誰もが直面する問題への良い知らせ

先週の土曜日に伝道礼拝があり説教(メッセージ)をしました。

対象者は未信者なので主題説教でやってみました。
初の主題説教です( ̄▽ ̄)


その完全原稿です。


190518土曜礼拝証&メッセージ 20分目安
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・イントロ
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みなさんこんにちは〜
こんな話を聞いたことがあります。

その方は母親だけがクリスチャンでした。
父親はノンクリスチャンでした。
ある日夫婦喧嘩をしていたそうです。
そんなとき父親が母親にむかって、
「よくそんなんで教会行っているな!」と。
そうすると母親が言い返しました。
「わたしはこんなんだから教会に行っているんや!」と。
それを聞いた父親が
「あなるほど、そりゃあそうか」と納得したそうです。

さてみなさんに質問です。
みなさんにとって教会ってどういうイメージですか?
品行方正な人が来るようなイメージでしょうか?

教会というのは医者がイエスキリストである病院みたいなものです。
普通、今風邪で困っている、咳が出てつらい、だから病院に行こうと思います。
普通、よし風邪が治ってからとか、病気を自分で克服してから病院に行こうとは思いません(笑)
私の人生、何か問題がある、もうちょっとツライ、お手上げ状態だ、
と少しでも思っている方がイエスという医者に出会うことによって回復していく、
それが教会です。
でも多くの方のイメージは、教会は品行方正の方がいくもの、
つまり風邪が治って健康な人がいくものというイメージが強い気がします。


私たちの人生、そんな甘いものではありません。
現実はたくさんの問題を抱えています。
健康、親の介護、子供の進路勉強、いじめ、職場の上司、部下、お客様との関係の問題、そして夫婦関係問題。
どんなに一見上手く行っているような人がいても、何かしら問題を抱えている、これが現実でないでしょうか?


今日のテーマは「回復への道」です。
全員が問題を多かれ少なかれ抱えています。
そしてその中で私たちはどうしていいかわからずたじろぎます。

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今日みなさんに持って帰ってもらいたい聖書の言葉があります。
それがこれです。

「彼の道を見たが、それでもわたしは彼を癒やす。わたしは彼を導いて、彼とその嘆き悲しむ者たちに、慰めを報いる。」イザヤ57:18 


お手元のプリントの一番上に書いてある聖書の言葉です。

そう、
「それでもわたしは彼を癒やす」あなたが傷ついているなら「あなたを癒そう」
「わたしは彼を導いて」あなたが混乱しているなら「あなたを導こう」
「慰めを報いる」あなたが、自分の問題なんて分かってくれる人など、どこにもいないと感じるなら「あなたを慰めよう」
と神は言っています。


本来、最初にこの世界が造られた時は問題がある状態ではありませんでした。
何故なら神は言われたからです。
はなはだ良かったと。創世記1:31
つまり完全な神がとても良かった、完全な世界だったという状態だったのです。

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・原因 すべての原因はあなたが神になること
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ではなぜ今現在、私たちに色々な嫌な問題が起こるのでしょうか?
すべての原因はこれになります。全てです。
それは、

私たちが神を演じようとすること。
プリントの最初と次の空欄には神と書いてください。

「え?私が神に?そんなことない、私はちゃんと自分を人間と把握してるし、そんな神になろうとしているなんて滅相もない」
と思うかもしれません。

多分みなさんの表情を見ていたらこの場の96%はそう思っていそうな感じでした(笑)
でも本当です。
何故なら、私たちの不満は、周りが自分の思い通りにならないこと不満と思うからです。

私たちは、自分ですべてをコントロールしたいと思ってます。
「何が正しくて何が間違っているかなんて、誰かにとやかく言われる筋合いはない。
そんなことは自分で決めればいい。自分の好きなように、自分で良いと思えばそうするまでだ。自分の生き方についてだれかにとやかく言われたくはない。」
これが神を演じるということです。

本当は頭では分かっています。
他人をコントロールできないって。
でも実際はどうでしょうか?

うちの旦那、もっと私に気を利かせて皿洗いとかやるべきだ
うちの部下はなかなか営業成績あがらない。
もっと自らセミナーとか行くべきだ
あのママ友のリーダーの人、今私のことどう思っているんだろう?嫌われていないかな?
うちの子供はなかなか勉強しないでゲームばっかやってる。勉強するよう変えなければ。
とこういう不満が出てきます。

でもこれって相手をコントロールし、
自分の理想とする状態にしたいということでないでしょうか?
つまり神になろうとすること。

私が良いか悪いかを判断したい
そして私の判断は正しい
私の判断は正しいはずだからあの人を私の理想とするところへコントロールしたい

これが問題の全てです。

もしこう思っている人が2人いてそれぞれにコントロールしようとしたらどうなるでしょうか?
駆け引きが生まれ、争いが生まれ、関係が崩れます。

私が神になり、善悪の判断をしたい、これがすべての問題の元です。
これを聖書では、的外れな生き方と言います。(罪)
神ではない人間が神を演じようとする欲求です。

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・原因 どのように神を演じるのか?
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では私たちはどのように神を演じることをしようとするのでしょうか?

1、自分のイメージをコントロールしようとすることによって

私たちは他人にどう思われるかを気にして、人目に映る自分のイメージをコントロールしようとします。
自分の本当の姿を人に知られたくないわけです。
まるで演技してるかのようにし、仮面を被り、自分を装い、自分を偽ります。
その本音はこうです。
「本当の私を知ったら嫌われるに違いない、嫌われるくらいなら別の自分を演じよう」と。


2、まわりの人をコントロールしようとすることによって

親は子供を、子供は親をコントロールしようとします。
妻は夫を、夫は妻をコントロールしようとします。
会社では会社のルールで会社員を。
あらゆる手段でお互いにコントロールしようとするのです。
罪意識に訴えたり、恐れを抱かせたり、下心のある賞賛のことばを用いたり、沈黙という手段を使うことによってです。
このように私たちはみな、人をコントロールしようとする傾向があります。


3、自分の問題をコントロールしようとすることによって

「大丈夫、なんとかなる、大した問題じゃない」
というセリフをよく私たちは使います。
これも神を演じるということです。
助けなど不要、カウンセリング?ありえへん、と言って自分の問題を自分でコントロールしようとするのです。
で、こう思います。
その気になればいつでも僕はダイエット始めれるんだ。ムシャムシャ。これを食べるのは今日まで明日からやるのさ。ムシャムシャ。
その明日は来ません(笑)


4、自分の痛みをコントロールすることによって

私たちは痛みから逃れるためにどれだけの時間とお金を費やしてきたでしょうか?
痛みを避け、否定し、軽減し、先延ばしにしようとするのが人間です。
実にあらゆる方法で痛みを先延ばしします。
食べること あるいは 食べないこと
お酒、タバコ、麻薬、異性
に頼る。
「この人となら幸せになれる、自分の存在価値を実感できるに違いない」
と思い、やっぱり違うと思い別れ、また別の人を探し続ける。
また、
誰かに八つ当たり、辛く当たったり、怒りをぶつけたり、人を批判したり、裁いたり
気落ちしてうつ状態になったり
などです。

さてみなさんに質問です。
今お手元に書いた4つのコントロール。
この中で、自分はこれをよくやってしまう、ついついやってしまう、というものはなんですか?


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・原因の詳細 心の真ん中の椅子
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こちらをご覧ください。


これは人の心の中を表した図です。
心の真ん中に椅子が置いてあります。
そこにはいつも何か座っています。
つまりみなさんの心の真ん中にはいつも何かが座っているということです。

お配りしたプリントの右側に空白で円があると思います。
そこに今から順に言ってきますので書いていってください。

まずは、
バートナー(結婚相手、現在お付き合いしている人)→その人の機嫌や行動で気分が左右されます。
家族→子供の行動や言動、兄弟、親子関係で気分が左右されます。
お金→儲けることが最優先され、人間関係が破壊してでもそれを得ようとします。また将来を恐れて貯金残高を必要以上に恐れます。
仕事・勉強→営業成績やテストの成績に恐れを感じるようになります。
持ち物→私は最新のグッチのかばんを手に入れたわ、ついにマイホームを手に入れたと持ち物を手に入れることによって気分が必要以上に左右されます。
娯楽→ゲームであったり、音楽、テレビ、などをたくさん見ること、たくさん情報を得ることに気分が左右されます。
友人→必要以上に友達の評価を気にしたり、友人の一言一言を気にしすぎるようになります。
意外ですがもです。自分にとって嫌な人、自分を否定する人のことを思い出して気分が左右されます。それは小さい頃言われて、その敵がもうこの世にいなくなっていてしまっていても、あなたの心に幾度となく攻撃する人も含まれます。この敵によってあなたの気分が左右されます。
教会・地域活動→地域活動は自治会とか子供が参加しているサッカークラブでのお手伝いなどの活動で自分が必要以上に疲れてしまいます。
そして最後に自分→小さい裁判官の自分がいます。そして自分の行動に対していつも評価をします。あれはOK。これはダメだ。と。そして自分の評価によって自分の感情が左右されます。


細かいことを言えば他にも色々あると思いますが、大きく分けてこの10項目が私たちの大きな関心ごとになってます。


これらのものがそれぞれその時によって、ある時は子供があなたの心の真ん中に、ある時はお金、ある時は敵、ある時は夫、など私たちの心の真ん中に居座り、そしてそれをコントロールしようとし疲れます。


さてみなさんに質問です。
みなさんは、ここ最近、今紹介した10項目のうちどれが一番あなたの心の真ん中の椅子に座っていましたか?
少し時間をとります。
特に気になるものを1つ空いている紙に書いてください。

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・解決 良い知らせ
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では私たちは混乱してるまま、この一生を過ごすのでしょうか?
この状態から抜け出すことは可能でしょうか?

ここに良い知らせがあります。


それは、心の中にイエスを迎え入れることです。
なぜなら自分の無力を認めた時、
つまり自分には助けが必要と正直に認めた時、
神の力が現れると聖書は言っているからです。


聖書の書いてあることは、多くの場合一般的な考えとは逆のことをいいます。
みなさんは今までこう教えられているのではないでしょうか。
「自分の力でやりなさい。誰にも頼らず自分1人でやりなさい」と。
でも回復をするための第一歩は、自分は無力で自分には助けが必要だ、
と認めることが必要とされているのです。

そう、自分は今風邪だ、苦しいと認め、医者であるイエスを求めるのです。
私たちは神と人の助けを必要としているのです。

今の現状を認め、代わりにイエスがあなたの心の真ん中の椅子に迎えることによって回復が始まります。

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・新しい未来 心の椅子のアフター
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さて先ほど心の真ん中にある椅子と、私たちの代表的な10の問題を見せました。
私たちの心に真ん中の椅子があり、その瞬間瞬間に誰かがいます。
それはパートーナーかもしれません
それはお金かもしれません
それは学校や仕事の成績かもしれません
それはあの人の自分に対する評価かもしれません
それはあなた自身があなたに下す評価かもしれません

でもここにイエスが座るとします。

そうするとこう言えるようになります。

「私は今まで自分で色々と抱えて生きてきました。
でも自分でコントロールしようとすればするほど、
苦しく、結局自分がしたくないことをしてしまうことがほとんどです。

今、私はあなたを第一に受け入れたいと思います。
そうすると今まで私が大切にしていたものが失うかもしれません。
怖いです。
でもあなたに委ねてみたいと思います。
そしてこう言えるようにしてください。
私にはイエスがいる、だからこれらがいなくても大丈夫」と。

これが神を演じなくなり、神に自分の人生を手放すということです。

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・応答
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さて最後にこの聖書の言葉をもう一度みなさんで言いたいと思います。
お配りした紙の一番上の聖書の言葉です。

あ、今までのことは忘れて構いません(笑)
でもこの聖書の言葉だけは覚えて持って帰ってください。

「彼の道を見たが、それでもわたしは彼を癒やす。わたしは彼を導いて、彼とその嘆き悲しむ者たちに、慰めを報いる。」イザヤ57:18 

最初にお伝えしました。
そう、
傷ついているなら私が「あなたを癒そう」
混乱しているなら私が「あなたを導こう」
自分の問題を分かってくれる人などどこにもいないと感じるなら私が「あなたを慰めよう」
と神は言っておられる。


さて今あなたの前に二つの道があります。
それは
今まで通りの人生か、
神と共に歩む人生かです。

あなたは今様々な問題を抱えているかもしれません。
そして孤独で、自分のことなど誰も分からない、
分かってくれないと感じているかもしれません。

そんなとき、この聖書の言葉を思い出してください。
「彼の道を見たが、それでもわたしは彼を癒やす。わたしは彼を導いて、彼とその嘆き悲しむ者たちに、慰めを報いる。」イザヤ57:18 

あなたを創り、この全世界を造った偉大な神が、あなたのことを慰め、導き、癒そうとしていること、これを心に留めて歩んでいってもらいたと思います。

さて最後にあなたに質問です。

あなたは今心の真ん中の椅子に、イエスを受け入れますか?

これから一緒にお祈りします。
どうぞ心合わせてお祈りをしていきたいと思いますので
目を閉じて黙祷の姿勢を作ってください。

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・お祈り
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ではお祈りをします。
この天を、地球を、そして私たちを造ってくれた神様、今日の時を感謝します。
私たちはこの壊れてしまった世界で生きているが故に沢山の問題を抱えています。
ある人は、人間関係かもしれません。
ある人は、経済的不安かもれません。
ある人は、自分の生きる理由についてかもしれません。
ある人は、感情的な問題かもしれません。

その多くの原因は、あの人をコントロールしたい、操りたい、という、
自分が神になりたいというところから問題が来ることを学びました。
そして悪いことをしてしまう自分をコントロールする力がないこと、
自分の人生が手に負えない状態にあることを悔しいですが今正直に認めます。
負けを認めます。
でもイエスキリストが死んで、一見負けてしまったように思えても、
その後復活されたように、
この負けは、またあなたと共に勝利できることを今もう一度信じたいと思います。

今、みなさんに質問します。周りは気にせず目を閉じたまま聴いててください。
あなたはずっと孤独で、自分だけで生きてきました。
でも今目の前に、神の子であるイエスキリストが優しく手を差し伸べています。
そして彼はこう言います。
傷ついているなら「あなたを癒そう」
混乱しているなら「あなたを導こう」
自分の問題を分かってくれる人などどこにもいないと感じるなら「あなたを慰めよう」
と。
今このイエスと一緒に共に歩みたい、と思う方、これはノンクリスチャンだけでなく、
クリスチャンの方でも、
イエスと一緒に歩みたいと思った方、
目をつぶったままで構いませんので静かに手を挙げてみてください。
ありがとうございます。
ゆっくり手を下げてください。

まだ今はいいかもと思った人もいるかもしれません。
私たちは引き続きその方のためにもお祈りし続けています。

最後にこの聖書の言葉をもう一度言います。
「彼の道を見たが、それでもわたしは彼を癒やす。わたしは彼を導いて、彼とその嘆き悲しむ者たちに、慰めを報いる。」イザヤ57:18 

尊き主イエス様のお名前によってお祈りします。
アーメン。

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動画も添付しておきます。
何故か90度横になっていますが(笑)



今日も最高の1日を😄

God bless you〜(神の恵みがあなたにありますように)


長瀬雄大


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