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心のチューニングはめんどい!

比較的人数の多い場所にいると、他の人と無理に心のチューニングを合わせなくて良いから楽。一人だけ別のチャンネルに切り換えていても、自分はとくに気にならない。きっとまわりも、一人だけ浮いてる(何しにここに来てるの?的な視線はあるだろうが)おっさんがいるし、フレンドリーな空気を一切出していないから無視してれば良いと自然と判断してくれる。たまに知り合いが声をかけて来るときだけ、一瞬チューニングを合わせるが、すぐにに切り換える。そこで紹介された人に話しかけられても、必要最小限の会話をひと言ふたこと交わすだけで、あとはすぐに心のつまみをまわして、自分だけの楽な心のチャンネルにチューニングを合わせる。 

 そのイベントは、みんなが楽しむために来ている。みんなが交流を求めるために集まっている。たまたま自分は、違う目的があってそこに居たので、最初からチューニングを合わせる気がなく、目的を果たすまでそこでジーッと自分モードで過ごしていた。案件(ライブ)が始まったら、それを観て、終演後に挨拶をして即効で会場を出た。

 楽しみ方は自由だから、何でもいい。みんながチューニングを合わせたくて来ている会場だろうと、必要性を感じなければ合わせる必要はない。

 これが少人数になると、会話をしなきゃいけなくなるからや、互いの関係性の寄り添いを求められることから、どうしてもある程度チューニングを合わせねばならない。それが苦痛で、仕事絡みの飲食以外の、いわゆる遊びの飲み会にはほとんど参加しなくなった。理由は簡単だ、みんなが楽しむために集まる場で、とくにそれを求めてないのにテンションを合わせることが疲れるからだ。だったら参加しないほうが良いので、ほとんど参加しなくなっている。でも、繋がりは大切にしなければいけないのもわかっているので、たまーに顔を出す。まだ顔なじみならチューニングは合わせやすいが、そこで初めての人がいると。しかも、楽しみや出会いを求めてが目的の人がいると、自分はチューニングを合わせるのが非常に億劫になり、やはりチューニングを変えがちになる。

 何を書きたいかというと、人の心や感情とチューニングを合わせるのは大変だし面倒だなぁということ。そういうのは、お互いに求める周波数が一緒の場だけのほうが気楽だ。そう感じたことから、なんとなく書いてみた。

 とはいえ、自分のようにフリーランスで生きていると、いろんな人とチューニングを合わせていかねばならないのも事実。昔も今も、仕事柄の人とは必要以上に人間関係は深めていない。互いに「仕事」として求めあえる関係性をしっかり築いていくことは、もちろん心がけている。深めたくないのか?と聴かれたら、そんなことはないとは思うが、深めたいか?と問われれば、互いに程よい距離感があったほうが心地好く、長く続けられる感じが自分はしている。仕事という面で互いが求めることがしっかり成り立っているなら、自分はそれで良いなと思っている(本当は深入りしたほうが出来ることも増えるのだろうが、それこそ心が疲弊する)互いに目的の中だけで求めあえる関係性のほうが余計な私的感情が深入りしないから(仕事の場合は?)良いのかも? どうなんだろう、よくわからない。

 と書きつつ、自分の長年付き合っている仲間たちは、同じ業界の人ばかりだ。ただし、仕事としては接点はない人たちがほとんど。だから、良いのだたが。。。

  まぁ、くだらんことをズラズラ書いたけど、人と心のチューニングを合わせるのは心がしんどいなぁということ。互いに波長が綺麗に重なれば、それはそれでめっちゃ楽しいんだろうけど。

 うん、ここにこんな長い文章を書いたのは初めてだ(笑)。まぁ、リアクションはないだろう。そもそも自己感情発散の文章なので、たとえコメントあっても返事は書かない。そこにチューニングを合わせる気はないので。     

 

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