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思い出深い乗船客

昔話の続き。

北海道から青春18きっぷをつかって、東京を経由、京都で友人と会い、思いつきで沖縄に行くことになった。

やっと見つけたフェリーは、博多~那覇というルート。

2夜連続で徹夜移動という無謀なことをして、なんとかフェリーに間に合う時間に、博多港にたどり着いたのだった。

なんとか博多港にたどり着いた前回の記事はこちら。

18:00ちょうどに出港の、琉球海運「わかなつ」

17:30頃に、まだ到着しないのか?と電話が来てせかされたわけで、僕らはいそいで乗船手続きをした。

それにしても、博多港から釜山行きの船もあってさ。那覇に行くより近いのね。地図をみたら、近くてビックリ。

沖縄やめて、釜山行っちゃう?
・・って、パスポートさえ持っていたら、ホントに行ってたと思う。
とりあえず、パスポートないし、まもなく出港だし、行き先は那覇ね。

僕らもサハリンや北方領土は海越しに見えるほど近いのに、なかなか気軽に行けないよね。

たぶん17:45くらいには、船に乗れていたと思う。
10名ほどの乗船客は、みなロビーで談笑していた。

24時間近くかかるんだったかな。

とにかく、丸一日一緒に過ごして、何度も顔を合せることになるのだから、みんなに挨拶をした。

後どれくらいの乗客がいるのかと思ったんだけど、どうやら、ここに居る人がほとんどのようだった。

ちなみに、この船。
あんなに乗船手続きを急がせておいて、結局そこから6時間以上、日付が変わっても出港しなかったからね。

いきなり、沖縄タイムの洗礼を受けたわ。
そんなのいつものことだって。

30代のゼット者

カワサキのバイクに乗っているお兄さんだった。「Z2」というバイクで、「ゼッツー」なんていう風に呼んでいたよね。

今ではもちろん絶版で、伝説の名車と呼ばれている。当時でも現役で走っているのは珍しく、「ゼッツーの人」ということで、妙に覚えている。
僕も、学生時分は、アホみたいにバイクでツーリングをしていた。一番乗ったのは、ホンダのCB400。懐かしいね。

自分もバイクの旅だったら、船を下りたら一緒に走ったり、もっと仲良くなっていたかもしれないけど、残念ながら、その時はバックパックの徒歩旅だったんで。

50代の酔っ払い

一番最初に仲良くなった。
だって、異常ともいえるほど、おしゃべりな人なんだもん。

白髪交じりの絵に描いたようなおじさんパーマ。

僕らが乗ったときには、すでにオリオンビールをグビグビ飲んでいた。まだ出航前なのに。福岡でカーディーラーを経営している人だったかな。沖縄の糸満出身なんだって。

初めての沖縄だという話をしたら、沖縄の色んなことを教えてくれた。
でね、オリオンビールは、船内の自販機で買える。その後、寝てる時間以外は、船が到着するまでオリオンビールを飲み続けていたんじゃないかな。

酔っ払ってくるとね、糸満の自慢話ばかりなんだ。

こう言っては糸満市民に失礼だけど、沖縄に観光客にとって、必修ルートに糸満は含まれない。もちろん、せっかく行くなら糸満だって見所はあるけどね。

で結局、おじさんは何を自慢したいかというと、糸満にはロータリー交差点があるということなんだ。何度も、何度も、繰り返しその話を聞いたので、今でも覚えている。

北海道民で、沖縄の糸満といえばロータリーがあるよね!って自信を持って言える人って、たぶん、そんなにいないと思うよ。

60代のマッチョ

いや、もっと若いと思っていた。
しばらく話していて、実は、60過ぎていると聞いてびっくりした。

実はね。現役のボディービルダーだったの。
そう言われたら、並の人間の体型じゃないんだよ。そのときも、もう少し絞り込んで、来年もコンテストに出る予定だと話していた。

その後連絡を取ることは無かったけど、どうしてるかな。
元気なら、今は80代後半ということになる。

あの、にんにく卵黄のCMのお爺ちゃんみたいになってたりしてね。

僕はその頃、筋トレなんてまったく興味なかったしな。今なら、筋肉話で一晩過ごせたのに。

少し年上の姉さん

福岡の人でね。可愛らしく、気さくな人だった。

「~~だっちゃ」って女の子が言うのは、うる星やつらのラムちゃん意外で初めて聞いたので、けっこうキュンときたよね。

JICAの海外協力隊なんかにも関わっている人で、中国語もできて、とても国際的な人だ。今回の沖縄へは、単に旅行が目的だったのだけど、船の中ですっかりなかよくなり、沖縄についてから、僕らも1泊同行させてもらった。沖縄や鹿児島から来ている知り合いもいて、とても楽しく過ごせた。

その後、年賀状のやりとりをしばらくして、10数年前に、結婚しましたっていうハガキが届いていた。今頃どうしているかな。

70代の紳士

一番思い出深いね。
細くて小さなおじさんだった。

ぴしっとジャケットを羽織って、とても紳士な人だった。
大きな胃の手術をしたそうで、胃のほとんどを切除しているという話を聞いた。たくさんは食べられないが、ゆっくり噛めばほとんどものが問題無く食べられるようになったという。

毎年、年越しは沖縄旅行に行くという習慣を20年続けている。
たくさんの写真、そして、箸袋やパンフレットをアルバムに挟んで全て持ち歩いているんだ。すごいね。映画に出てくるような船旅の紳士。

その時からさらに15年前、最後の航海となったこの航路の船にも乗り合わせていたそうだ。

最後の出港記念に船から岸壁に向かって投げられたテープ。
あー、そういうのテレビでみたことあるよ。船が岸から離れて切れるまで、お互いテープを持ってね・・・。そういうのがあったらしいのだけど、その時の5色のテープもアルバムの中に並んでいた。当時の細かいメモもある。

ちょうど、その日の船長が、15年前の乗組員だったそうで、その時の記念資料を見せてもらった船長の方が感動していたよ。

集めているホテルのパンフレットは、豪華なところばかり。
随分立派な所に泊まるんですねー?って聞いてみた。

じつは、沖縄では毎年決まった安い民宿にしか泊まらないという。

じゃ、この箸袋やパンフレットはどうしているかというと、それを集めたいために、高級ホテルに食事に行くんだそうだ。そして、なるべく安いメニューを注文して、箸袋やパンフレットをゲットし、ホテル前のビーチを散歩するということらしい。

出会って、数年後。

相変わらず沖縄の旅は続けているようだった。
手紙には、今年ゲットしたパンフレットの話を書いてあった。
高級ホテルの名前と、一番安いのはカレーライスで、それでも1200円もしたと。もったいないので、胃のない腸をいたわりながら、残さず食べたということ。

さらに数年後、沖縄で会って6年かな。僕も結婚した年に、久しぶりに手紙を書いてみた。その後、就職して、結婚したっていう近況報告で。

3ヶ月くらいして分厚い封筒で返事がきた。

* * *

ここからは、重い話なので、また明日かこうか。



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