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【上田】滞在レポート by 渡邊 遥 _ 生きることとアートの呼吸〜Breathe New Life

参加動機


今回この研修プログラムに参加したのは、チラシを見て興味を持ったことがきっかけです。
現在美術大学の助手として働いており、大学の研究室には様々な展示のチラシやポスターが届きます。そんな大量に届く広報物の中の一つが今回のプログラムのチラシでした。
研修プログラムの内容(たくさんの作品を鑑賞できる、関わる人たちの生の声が聞ける)に惹かれたことが一番の参加動機ですが、そもそも長野について知りたいという気持ちも強くありました。
最近私の周りで長野に移住したり、飲食店を開いたりという話を聞き、長野には何か特別なものがあるのかなと漠然考えていました。「長野について気になる」という気持ちが高まっていた時に今回のチラシを手にし直感的に応募しようと思いました。


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「土の泉」淺井裕介


作品、展示について

<北アルプス国際芸術祭2020-2021 「土の泉」淺井裕介>


今回研修プログラムでアテンドしてくださった、犀の角スタッフの伊藤さんから「大町はエネルギーの街」と聞きました。私はとっさにエネルギーという言葉を聞いて、パワースポット的な神聖な土地なのかなと想像していましたが、伊藤さんは水力エネルギーのことだと教えてくれました。「土の泉」は大町エネルギー博物館の外壁に描かれた巨大壁画です。大町の13種類の土を使い、大小さまざまな生き物や自然が自由に伸び伸び描かれています。私が勘違いをしたパワースポット的な神聖な土地という想像もこの作品を見るとあながち間違っていないのではと感じました。水力発電ができるずっとずっと前から土地の人々は北アルプスの山々が生み出し続けている水や自然の恵みを受け取り、また信仰や畏怖の対象として生きてきたと思います。この作品を見ると、壁画が描かれた場所ともリンクするし、また壁画という手法が洞窟壁画のような人間の根源的な表現とも重なって”ありとあらゆるものが泉の様に吹き出している” ”ここには目には見えない生き物たちも一緒に暮らしている”そんなことを思わずにはいられない不思議なエネルギーを感じました。


<木祖ペインディングス 千年のすみか / 三時の光>


展示も作品も自由でクスッと笑ってしまいようなチャーミングさを全体的に感じました。一体どこからが作品で、どこまで意識して作って配置してるのかその境界線が曖昧で、一見すると展示の外の物置スペースも作品に見えてしまうような面白さがあります。北アルプス国際芸術祭もホワイトキューブの展示ではないのですが、作品は作品として輪郭がありました。しかし木祖ペインディングスの展示たちは空間をすごく意識して作品を作っていて溶け込むようにフィットし、あたかも当たり前にずっとそこにあったかのような雰囲気を醸し出しています。多分木祖ペインディングスは展示するアーティストが自分たちで空き家を整理する中で、作品の元になるようなモノを発見をしていったのではないかと思います。同じようにアート作品を展示するにしてもプロセスが異なると全く違う雰囲気の展示になりその違いをはっきり比較することできとても興味深かったです。



北アルプスの山々


私の研修は信濃大町からスタートしました。信濃大町の駅に向かう途中、大糸線から見える北アルプスの山々の美しさにとても感動しました。10月下旬にも関わらず、すでに山肌には雪が積もっています。写真や映像で見たことがあっても、自分のこの目で見る北アルプスの山々はとびきり綺麗で思わず声が出てしまうほどでした。


人について

ブルーベリーガーデン黒岩さんをお邪魔し、元々あったブルーベリーの直売所を自作で劇場にしてしまうというご夫婦に出会いました。
単純にすごいパワーだなと感心してしまいました。奥さんの司さんのお話しの中で特に印象的だったことが、この劇場を作るきっかけについてお聞きした際に、サントミューゼ上田のWSで「表現することの素晴らしさを知って、自分を開放していっていいのだと感じた」という言葉を聞いてすごく勇気をもらいました。司さんご夫婦のような人生を変えてしまうようなものに出会って、新しく自分たちで創造してしまうような威力を授けてしまう芸術の力って何だろうと感慨深かったです。芸術があってもお腹はいっぱいにならないし、便利になるわけでもない、正直分からないって拒否感を持っている人が世の中の大半だと思いますが、司さんの言葉はアートに関わる身としてすごく嬉しかったです。このご夫婦のような何にも囚われないようなクリエイティブさを持った人が増えるともっと面白い世の中になるのかなと感じました。


生と死について


今回の移動で車窓からの風景も興味深かいものの一つでした。特に、道の途中や家の少し離れたところにあるお墓たち。普段東京で生活しているとお墓はお寺とセットで壁で仕切られているところも多く、周囲と分断されています。しかし今回長野県を移動する中で至るとことで剥き出しのお墓たちを目にして、いつもは感じない生と死をすごく近く感じました。本来このようなお墓は至るとことにあったはずです。長野の人々が今もご先祖さまを身近に感じる生活をしている思うと、都会は完全に切り離されて見えない場所に集められていることに気が付きました。都会で生活していると死について意識させないように設計されているのではと思えるほど、死に触れる場所がありません。あたらめて生と死について考えると都会の不自然さを痛感しました。

負の遺産


2日目に訪れた松代象山地下壕に入った瞬間、何か言葉にできない緊張感がありました。第二次世界大戦末期に極秘で建てられたこの場所は、重たい空気がひっそりと漂い、まるで時が止まったかのようです。松代象山地下壕は行政ではなく、地元の高校生の働きで一般公開されるようになったと聞きました。公開された場所はほんの一部だったのですが、とても広く、途方もない地下を強制労働され、多くの命が亡くなったこの場所に自分の足で立つとまだまだ戦争は終わってないと感じざるを得ませんでした。

まとめ、今後について


長野に滞在して、歴史的なものや街並みを見つつ、大量の作品たちや見ることができてとても幸せな時間でした。今まで長野について知っているつもりが全く知りませんでした。今回の研修を通して、今後長野県のアートがさらに盛んになっていくような気がしてワクワクしましたし、普段観光ではわからないようなディープなスポットやディープな展示を多く訪れることができたこともこの研修ならではだったと思います。また、長野にいると感覚的なものが研ぎ澄まされていくような気がして、芸術家やクリエイティブな人々が長野に惹かれる理由が少し分かった気がします。

私は、アートを見せる側として作品やアーティストと鑑賞者繋ぐような仕事をしたいと思っていますが、今回滞在してそこに新たに”場所”について今後深く考えていきたいという気持ちが生まれました。また、今回の件の研修を振り返ると「バランス感覚」というキーワードが浮かびました。自分の仕事と生活はもちろんですが、作品を作ることと見せること、自然とうまく共存すること、古いものと新しいものなどの「バランス感覚」を大切にしていきたいという気持ちが湧いてきました。そう思えたのも長野という土地や地域が人々にとってとてもいいバランスで成り立っているように思えたからです。今回見聞きしたものや、気付き、自分の肌で感じたものを今後の活動に生かせるように大切にしていきたいと思います。


渡邊 遥 Watanabe Haruka(大学助手)
1992年4月3日生まれ。静岡県出身。女子美術大学卒業。在学中に、東京・杉並で非営利の芸術文化活動を展開している「遊工房アートスペース」でインターンを経験し、卒業制作では学生主体のアートスペース「co-ume lab.」の立ち上げに取り組む。卒業後は一般企業のインハウスデザイナーを経て、2018年より美術大学の助手として勤務しながら作品を制作し、現在に至る。

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