読書メモ: 羽生 善治「決断力」

史上初の「永世七冠」の資格を得た羽生善治さんの「決断力」を読みました。

フリーになって5年目にいい本に巡り会えたなぁと思います。いくつも良い箇所があってちゃんと記録として残しておきたいなぁと思ったので、読書メモとしていくつか引用させてもらいます。

同じ人と何十回と対戦していくとなると、〝奇襲作戦〟は意味がない。一回それでうまくいっても、次は絶対に成功しない。王道、本筋を行くことが非常に大事なのだ。楽観はしない。ましてや悲観もしない。ひたすら平常心で。プロ同士の場合はまず一気に挽回することは出来ない。相手のミスがあって、初めて形勢は逆転する。そのときをじっと待つ。期待せずに待つことだ。意表をつかれることに驚いてはいけない。そんなことは日常茶飯事であって、予想どおりに進むことなど皆無といっていい。勝負は相手が嫌がることをやるものなのだ。これは予想していないだろうという手を、お互いにくり出しあうのだ。



アメリカのカーネギー・メロン大学でロボットの研究をしている金出武雄先生から、面白いことを聞いた。学生を指導するときには、「キス・アプローチでやれ!」というそうだ。キス(KISS)というのは "Keep it simple, stupid" の頭文字である。軍隊用語から来た俗語で、軍曹が部下に「もっと簡単にやれ、バカモン」という感じだという。これはエンジニアリングの基本的な考え方で、コンピュータの能力が低い時代は、よいアイデアでもコンピュータの解ける範囲に、無理に押し込めなければならなかった。 「(コンピュータの進歩した)このごろはむしろ、問題を、定義されたままに解いた方がいいのです。当然ながら鮮やかにかつ正しく解けますから、かえって実現も意外とやさしい」と、だから学生にはごちゃごちゃ考えないで、「キスで行け」と言うのだという。


勝負のツボを探す  言い換えれば、知識は単に得ればいいというものではなく、知識を積み重ねて理解していく中で「知恵」に変えないと生かすことはできない。たとえば、金槌やカンナなどの大工道具も、ただ持っているだけでは無用の長物だ。どこで、どういうふうに使ったらいいか、は知識ではわからない。使う技能があって初めて生きたものになる。  将棋でもっとも大事なのは、一つの場面で正確な判断を下すことだ。その基準を瞬時に見いださなければならない。対局中には、これまでの経験から、たくさんの知識がばらばらに思い浮かぶ。だが、それらはジグソーパズルのピースのようなものなので、そのままでは役に立たない。それを「これはいい手だ」「悪い手だ」とか「どういう流れだ」と瞬時に判断し、次の一手を選択しなければならない。方向性やプランに基づいて、ばらばらの知識のピースを連結するのが知恵の働きである。


かなり危険だと判断しても、私は、踏み込んで決断をするほうだと思う。  見た目にはかなり危険でも、読み切っていれば怖くはない。剣豪の勝負でも、お互いの斬り合いで、相手の刀の切っ先が鼻先一センチのところをかすめていっても、読み切っていれば大丈夫だ。逆に相手に何もさせたくないからと距離を十分に置いていると、相手が鋭く踏み込んできたときに受けに回ってしまう。逆転を許すことになる。将棋では、自分から踏み込むことは勝負を決める大きな要素である。  私は将棋の醍醐味はそういうところだと思っている。戦って、こちらも傷を負うけれど、結果として僅かに勝っていればいいのだと……。  勝つのは一点差でいい。五点も十点も大差をつけて勝つ必要はない。常にギリギリの勝ちを目ざしているほうがむしろ確実性が高くなると思っている。
そこで、その他力を逆手にとる。つまり、できるだけ可能性を広げて、自分にとってマイナスにならないようにうまく相手に手を渡すのだ。たとえば、ある場面で、Aという手を指すと、相手にA’で返される。Bという手を指すとB’で返ってくるという場合に、最初にAやBを使ってしまうと、相手に返されてしまう。そこで、第三のCという手を指しておいて、相手に先に選択させる。大山康晴先生は、「相手に手を渡す」のが上手で、意図的に複雑な局面をつくり出して相手の致命的なミスを誘導してしまうのが非常に得意であった。自分の力ではなく相手の力も利用して技をかける、だから強かった。

つまり、手を渡すというのは、自分が思い描いていた構想とかプランをそのまま実現させることではなく、逆に相手に自由にやってもらい、その力も使って、返し技をかけにいくことだ。手を渡した瞬間は、「どうぞ、好きに次の手を決めてください」と、諦めに似た感情である。もちろん、諦めきってしまってはダメだが、そういうものが非常に大事な要素なのだ。

将棋にかぎらず、知らないフィールドで戦うほうが面白いのではないか。常識もマニュアルも通用しないカーナビが効かない場所では、自分の力を試されているようでもあり、充実感を実感できるはずだ。未知の世界に踏み込み、自力で考え、新しいルートを探し求める気迫こそ、未来を切り開く力になると私は考えている。

勝負の世界では「これでよし」と消極的な姿勢になることが一番怖い。組織や企業でも同じだろうが、常に前進を目ざさないと、そこでストップし、後退が始まってしまう。  七冠をとったあと、米長先生から、釣った鯛をたとえに、 「じっと見ていてもすぐには何も変わりません。しかし、間違いなく腐ります。どうしてか? 時の経過が状況を変えてしまうからです。だから今は最善だけど、それは今の時点であって、今はすでに過去なのです」  と戒められた言葉は、今も胸に深く刻まれている。


「将棋を指すうえで、一番の決め手になるのは何か?」  と問われれば、私は、「決断力」と答えるであろう。

私は、いつも、決断することは本当に難しいと思っている。直感によって指し手を思い浮かべることや、検証のための読みの力も大切であるが、対局中は決断の連続である。その決断力の一つ一つが勝負を決するのである。  経験を積み重ねていくと、さまざまな角度から判断ができるようになる。たとえば、以前に経験したのと同じような局面に遭遇したときには、「あのときにはこう対処してうまくいった」「こういう失敗をしたから、今度はやめておこう」などと、判断材料や内容が増え、たくさんの視点から決断を下すことができるようになる。

直感の七割は正しい  私は、人間の持っている優れた資質の一つは、直感力だと思っている。  というのも、これまで公式戦で千局以上の将棋を指してきて、一局の中で、直感によってパッと一目見て「これが一番いいだろう」と閃いた手のほぼ七割は、正しい選択をしている。  将棋では、たくさん手が読めることも大切だが、最初にフォーカスを絞り、「これがよさそうな手だ」と絞り込めることが、最も大事だ。それは直感力であり、勘である。

全体を判断する目とは、大局観である。一つの場面で、今はどういう状況で、これから先どうしたらいいのか、そういう状況判断ができる力だ。本質を見抜く力といってもいい。  その思考の基盤になるのが、勘、つまり直感力だ。直感力の元になるのは感性である。


ミスには面白い法則がある。たとえば、最初に相手がミスをする。そして次に自分がミスをする。ミスとミスで帳消しになると思いがちだが、あとからしたミスのほうが罪が重い。そのときの自分のミスは、相手のミスを足した分も加わって大きくなるのだ。つまりマイナスの度数が高いのだ。だから、序盤から少しずつ利を重ねてきても、たった一手の終盤のミスで、ガラガラと崩れ去る……そこが将棋の面白いところでもあり、逆転も多く起きる。プロ同士の対戦でもそういうことで決着がついていることが多い。




対局が終わったら検証し、反省する  私が、将棋を上達するためにしてきた勉強法は、初心者のころも今も変わらない。基本のプロセスは、次の四つだ。 
・アイデアを思い浮かべる。 
・それがうまくいくか細かく調べる。 
・実戦で実行する。
 ・検証、反省する。
将棋は、適当に駒を動かせばいいというものではない。また、定跡通りに指して勝てるものでもない。なによりも指し手のアイデアを考えることが大切だ。たとえば、「今度は飛車を縦に使ってみよう」「桂馬を二回跳ねてみよう」などと考える。


以前、私は、才能は一瞬のきらめきだと思っていた。しかし今は、十年とか二十年、三十年を同じ姿勢で、同じ情熱を傾けられることが才能だと思っている。直感でどういう手が浮かぶとか、ある手をぱっと切り捨てることができるとか、確かに個人の能力に差はある。しかし、そういうことより、継続できる情熱を持てる人のほうが、長い目で見ると伸びるのだ。  


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ありがとうございます!!!