リーディングミュージアム構想の問題点


読売新聞のweb版にて、政府が「国内の美術館や博物館の一部をアート市場活性化に先進的な役割を果たす「リーディングミュージアム」として指定する制度を創設する検討に入った」事が報じられた。
http://www.yomiuri.co.jp/culture/20180519-OYT1T50070.html?from=tw

以下は記事からの引用。

リーディング・ミュージアムに指定された美術館や博物館には国から補助金を交付し、学芸員を増やすなどして体制を強化する。これにより、所蔵する美術品などを価値付けし、残すべき作品を判断しながら、投資を呼び込むために市場に売却する作品を増やす。コレクターの購買意欲を高め、アート市場の活性化を促す狙いがある。
 国内の美術館や博物館からは、学芸員の絶対数が少なく組織体制が脆弱なことから、市場に売却してもよい美術品の判断や現代美術品の評価者としての役割まで担うのは難しいと指摘されていた。新制度は、こうした問題に対応し、国内各地の美術品のネットワーク作りの中核拠点としての役割を目指すもの。国内外のコレクターの関心を高める展覧会を積極的に開催し、日本美術の国際的な価値向上も図る。


既に、多くの美術に関わる人々からtwitter上で反応がある。以下のまとめを参照すると、学芸員から美術家、研究者まで、様々な専門性を持った立場からの意見が読めるので、参考になる。

https://togetter.com/li/1229037

先進美術館(リーディングミュージアム)の資料はこちらになる。PDFだが、一度全体を見たほうが良いと思う。文化庁がとりまとめていて、日付は4月17日とある。

https://www.kantei.go.jp/jp/singi/keizaisaisei/miraitoshikaigi/suishinkaigo2018/chusho/dai4/siryou7.pdf

僕はここで提言されていることのうち、とくに「リーディングミュージアム」という構想、具体的には一部の美術館・博物館に国から補助金を交付し、学芸員を増やすなどして体制を強化し、所蔵する美術品などを価値付けし、残すべき作品を判断しながら、投資を呼び込むために市場に売却する作品を増やす、という仕組みづくりに反対したい。以下にその理由を示す。


1. ミュージアムとは何か

実は、この資料のうち、PDF8ページ目にかかれた「日本のアート産業の現状(指摘されている課題)」には、僕は大きな異論がない。問題は、これを改善するための政策として、PDF11ページ目に書かれた「目指すべき方向性」の中の1番目としてのリーディングミュージアムという考え方が、まったく「課題に対しての有効性をもった対策」になっていない、むしろ状況を悪化させるものだという点だ。

なお、このPDF中、10ページ目の「特定の美術品に係る相続税の納税猶予制度の創設」についてはここで問題にしない。僕自身が税制に専門的な知識がないので、立ち入った議論ができない。

さて、「一部の美術館・博物館に国から補助金を交付し、学芸員を増やすなどして体制を強化し、所蔵する美術品などを価値付けし、残すべき作品を判断しながら、投資を呼び込むために市場に売却する作品を増やす」リーディングミュージアムの、何が問題なのか。それは、一番目には「ミュージアム」(博物館・美術館)というものの定義上、こういうことはできないからだ。

日本における「ミュージアム」(博物館・美術館)の在り方を規程した「博物館法」という法律がある。

http://www.houko.com/00/01/S26/285.HTM

ここの序盤、定義の項目を引用しよう。

(定義)
第2条 この法律において「博物館」とは、歴史、芸術、民俗、産業、自然科学等に関する資料を収集し、保管(育成を含む。以下同じ。)し、展示して教育的配慮の下に一般公衆の利用に供し、その教養、調査研究、レクリエーション等に資するために必要な事業を行い、あわせてこれらの資料に関する調査研究をすることを目的とする機関(社会教育法による公民館及び図書館法(昭和25年法律第118号)による図書館を除く。)のうち、地方公共団体、一般社団法人若しくは一般財団法人、宗教法人又は政令で定めるその他の法人(独立行政法人(独立行政法人通則法(平成11年法律第103号)第2条第1項に規定する独立行政法人をいう。第29条において同じ。)を除く。)が設置するもので次章の規定による登録を受けたものをいう。

簡単に言えば「ミュージアム」(博物館・美術館)は、資料や作品を収集・保管し、展示をして調査研究などを行う施設だ。その資料や作品を「投資を呼び込むために市場に売却する作品を増やす」機能は持ち得ない。結論として「リーディングミュージアム」は矛盾である。

美術館が集まって組織されている全国美術館会議は、行動指針を決めている。

http://www.zenbi.jp/data_list.php?g=4&d=3

美術館の原則としてあげられている6番目には「美術館は、体系的にコレクションを形成し、良好な状態で保存して次世代に引き継ぐ。」とある。ここでも、「投資を呼び込むために市場に売却する作品を増やす」ことは、「ミュージアム」の原則に反する。

したがって、自らを美術館・博物館と定義し、法的に指定され、税制上の区別を受けている施設は法律上も行動原則からも「リーディングミュージアム」になりえない。国から「リーディングミュージアム」としての人員の増強や予算配分を受けるには美術館・博物館であることをやめるしかない。


2. 問題解決に繋がらない提言

無論、法も行動原則も絶対ではなく、必要があれば改正される。ではその必要とはなにか。ここで文化庁が出したPDFの8ページ「日本のアート産業の現状(指摘されている課題)」にもう一度立ち返ろう。1から4まで項目ごとに課題が挙がっていて、その内容は僕も大筋で同意できると書いた。ここでは1のミュージアムと2のアートフェア、ディーラー、オークションに注目する。「リーディングミュージアム」は、ここを改善するためのものだからだ。以下、2のアートフェア、ディーラー、オークションの問題を合わせて「アートマーケット」の問題とする。

端的に言えば、1のミュージアムと2の「アートマーケット」は、基本的に別の機能をもっているので、その問題解決には個々に対策されなければいけない。というよりも、別々に改善したほうが、結果として相互の利益になるし、またそうでなければ事態は悪化すると思える。ミュージアムはミュージアムとして強化され充実することでアートマーケットは始めて活性化するし、またアートマーケットがアートマーケットとして問題を解決してこそミュージアムもまた健全に発展できる。

文化庁が出したPDFの8ページをもう一度見よう。ミュージアムの問題とはなにか? 「収集予算が少なく購入力が極めて弱い/優遇税制が弱く寄贈も少ない/学芸員の絶対数が少なく、組織体制が脆弱/市場との関係性も希薄」その結果、「「評価軸」の役割を果たせていない」のだ。答えは書いてあるではないか。収集予算を増やし、優遇税制を強化し、学芸員を増やし、組織体制を強めて市場との関係性を模索させればいいのである。それができれば自然に「「評価軸」の役割」を果たせるのだ。

なぜそれをしないのか?それは2のアートマーケットの課題を見ればわかる。アートフェアは世界との差が大きく、ディーラーは経営基盤が弱く海外顧客頼みで、オークションは規模が小さい。これらの改善を、アートマーケットが独自にすることをせずにミュージアムに代替させ解決しようというのが「リーディングミュージアム」である。簡単に言えば、ここでは悪質なクラス、あるいはカテゴリーの混濁が行われている。

もう一度言う。もしミュージアムに「「評価軸」の役割」を期待し、それをもってアートマーケットの活性化を図りたいならば、収集予算を増やし、優遇税制を強化し、学芸員を増やし、組織体制を強めて市場との関係性を自主的に強化させればいい。万一、ミュージアムとマーケットというカテゴリーの混濁で問題を解決するなら、事態は悪化する。


3. 信用の担保という原理上、逆効果

このことを、美術批評家のgnck氏が通貨を例にしてツイートしていた。

https://twitter.com/gnck/status/998047525155192832

アートマーケットにおける作品の価格を最終的に保証しているのは、制度としての美術館が「パーマネントコレクション」にしてくれるからだ。印象派がほとんど市場に出ず、しかし現れた時に莫大な価格になるのは、世界中に印象派をコレクションする美術館があるからでしょ。逆ではない。


鋭い指摘だ。改めてこれを元に説明しよう。一般に通貨は中央銀行が発行し、その価値を国の信用力で担保する。もし国が通貨の発行権を廃棄するか、その一部を緩めたとしよう。そうするとその国の通貨の信用は下落してインフレがおきる。制御できなければ流通は混乱する。今回の事態に即していえば、公的な美術館(ミュージアム)が、「投資を呼び込むために市場に売却する作品を増やす」と、その国の美術の信用は下落し、アートマーケットの課題は解決するどころか悪化するだろう。

「リーディングミュージアム」構想を、あえて肯定的にみようと思ったら、どのような条件が必要だろうか。例えば美術館の所蔵品を売却する仕組み自体は、絶対考えてはいけないものではない。海外でもそういう事例はあるし、私立美術館でもある。しかし、それはあくまで美術館が、美術館の充実した体制の下に自立的に行わないと無意味になる。具体的には各美術館が、個別の館のもつ価値基準、少し硬い言葉で言えば体系=理念を強化するために、限定的に行うほかはない。そして、そのように美術館が自らの体系を強化できればそこに収蔵された作品と作家の信用は国際的に上がり、アートマーケットの活況に資するだろう。無論、そこではPDFにあった「市場との関係性も希薄」も改善されなければならないが、そのためにはなによりも学芸員を増やし、組織体制を強めるのが唯一の道になる。

今回書きたいことはおおよそ以上だ。加えて、あえて推測をするのだが、こんな簡単なロジックを、文化庁の今回の文書を検討した人々が理解していないとは思えない。なにしろ問題点の指摘はクリアだからだ。その上で、一目でわかるカテゴリーの混濁という悪手がなぜ提言されたのだろう。「リーディングミュージアム」の部分だけ異質であることは疑いない。邪推だが、美術全体のことではなく、まったく個人的・短期的な利益誘導のために国の政策を利用する人がいないことを願う。税制の議論などはもっと活発化すべきで、そういう意味でも、良識的な人が議論に加わるべきだろう。

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