んだけど忘れちゃったなとか、無明って、無常ってなんだっけと、改めて勉強するきっかけになりました。

縄文時代から弥生時代へと、大陸から稲作が入ってきて日本の文化がガラっと変わるんですけど、僕はどちらかというと縄文の方が気になっていて。縄文の紋様だったりとかも言語を超えてわかるというか、ヒップホップのビートだったり、レゲエの音楽のバイブレーションのように共通言語になりうるものだと思うので、次回、そういうことも舒達さんと話してみたいなと思いました。

来年も、舒達さんと手を動かして作品をつくっていくと思うのですが、そこで出た作品で言語を超えたコミュニケーションができるから、「アートっておもしろいな」と改めて思いましたし、火を見て、土を捏ねてっていう単純な動作とその時間も、僕にとってはおもしろかったし有意義でした。これをきっかけに来年もまたよろしくお願いします。楽しかったです。ありがとうございました。

熊谷:ここで話して、いろいろ気づけたこととか学べたことが、すごい価値だなと思いました。自分たちがどういう場所に住んでいて、何を享受しているのかというのを客観的に見ることができました。外の世界からアーティストが来てくれて、そのアーティストの視点を追体験できることで、この地域をより違った視点で見ることができましたし、そのことによって、アーティストは地域に新しい価値を与えてくれたのかなと思います。

こういったらすごい失礼ですけど(笑)、舒達さんの今回の作品自体は単なるプロトタイプ。だから、あれだけを取り出して、「これがすごいアートなんだよ」と言っても意味がなくて、それが置かれた背景とか、それが象徴している構造みたいなものが、めちゃくちゃおもしろいということだと思うんですよね。そこまでちゃんとわかると、すごく有意義だなと思いました。

王滝村に多く見られた石を積んである道祖神

熊谷:舒達さんは(NOA木曽のもうひとりのアーティスト)私道かぴさんたちの表現と真逆なことをやられたなと思っていて、それこそちゃんと分析して構造的に見ると、めっちゃおもしろいなと思うんです。どっちがいいとかじゃないんですけど。っていうか、これ、今、すごく必要なことだと思っているんですよ。

これから自分たちがどういう暮らしをしていくのかを考える時とか、近代的な枠組みが臨界点を迎えているけど、それ以外の別のあり方みたいなものを見出せない時に、客観的に外から見て、そこに入れ子構造を見出すみたいな、そういう価値ってめちゃくちゃ大きくなってきていると思っていて。だから僕もなんとか勉強したいなと思っているんですけど、そういうものをアートっていうメディアを使って教えてもらったなと思っています。アートだからできることの提示が、今回ひとつされたのかなと思って。

一般化するのはすごく難しいし、木曽の地元の人たちに理解してもらうのはハードルが高いなと思っているんですけど、もっと知ってほしいですよね。ぜひ、また遊びにきてほしいし、直接しゃべりたいです。次にいらっしゃる時には、ぜひお声がけいただいて、結い庵に泊まっていただけたらと思っていますので、よろしくお願いします。

近藤:僕はたまたま舒達さんと同い年で、たまたまムサビ(武蔵野美術大学)の大学院に通っていて、僕もアーティストなので、舒達さんの存在が僕に与えてくれたことは大きかったなと、ニュアンス的にですけど。というのは、僕は舒達さんと真逆の立場をとっていて、本当はアーティストって客観的で、冷静で、飲み込まれちゃいけないというふうに思っているんですけど、僕は敢えて地域に飲み込まれていっている活動をしているので。でも、そうすると自分ではわかっていても、やっぱり飲み込まれるんですね。御嶽山に関していえば、噴火もしていますし、畏怖の念というか、何か感じているものがあって。神みたいなものに対して、なんていうか、踏み込めなさというか。誰も言わないけど、なんかある、みたいな。

例えば孝四郎さんと僕で、私道さんの劇を八幡堂でやることになった時も、戦没者を弔う場所だからとか、お祓いしなくていいのかとか……。僕らとしては村の人たちが楽しむ場をつくりたいと思っていたのですが、「神様ってなんなんだろうね」みたいな(笑)。「僕らがやることを、神様は喜ばないのかな」みたいな、そういう話を(倉橋)孝四郎さんとしたりとか。ふと、タブー視されている感じが、足枷になるみたいなことがある。そういうなかで、舒達さんみたいな存在がいるっていうだけで、ある意味、自分たちの信仰というか、自分たちが何に対して恐怖しているのかというのを、ものすごく客観的に見られる感じがして、飲み込まれず冷静にいられる感じがしましたね。

舒達さん、いつもおしゃれだから、こんなにいろいろ仏教の話をしているのに、「最新の服着てていいな。キラキラ光った靴とか履いてて、そういうのいいな」みたいな(笑)。ある意味で、そういう救いだったっていう感じですかね。

常八にて。左からホストで画家の近藤太郎さん、画家の菊池風起人さん、舒達さん

杉野:みなさんがおっしゃっているところでもあるんですけど、アーティストさんが持ち込んでくれる視点は、こちら側にとっても価値があるなというのを感じています。多分、道で仏像を何度も見ているはずなのに、ちゃんと見たのは、舒達さんと一緒に行った時が初めてじゃないかな。そういう感覚を持てたことが、すごく貴重な体験だったなと思いました。

無常であったり、なんていうか、今の社会に対する違和感であったりということに対して興味がある若い子が、私たちの周りにもいて、そういう人たちと舒達さんが一緒に話してくれたことも、すごく価値があったなという気がしています。

イノシシを獲ることとか、サルとの戦いとか、私たちにとっては日常なんですけど、そこにアーティストが価値を見出してくれて、私たちの当たり前の中に価値があるんだろうな、という感覚を改めて知れたのが、よかったなと思っております。

倉橋:熊谷さんが、僕らの思っていることをうまく言語化してくれたな、という感じがしました。イノシシのこともそうですけど、自分たちは単純に生きていこうと思いました。単純に生きていこうというか、山の民としての生活は、このままでいいなという感じがしました。アーティストが来て(自分たちの暮らしに)膨らみをもたせてくれたりするなっていうことも思いました。来ていただいてありがとうございました。

NOAでレジデンス中の舒達さんと友人の侯米蘭さんをご案内。 舒達さんは京都市立芸術大学博士課程在学中の彫刻家。仏教概念である無情を様々なレベルで鑑賞者に喚起させるような作品作りを行なっている。 木曽でも祭りや各地に点在する石仏をリサーチして...

Posted by Rikiya Iwakuma on Sunday, August 14, 2022

舒達:大変お世話になりました。ありがとうございます。木曽で大切な経験をもらいました。機会があればまたお会いしたいです。

信州AC・野村:引き続きこの出会いが何かに発展していく状況にあると思うので、私も時々、今後の進展に立ち合わせていただこうかなと思っています。よろしくお願いいたします。

展示「無無明」より(木曽ペインティングス Vol.6「僕らの美術室」)

(作品写真:やまぐちなおと 文:水橋絵美)

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