自分が不自由と感じた時どうするか?
先日、祈祷会のメッセージでした。
以下が原稿です。
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問題 実例
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みなさんこんにちは。
僕達家族はこの4月から東京聖書学院に行ってます。
先月くらいに、2年生の先輩が次男にこう聞きました。
「お父さん、これから勉強して何になると思う?」
次男はえーとえーと、、といいながら、あ、という顔をして自信満々あにこう答えました。
「ぼくしんぐ」
惜しい。
なぜ「ぼくし」で止めず、いきすぎたのか(笑)
みなさんのお祈りの支えられ、
「ぼくし」になるために学校に行き、4〜7月前半の約3ヶ月の一学期をとりあえず過ごしました。
そのなかで色々自分自身の課題であったり、そして、あーだったらいいのになーと思うこともあります。
特に独身寮の方に比べれば家族で来ている自分にとって時間というのはどんなに頑張っても、自由にできる時間が短くなります。
今の現状を不自由に感じていました。
「もっと時間があれば、色々できるのに、、、」
と。
さてみなさんに質問です。
「みなさんは、もっとこうしたいのに、とか、なんで今は不自由なんだ、制限がかかっている」と思うことってありますか?
私たちは色々計画を立てます。
でも、
そうはならないこと、
予定通りに進まない、
もっとあーあればいいのに、
ということがよくあります。
そんな時どうすればいいでしょうか?
今日のタイトルは「不自由さの中にある神の計画」です。
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根拠 聖書解説
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'わたしたちがローマに着いた後、
使徒行伝 28:16前半
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今回の主な主人公はパウロです。
そして主な舞台はローマです。
パウロは長い間ローマを訪れたいと願い、そのために祈り、準備をしていました。
今やその祈りは聞かれ、当初予想もできなかった方法と状態でローマに着きました。
それはパウロの逮捕と裁判という思いもよらない方法で、ローマに福音が伝えられていく様子が書かれています。
パウロはこのローマに行く途中パウロは何度も命を狙われ、嵐にも会い、そして迫害されていました。
最初の予想とは違い、多くの時間がかかりました。
そんな中やっと到着したのがローマです。
長年パウロが憧れていた場所です。
彼にとってようやくパウロ自身の願いが実現した場所でした。
僕自身、現在東京聖書学院に今年の4月から入学し、現在1年生です。
長年なりたいと思っていたところに現在います。
ようやく自分が念願叶っての場所にきたのです。
そしてパウロがローマに着くまでに色々な困難、出来事があったように、
そこには色々な試練、困難がありました。
なぜ神はなかなかこの道を開かせてくれないんだろうと疑問、焦り、時には怒りさえ感じていたこともありました。
自分は神の福音を伝えるための志があるのに、
なぜ神は道をすぐに開かせてくれないんだろうか?
神の福音を伝えるのって神の御心ではないんだろうか?
なのにすぐにこの思いは叶えてくれないのはなんでだろうか?
時間が経つと次第に自分のやることって違うんだろうか?他の道なのだろうか?
と時には感じたこともありました。
人はなかなか自分の目的地にたどり着かない時、つぶやき、希望を失いがちです。
でもようやく神学校への道が開かれたました。そしてこう思いました。
「よしこれからこれからたくさん勉強して1人でも多くの人に福音を伝えていこう。」
と。
そう意気込んだんです。
実際に行ったら勉強は楽しいし、ミッション・奉仕も喜びであります。
が他の人と比べて、家族で行っている私たちは色々縛りがあります。
その一つが時間です。
どうしても子供との時間、妻との時間を確保するため、独身の方に比べたら勉強する時間は少なくなります。
念願叶って聖書学院にきた。
勉強も奉仕も楽しい。けど周りと比べて不自由なことが多いと感じていました。
そうするとついこう思ってしまうわけです。
「主よ、なぜ私をもっと自由にしてくれないのですか?
勉強もたくさん、説教準備もたくさんしたい、やる気はあるのに
他の人たちと比べて僕はやることが多過ぎます」
と。
パウロが念願叶って着いたローマでのパウロはどのような状態だったでしょうか?
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パウロは、ひとりの番兵をつけられ、ひとりで住むことを許された。 '
使徒行伝 28:16後半
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せっかくローマに着いたのにパウロ自身は囚人で隣に番兵がいました。
この番兵は皇帝を警備するために選抜された人たちだそうです。
パウロは外出することは自由にはできませんでした。
彼は念願叶ったローマに着いても、思うような自由にはできなかったのです。
聖書にはパウロのこの時の心情は書いてません。
もし僕がパウロならこう思います。
「神よ、なぜ私を自由にしないんですか。
色々困難があったなかでもこうしてローマに着いたことはとても感謝です。
でも私はもっと伝道したいのに、なぜ今の私は囚人としているのですか」と。
やっと願いが叶い、ローマでこれから福音をのべ伝えようと意気込みます。
、、、、なのに自分には不自由なこと、制限がたくさんある。
なぜ神は自分を自由に、させてくれないんだろうか?と思ってしまいます。
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実はこういうことがあるんじゃないか
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囚人であったパウロ。一見人の目には不自由そうに見えます。
でも調べていくと、違う見方が出てきます。
当時パウロの命を狙っている人たちがたくさんいたそうです。
このローマの兵隊達はパウロが逃げないように見張るのがその任務だったのですが、
別の見方を見ると、パウロの命を狙う人々を近づかないように守ってくれたとも言えます。
一見不自由そうに見える状態でも、実はそれは本人を守る神の良い計画であると。
人は制限されることを嫌います。
縛られると反発したくなります。
もっと自由にしろと。
でも実はそうではない、その不自由さは、神が私たち自身のために守ってくれていることがあるということです。
さらにパウロは捕まえられていたことによって、普通に伝道していたら会うことのできない人たちに会うことができました。
兵隊、総督、領主など位の高い偉い人、そしてローマ皇帝まで神の福音を伝えることできたそうです。
これらの人は、パウロが普通に伝道していったら会うことができない可能性が高い人たちです。
そしてさらにこの時期にエペソの人々、ピリピの人々、コロサイの人々、ピレモンに手紙を書いたと言われています。
もしパウロが予定通り普通にローマに着き、囚人でもなく、伝道していたら、その時期だけを見たらより多くの人に伝道できたかもしれません。
でも実際パウロは彼の最初の計画とは違った場所に行き、その場所で様々な人に出会い、そして囚人としてローマに着きました。
が実はそれは不自由ではなく、パウロ自身の命を守るためであり、さらに普通になら会えない人にも会うことができる、という
人間の知恵をはるかに超えた神の良い計画があるといえるのではないでしょうか?
そしてパウロは今まで出会った人たちに手紙を書くことによって、
パウロ自身が死んでもなお、今こうして2000年以上経っても聖書の一部となり、
私たちの心を励まし、イエスに出会うことをしてくれ、伝道をし続けてくれるのです。
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原理原則&解説
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ここに学ぶ原理原則があります。
人間には不自由に見えることが神の良い計画である
ということです。
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間違えた思い込み
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でも実際私たちはどうでしょう?
多くの場合、なんでこんなことが起きるんだと思ったり、
不自由だ、もっと自由にやらせてくれたらいいのにと思ってしまうことがあるのではないでしょうか?
私自身、
なぜもっと時間がないんだろうか?
せっかく願いが叶ったのに時間を使って自由に勉強できないんだ、
と思ってしまいます。
ここに間違えた思い込みがあります。
それは、
自分の思いが一番良い
という間違えた思い込みです。
自分はこういう思い、計画を持っている。
これは神のためであり、また世のためであり正しいはず。
だから自分の思い通りなることが良いことだと。
私自身このメッセージを作っていた時、改めて、
自分の計画、自分の思い通りになることが一番正しい、
と思っていると思わされました。
でも神がパウロを守るために、そして福音をより多くの人に伝えるためにパウロを囚人にしたように、
今私が不自由と感じることも、実は私を守るためであり、これから神の福音をより多くの人に伝えるための良い計画である、と気付かされました。
そしてイエスが隣でこう言ってくれたように思いました。
「雄大、私は雄大のために良い計画をすでに立てている。
それは雄大の思いとは違うかもしれないし、不自由に感じるかもしれない。
でも僕を信じてごらん。あとでわかるから」
と。
その時私は、慰められ、今の環境に不満をするのではなく、感謝が自然と湧きました。
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このあとふと思いました。
実は神ご自身が一番不自由さを自ら選ばれたんだと。
無限なる神が人となられ自ら制限をかけられた。
それは飛べない、腹は減る、未来にも過去にもいけない
こんな不自由さはない。
そして自ら死を選ばれた。
何故か?
私たちを罪から救うために。
この不自由を選ばれた神が今私たちと共にいてくれます。
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呼びかけ
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僕たち私たちは色々あーしたい、こーしたい、と計画をたてます。
そしてそれが思い通りに進まないとブーブー言います。
でもパウロは神の計画によって、不自由そうであっても、実はパウロ自身を守るためであり、よりよい計画であったように、
不自由だと感じる時こそ、神はさらに良い計画を自分のために用意してくれている、
このことを信じて歩んでいきたいと思います。
'わたしたちがローマに着いた後、パウロは、ひとりの番兵をつけられ、ひとりで住むことを許された。 '
使徒行伝 28:16
ではお祈りをします。
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お祈り
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天のお父様今日の時を感謝します。
僕たちは色々計画を立てます。
うまく行くときもあれば行かないときもあります。
うまく行かない時はなんで自分の予想通りにいかないのだ、と思います。
でもそんな時こそ、あなたは僕たちの予想をはるかに超えた良い計画を持っていることを
改めて信じたいと思います。
僕たちが予定通りに進まない時、パウロがローマに行けたことを思い出し、
あなたの良い計画を信じることができますよう助けてください。
尊き主イエス様のお名前によってお祈りします。
アーメン。
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