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はじめて同性と告白で何かが始まった日のこと。既存ではない「家族」と、自分の枷から脱するの。

今日はどこで仕事をしようかしら?

タイやベトナム、ラオスのカフェのソファ席でパソコンを取り出して、Wi-Fiのパスワードを入力する。
ガラス張りの天井から、アジアの強い光が射し込んでくる。


わたしは危険なほどに、「書いてる」という行為が好きみたいなのだ。

蔦屋書店には恋をしていた。Wi-Fiがあり、本がある。
朝起きた時から、蔦屋書店でパソコンのキーボードをパチパチと打つ事しか考えられなかった。

音楽レーベルを始めるための費用は「書いてる」という仕事から生み出されていた。

どうして私は、書いている事が好きなのだろう?と考えていた。
色々理由はあるはずだ。分からないな。


バックパックを背負えば、大抵の場所には歩いて行かれる気がした。
けれど、側に甘えさせてくれる存在が居れば、動かなくなってしまう。

それが解っているから、恋愛はしない。
それすらも気にならないほど、
あっという間に夜になり、夜は朝になる。充足感に包まれていた。


もちろん良い事ばかりではない。あまりにストイック過ぎる生活だった為に、「それが自分の世界の全て」になってしまっていたのだ。

音楽を辞めようか?と思うほど精神的にはズレが生じてきていた。

そんなの生まれて初めての事だった。

>■過去記事【世界は美しいかも知れない】 音楽を辞めようかと思った日


ミュージシャンで子連れの彼女と、毎日のように遊ぶようになってから、わたしの世界は急激に慌ただしくなった。

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昼間には毎日ピアノを弾いて、音楽について飽きる事なくアツく話す
公園や、近所の"あの蔦屋書店"に行ってお茶を飲んだ

夜は、オテンバの幼児がいるから、パソコンなんて出来ない。

一緒にEテレを見て、歌をうたって、積木をして、夕飯を食べて、子供を抱きしめてお風呂に入れる生活だった。


「好き」と言われたのは、玄関先でのこと。
転げまわるほどめちゃくちゃ真剣に考え抜いて、その時はお断りしてしまった。

それでも、ミュージシャンで子連れの彼女と遊ぶようになってから、わたしの世界は急激に慌ただしくなった。


週末には相手の実家に出掛けて、そこでやっぱりピアノを弾いて眠った。

ひとと旅行に行くような関係になったことが無い、と言っていたから、
今年も友人の多くと旅に行けてアリガトヨ、って自分とは真逆の覚悟。

現状を抜け出したいというのがもし本気なら、真っ直ぐに受け止めようと決意して伝えた。


「家族みたいだね」って、彼女が笑っていた。


音楽に向き合う事を思い出した。


自社レーベルからリリースした1枚目のCDが早速タワレコの試聴機に入った。
わたしの部屋には機材が集まり始め、レコーディングスタジオとしても稼働し始めた。


プロのドラム機材を惜しまず、子に触らせた。

オテンバ幼児は毎朝ドラムの練習を始めた。


誰かが具合が悪ければ、外科にも、小児科にも付き添ったし、
彼女と子と連れ立って、海を見て、星を見て、蛍を見て、花火を見て、季節を過ごした。


2人が眠ろうとする頃、帰路につき、少しだけ自販機を蹴飛ばした。

わたしは一人きりの部屋に戻り、夜通し仕事をするのだとおもうと、胸が波打って日焼けみたいにヒリヒリとする。「魅惑の日々を」生きたあとの、甘く狂気にも似た、かなしくて力強い無茶苦茶な寂しさだ。

人生で本当に心が触れ合うものに出会ったら、それを知る前には戻れない。

「波には飲み込まれてしまえばいい」

そう思える事は、ひょっとしたら幸せなことなんじゃないかしら?と俯瞰するように、キーボードを弾こうとする。


…やっぱりパソコンなんて出来ない。


あっという間に「書く仕事」は失い、舵を見失ったレーベルは危険な状態に陥っていく。


しばらくニューヨークへ行くことになった。

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そんな謎の愛すべき生活の最中に、しばらくニューヨークへ行った。

友人の輪が広がっていき、パソコンを手放した。
音楽に向き合い、音楽に携わり、様々な人が街も自身も大好きでいて、
身体の底から幸運とパワーと笑顔が止まらなくて、

絶賛絶好調で帰国をし、すぐに演奏現場に走って行った。


音楽に向き合う事を思い出した。」と先ほど書いたが、それは大きな勘違いで、そんなのいつでもわたしの中に燃え滾っていて、レーベルとしての先の目標のために一時期 優先順位が入れ替わってしまっていただけなのだ…。


その時から、
ミュージシャンで子連れの彼女と、
会える事が、1度たりとも、もう無くなった。

2人が眠るはずの時間に、また少しだけ自販機を蹴飛ばしたあと、
踵を返し、わたしは人と会った。


飲まれた波に溺れないようにするには、海の嵩を満たして溢れさせる事だ。



「書くこと」がレーベルの核になる生活に戻った。

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彼女という波に溺れていた、危険なほど。

身辺は慌ただしかった。すぐ側に(セーフティネットとしての見張り)いつも仲間がいた。

けれど「一人でパソコンのキーを叩いていた、あのストイックで孤独な時代にはもう戻りたくない…!」と想像して、部屋の中で震えた。


わたしは、蔦屋書店を憎んだ。
大好きだった場所を、心から憎んだ。

過去の自分も、彼女も、もうそこには居ないのに。


転げ回って壁に頭をぶつけてモノを投げたくなって、
窓の外に向かって「ここから出して…」とつぶやくほどに寂しかった。

一体いつ忘れられる?


こんな言葉を目にした。

人はさびしいとおかしくなる。ひっくり返すと、人がおかしなことやってるときは、だいたいさびしい

レーベルでは、1年後、3年後、6年後ごとに、行きつきたい目標がある。
蔦屋書店に行き、来る日も来る日もパソコンを叩いているときは、確かに寂しいと思ったことはなかった。

仲間の幸せは、自分の幸せだと考えている。自分の為だけに頑張れるのは限界あるから…私は。


どんな事があっても、それを味方にする。って、ニューヨークの人が言っていたっけ。

W4の小さなバーのカウンターにはピアノがついてて、お客さんがみんなでミュージカルを歌ってたり、街中に音楽が溢れかえって、軒先にはレインボーフラッグが掲げられていたりとか、なぜかもう涙出た。上手く言えないけど。

とても狭い常識の中で生きてきたんだなって。外に出たらそんなの、なんの意味も無いのに。


今いる場所の価値観がすべてじゃないよ、もっと世界はいろんな方向に広がっているから大丈夫だよ。

って思ったよって、あのとき部屋の小さなテーブルから彼女にメールをした。

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自分の枷となっていると感じる事があるなら、その世界から脱してそのことを活かせる世界へ行けばいいんだって。

そしてその世界は誰でも持っていて、誰でも行く事ができるんだよな、って。

そういう風に思うことにしている。


夕暮れになると、彼女と一緒に子供をお迎えにいった時間を、時々思い出す。
(わたしの人生には、そう言ったことが度々起こる。)


獰猛で孤独だった彼女の毎日に、できるだけ多くの素敵なことがありますようにとか。

幸せにしてくれて、ありがとうとか。

あの子はドラムの朝練を続けてくれるかしらとか。ね。

□ ぶん・しゃしん 前田 紗希

◆本記事はこちら!

■インタビュー『SEKAI LAB TIMES』
彼女は何故、どん底から音楽レーベルオーナーになれたのか?〜旅ブログ「イオタビ」誕生から学ぶ、自分の生き方を見つけるヒントとは〜

■インタビュー『灯台もと暮らし』
【かぐや姫の胸の内】遠回りが正解になる人生だってある。歌のない音楽「インストゥルメンタル」の魅力をもっと広げたい|studio iota label代表・前田 紗希

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