読書メモ:インカメ越しのネット世界 by りょかち


りょかちさんの『インカメ越しのネット世界』を6月初めに読んだ。


このツイートで当時終わってたけど、ちゃんと読書メモとっておこうと思って、メモったところを抜き出したので備忘録的に。




■2回目の検索で〝安心〟したがる私たち  
何かを消費するとき、2回検索することが当たり前になろうとしている。  1回目は、「ほしいものの候補を探す検索」。
世の中に「神楽坂 和食」のお店はいくつあるのか? 
世の中の「リュック ネイビー」にはどんなモノがあるのか? 
「今週 映画」だとどんなものが観られるのだろう? 
ということが知りたくて検索窓に尋ねる。そこから私たちは、2回目の検索をするのだ。候補のそれぞれは「どんな評価をされているのだろう?」という検索。
そこで私たちは、「神楽坂のこのお店、美味しそうだけど評価が低い」、「このネイビーのリュックはあんまり人気がないみたいだ、レビューが少ない」、「この映画、観ようと思ってたけど星3つしかついてない」ということを知る。私たちは、何かを消費しなくとも、消費しようとする対象のだいたいの価値を透かして見ることが出来るようになっているのだ。

■私たちの「熱狂」はどこに行くのか
とある飲み会でとある女子がとある俳優に対する愛を語っていた。 「あの人ね、写真集とかを一切出していないのよ! だから課金対象がないの!この思いをどうしたらいいの?!何に昇華すればいい?!課金させてよ!」  
そう。きっと私たちは好きなものに対して、「熱狂の受け皿」を求めているのである。なぜ私たちが「受け皿」を求めているか。それは、気持ちの行き先を探しているのはもちろん、好きなものにお金を投資したり、好きな人のために努力するとき、私たちもまた幸せだからだ。


■透ける価値と「面白い」への不感症
私はみんなのその「美味しい」や「使いやすい」や「面白い」さえ、疑っている。本当に本当に、最近「美味しい」って感じたことあるの?本当に美味しいって思ってる?
誰かが美味しいって言ってたからじゃなくて? 本当に面白いの? どこがオモシロイと思った?それって先週誰かが書いてた記事のセリフじゃない?
透けた価値が当たり前の世界で、集合知は正義になる。「食べログで評価されていないごはんやさんはダメ」、「アマゾンレビューで評価が低いモノはダメ」「SNSで評判の悪い映画はダメ」。いつのまにか、ダメかどうか決めているのは自分じゃなくて、どこかで見た誰かの感想の群れだったりする。



りょかちさん、一度お会いしてお話してみたいなぁ。


インカメ越しのネット世界 (幻冬舎plus+) by りょかち
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ありがとうございます!!!